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元地下アイドルは異世界で皇帝を目指す!  作者: 烏川トオ
第1部 2章 クロス・フェード
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75、この闇から仰げば9




「図星を指されたのは正直痛かった。――でもそれ以上にうれしかったんだ」

 グリスウェンはそう語った。


 それはバルゼルト王子とカレンの揉め事があった日から一週間後のことだった。

 イヴリーズは今日もいつもの様子見と称して、グリスウェンの離邸にいた。


 グリスウェンは騎士団を謹慎となったため、普段の生活の場を本格的に離邸に移した。今はこの邸宅にも使用人が置かれている。彼は自分の身の周りのことを自身で行ってしまうため、人数は多くはない。それでもうっかり二人の会話を聞かれないよう、細心の注意を払う必要はあった。


 イヴリーズは選帝会議のことで相談があると、グリスウェンの自室からしばらく人払いを頼んだ。従僕が去ると、グリスウェンは皇子の顔を脱ぎ捨て、泣き笑いのような表情でイヴリーズに語った。




「カレンはもう大丈夫だ。部屋に引きこもり、怯えていた子供はいない。兄にも対等に意見をぶつけられる。もう守るべき存在じゃない。いつの間にか人を守る存在になっていたんだ」


「あなたは少し過保護なのよ。私はとっくに気づいていたわ」


 少し冗談めかして言うと、グリスウェンも笑う。

「うん、カレンなら立派に宮廷でやっていける。……もし俺がここからいなくなっても」

 

 不穏な言葉の響きに、イヴリーズは柳眉をひそめる。


「弱気なことを言っている場合ではないわ。忘れないで。あなたが皇帝になり、妹たちを庇護するのが一番いいの」


「わかっているさ。……ちょっと感傷に浸りたくなっただけだ」




 バルゼルト王子の騒ぎ以降、グリスウェンはカレンディアとわざと距離を置いている。「これでいいんだ」と彼は言った。もしグリスウェンの正体が露見した場合、カレンディア自身の血統はどうあれ、『同母の兄を庇っていた』と妹が連座するのを恐れているのだ。だからこれはいい機会なのだ、と。


 そう言いつつも、カレンディアに悲し気な目を向けられるたびに、心を痛めて帰って来るのだから、つくづく不器用な男だと思う。




「イヴの方は? 変ったことはないか?」


「……ええ。少しずつ人前に出る頻度は減らしているし、そろそろ噂が立っているでしょう?」


「ああ。イヴリーズ皇女は不治の病を患い、もう先が長くない。皇太子候補としては終わり――だそうだ」


「もうそこまで言われているの? 本当に宮廷って嫌な所よね」

 イヴリーズはいっそ可笑しくなり、声を立てて笑う。


「でもこういうことは、思惑通りに運んでくれるから助かるわ」




 イヴリーズは予定通り、体調不良を理由に公的私的問わず、人前に出る機会を減らしている。どうしても参加しなければならないときは、いかにも具合が悪い素振りで口数少なく、扇で顔を伏せ、隅の方で過ごすようにしている。


(でも最近は……)


 もはや演技の必要はなくなっている。イヴリーズは自身の前に置かれた、お茶や茶菓子に目を向ける。イヴリーズの好みに合わせたのだろう、薔薇茶が出されているが、今日は口も付けていない。




 近頃、芳香が強い物や甘ったるい物がめっきり苦手になった。そして今まで少し苦手だった、酸味の強い物が無性に食べたい時がある。日中も酷く眠い時があり、疲れやすくなった。


(これはもう……さすがに気のせいなどと、自分を誤魔化している場合ではないわね)


 相変わらず月の障りもない。もはや確定だろう、と妙に冷静に思っていた。




 開け放たれた窓から風が入り、薔薇茶の湯気が自分の方に流れてくる。その匂いに、一気に気持ち悪さが込み上げる。イヴリーズはすぐに顔を背けたい気分を堪え、さりげなく立ち上がると本棚を眺める振りをする。


「……今まで時間を持て余したことがなかったから、少し退屈してるの」


 ふいに本を取ろうとした手を握られ、後ろから抱きすくめられる。




「――イヴ……」


 耳元で髪に顔を埋めるようにささやかれ、思わずどきりとする。自分のものでない体温にも、かすれた低い響きにも、まだ慣れない。


「俺に隠していることはないか?」


 優しい声音とは裏腹に、彼が今鋭い視線を自分に向けているのは気配でわかった。先ほどとは違う緊張感囚われる。




(絶対に隠し通さないと……)


 イヴリーズはグリスウェンの腕の中で体を半転させ、向き合うと肩をすくめる。


「……何の話?」


「顔色が悪い」


「そう? 白粉を変えたせいかしら」


「イヴ……」

 焦れたようにグリスウェンが眉間に皺を寄せる。




「頼むから誤魔化さないでくれ。最近何かおかしくないか?」


「それは……私だって、いろいろ先のことを考えると不安だし……」


「そういうことじゃない。ここのとこ演技じゃなくて、本当に具合が悪そうな時があるだろう」

 

 うまく隠しているつもりだったが、さすがに自分をよく見ているだけはある。




「それと、その……何というか、最初の頃よりも痩せた気がする……」


「……意外と冷静だったのね」


 思わず本音が零れてしまい、グリスウェンが赤くなるのを隠すように顔を背ける。


「そんなことは――いや、それはどうでもいいんだ」

 グリスウェンはイヴリーズの両の肩を掴む。


「本当に心配なんだ。頼むから教えてくれ、本当は何かの病気じゃないのか?」




 イヴリーズはややあってから、観念したように息をつく。

「実はあなたに治して以来、少し疲れやすいのよ」


 グリスウェンも馬鹿ではない。中途半端な説明では納得しないだろう。だから多少真実を混ぜる。あの後ひどく疲れて、数日だるかったのは本当だ。


「多分今までで一番長く『祝福』を行使し続けたから、そのせいだと思うわ」

 

 その言葉にグリスウェンは肩を落とす。かすかに罪悪感が込み上げるが、どうにか誤魔化せそうだ。




「すまない……俺のせいで」


「心配しないで。『祝福』をたくさん使って、こうなることは前にもあったわ。死の淵にあった人間を復活させたのよ。反動があるのは当然だわ。治療後のあなたと一緒よ。元々体力のあるあなたと違って、私は回復するのに少し時間がかかっているだけ」


「本当に大丈夫なのか? 必ず治るんだな?」


「馬鹿ね、当たり前でしょう。本当に病気になったわけじゃないから心配しないで」


 間違いなくこれは病ではない。どんなに具合が悪くなろうと、いずれ終わりはある。




「まったく……過保護なのは妹だけにしておきなさいよ」


 グリスウェンがようやく笑みをみせた。

「だって俺にとって、イヴは生きる意味だ。心配するのは当たり前だろう」


 真っ直ぐな裏打ちのない言葉に、イヴリーズは胸の痛みを覚える。


 ――遠くない内に、グリスウェンに黙ったまま自分はお腹の子共々姿を消す。

 もうその覚悟は固まっていた。








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