61、与えられた祝福
「それにしてもランお兄様も『祝福』持ちだったのですね。そんな話、聞いたこともありませんでした」
「皇子だった頃は、俺も気づいてなかった」
ロウラントがテーブルの上で手の平を広げてみせる。あれほどの大怪我をしたとは思えないほど綺麗になっている。傷のあった場所は、周囲の肌と少し色が変わっている程度だ。
「遊学中に大怪我をして、初めて自分の体質に気づいたんだ」
女神の末裔と伝えられる皇家の人間に、稀に発現する『祝福』と言われる不思議な力。現在『祝福』を所持しているとされる皇族は、他人の怪我を癒せるイヴリーズだけだ。
以前ロウラントは、己の『祝福』の存在に気づかぬまま、年齢を重ねる者もいると言っていた。それは自身の経験だったようだ。
「いいなー、私も何かすっごい力とかないかなー」
「わたくしも正直羨ましいです……」
無邪気に不思議な力に憧れる少女たちの言葉に、ロウラントは少し寂しげな表情を浮かべる。
「……俗説に過ぎませんが、『祝福』の効果は、その人間の人格に起因すると言われています」
「へえー、ちょっと納得できるかも」
愛情深く弱者の救済に心を砕くイヴリーズは、確かにそれにふさわしい能力だ。
「だから俺は自分の『祝福』を知ったとき、利己的な己の性分を突き付けられたような気がしました。大切な人間のためならどこまでも献身的になれる、イヴやスウェンとは違う種類の人間なんだと……」
ロウラントはミリエルに向き直り言った。
「……やっぱり俺はあの二人に名乗る資格はないよ。寝食を共にして育った仲間を置いて、一人だけ安全な場所に逃げ出した卑怯者だ」
「それこそずるい言い訳です!」
「ロウ……そのことなんだけど――」
言いかけてカレンはやめる。聞いたところで、彼は認めないだろうし、ここで言わせても意味がない。
「殿下……?」
「……ううん、そろそろお開きにしようか。もう暗くなってきたし。一応私たちがここにいることが、よそにバレたらまずいでしょ」
カレンの言葉にミリエルもうなずく。
「聞きたい話はまだまだありますけど、仕方ありませんね。二人とも念のため、裏口から出てください。……本当に今更ですけど」
正面から堂々とやってきたカレンを苦々しく見やってミリエルが言う。そしてロウラントに生真面目な表情で向き直る。
「……ランお兄様、お怪我をさせてしまったことをお詫びいたします。申し訳ありませんでした」
「いや、二度としなければそれでいい。怪我はそれこそ俺が勝手にやったことだ。お前が気にする必要はないよ」
「そうそう、ロウの優しさはちょっと乱暴過ぎるんだよね」
肩をすくめるカレンに、ロウラントが複雑な視線を向ける。
「なんで、殿下がしたり顔なんですか……」
「言っておきますが、わたくしカレンお姉様には謝りませんからね! ……お姉様がわたくしにしたことに比べれば、些細なものです」
誤解は解けたというのに、なぜかミリエルはひどく怒っていた。
「え? 何それ?」
「ご自分でお考えになればっ!」
ミリエルはぷいと横を向く。固く結ばれた唇がそれ以上何かを語ることはなさそうだった。
代わりに別のことを尋ねる。
「……ミリーの謹慎はいつまで?」
「今月中は大人しくしているように言われました。父上のお許しがいただければ、来月の馬上槍試合の観戦には行こうかと思います」
「そう……しばらく寂しいけど、次会えるのを楽しみにしてるね」
「そうしてください。これ以上お姉様が押しかけてくると、私の蟄居期間が延びそうなので」
いつも通りの皮肉じみた言葉。それが今とても頼もしく感じた。
※※※※※※※※※※
ミリエルの案内で離宮の外に出してもらった二人は、すっかり暗くなった庭園をランタンを頼りに歩く。
