58、自害した皇妃
2023/02/11 誤字訂正
ミリエルの泣き声を聞きつけ、部屋へと飛び込んできたメイベルは、血の海と化した部屋に卒倒しそうになった。何とか言いくるめて、彼女に血で汚れた布類をすぐに焼却するように頼む。
カレンとロウラントの衣服には多少血は付いたが、二人ともたまたま濃い色の服だったのが幸いだった。日が暮れてから外へ出れば、誰かとすれ違っても誤魔化せるだろう。どうせ募る話になる。
落ち着きを取り戻した三人は再びテーブルに着く。ミリエルの隣に座ると、ちらりと一瞥されたが何も言わなかった。今一番に聞かなければいけない話に、ミリエルも異論はないらしい。
「……それで、本当にロウはランディス皇子なの? だってレブラッド公爵だって――」
「彼は協力者です。ご存じの通り、本当は父ではなく伯父に当たります。身内のよしみで適当な身分を用意してもらいました。庶子ということにしておけば、それまでの経歴があやふやなのも説明がつきます。それに不義の子という、後ろ暗い立場をまず前面に出しておけば、それ以上の秘密があるなどと人は勘繰らないものです」
ロウラントこと、ランディス皇子はもう誤魔化すつもりはないらしく、すんなりと語った。
「でも待って、ランディス皇子なら火事で……」
第三皇子ユイルヴェルトが起こした火事に巻き込まれ、全身に大火傷を負っていたはずだ。グリスウェンもその怪我を確認したと言っていた。
「何から話していいのか……」
ロウラントは戸惑いながら、言葉を紡ぎ始める。
「俺が宮廷から姿を消したのは四年前のこと……。知っているでしょうが、ユイルヴェルトの祖父である、ハイゼン伯爵邸の火事がきっかけでした」
母を亡くした上、後ろ盾であった伯爵家の失脚により、自暴自棄になったユイルヴェルトは、遊学から帰国して間もないランディスを祖父の屋敷に呼び出し、火を放った挙句に自害した、というのがカレンの知っている話だ。
「そもそも俺は子供の頃から、帝位に興味がありませんでした。それで父上の許しを得て、遊学を理由に国を出ました。適当な時期が来たら失踪と言う形で、宮廷から永遠に姿を消すつもりでした」
「……逃げたのですね、選帝から一人だけ」
厳しい顔つきで問うミリエルに、ロウラントはすんなりとうなずく。
「そうだ。俺は帝位を継ぐのも、修道院送りになるのも、一生宮廷で飼い殺しになるのも御免だった。だから逃げた」
ミリエルの非難がましい視線が強くなり、カレンは慌てて問う。
「それなら、どうして戻って来たの?」
「失踪しようとした直前に、父上から一度帰国するように言われました。最後に家族の顔くらいは見ておいてもいいかと……要は気まぐれです。そこでユイルヴェルトからある相談を受けました。『祖父たちに復讐がしたい』と」
「祖父って、後ろ盾だったハイゼン伯爵のこと? 何でまた……」
「ユールの母親、ティアヌ皇妃はハイゼン伯爵が女中に生ませた娘です。幼い頃から伯爵には冷遇され育ちました。やがて成長し、運よく陛下に見初められ皇妃となりましたが、伯爵の態度は変わりませんでした」
ミリエルがそういえば……とつぶやく。
「祖父から聞いたことがあります。ハイゼン伯爵は異様なほど、娘のティアヌ皇妃に興味がなかったと。普通娘を宮廷に送り込んだ貴族は、陛下からの寵愛を受けられるよう、こぞって支援するものでしょう? なのに、ハイゼン伯爵はそういった素振りがまったくなかったようです。ユールお兄様の後見になったものも、外聞のため仕方なくだろうと、祖父は言っていました」
「そう、ハイゼン伯爵は娘を利用し出世しようという思惑がなかった。その無関心はいっそ徹底していました。そんな中で、皇妃の異母兄にあたる伯爵の嫡子が事件を起こしました」
「例のハイゼン伯爵家が失脚したきっかけですね。確か伯爵家の令息が宴でお酒を飲んで、知人と喧嘩になり、相手を死に至らしめたとか……」
ロウラントはうなずく。
「よくあるくだらない話です。……ただし相手が悪かった。亡くなったのはある侯爵の子息で、喧嘩の理由も皇妃の兄君に非があった。陛下は貴族の自覚に欠けた見苦しい振る舞いだと、大変お怒りになり、嫡子の処刑とハイゼン伯爵家に多大な賠償金を命じました」
この国でも理由なき殺人は当然大罪だ。皇子の伯父とはいえ汲むべき事情もなく、致し方ない沙汰だ。伯爵家ごと取り潰されなかったのが、せめてもの皇妃の実家に対する温情だろう。
「そうなって初めて、ハイゼン伯爵はティアヌ皇妃の利用価値に目を付けました。どうにか刑を軽くしてもらえるよう、皇妃の口から皇帝陛下に進言せよと求めたのです。初めて家族に頼られ、皇妃は喜んでそれを承諾したそうです」
「……ティアヌ皇妃の気持ち、ちょっとわかるかも」
『元の世界』で母の死をきっかけに、父はカレンから距離を置くようになった。最初の頃は父の気持ちを繋ぎとめようと、気を惹くための空しい努力重ねた。
初めて父親が自分に関心を持ち、頼ってくれた。ティアヌ皇妃はそう喜んだはずだ。例え自分を利用するためとわかっていてもだ。
「ですが、陛下はティアヌ