カレンは小さくくしゃみをする。外が寒いわけではない。ロウラントが自分の袖に鼻を寄せてから、げんなりと言う。
「まず帰ったら服もですが、この匂いどうにかしないと……」
自分の体にまとわりつく匂いで鼻がむずがゆい。
衣服に付着した血液は、濃い色の衣服のおかげで見た目はわからないが、ミリエルに『二人とも少し血なまぐさいです』と言われ、香水を振りかけられた。強過ぎる芳香に酔いそうだが、これなら人とすれ違っても、さすがに血の臭いには気づかれないだろう。
「殿下はまだいいですけど、俺は女物の香水の匂いをさせて、フレイ先生にどう説明したものか……」
カレンはニヤリと笑って告げる。
「いいんじゃない、本当のこと言えば。カワイイ女の子と会ってたって」
「やめてください。絶対にいらないこと言わないでくださいよ」
「でもさー、今後のこと考えると、先生に今日の成り行きを説明した方がいいと思うんだよね。びっくりするだろうけど」
「殿下、それですがフレイ先生は俺の正体を知ってます」
「……はい?」
カレンは思わず足を止める。
「え? ロウがランディス皇子だってこと?」
「はい。今の俺はあなたの名目上の後見人、コレル男爵の紹介ということになっていますが……」
「あ、そうだったよね。じゃあコレル男爵ももしかして協力者?」
カレンは舞踏会の時同伴してもらった、親しみやすい男爵の顔を思い出す。
「あの人は元々陛下の古い知人なんです。それで俺が素性を隠しつつ、殿下にお仕えする手筈を整えてくれました。ただ彼が毒にも薬にもならない立場ゆえに、殿下の後見役を任されたというのは事実でして……形ばかりの後見役が、急に従者という名目で経歴がよくわからない男を送り込んできたわけですから――」
「めちゃくちゃ怪しい!」
カレンの率直な物言いに、複雑そうな表情をしながらもロウラントはうなずく。
「そういうわけで、フレイ先生からも最初は不審者扱いでした。ディアとの教育方針で揉めたこともあって、これはもう事情を話した方が早いと思いました。先生は元々他国の出身で、ルスキエ宮廷や他の貴族に何の義理もありませんから。差し障りがないと判断しました」
「……そんなことがあったんだ」
以前にも聞いた話だが、冷静なロウラントと温厚なフレイが、揉める光景など想像がつかない。
「先生は幸い、カレンディア皇女のこと以外興味のない方です。逆を言えば、あなたのためなら何者であろうと意見しますよ、あの人は」
確かにフレイは一見物腰の優しい穏やかな人柄に見えるが、これといったことは断固として妥協しない、肝の据わった部分もある。その職人気質に似た指導のおかげで、右も左もわからないカレンが、宮廷で堂々と振る舞えるようになったわけだが。
「親友の娘ってだけで、そこまで気にかけてもらえるってすごいよね……」
カレンは再び歩き出しながらつぶやく。
フレイはカレンとディアが同一人物説を信じているらしいが、それにしても我が子でも、血の繋がりがあるわけでもない人間に、そこまで心を砕いてくれるのだから頭が下がる。
「俺がディアの元へやって来た動機さえはっきりすれば、フレイ先生にとっては細かい事情なんかはどうでもよかったのでしょう。それ以来この件は一切なかったことのように、先生が話を蒸し返すことはありませんでした」
「そういう大らかなんだけど、律儀な辺りは先生らしいね」
それにしてもロウラントはともかく、フレイすらそんな大きな秘密を抱えながら、カレンには微塵も素振りを見せなかった。……少し人間不信になりそうだ。
「俺は先生のように、普通に見えるしたたかな人が一番やっかいだと思います」
その言い草に、カレンはそっと笑いを噛み殺す。フレイはロウラントにとって数少ない、強気に出られない人間のようだ。




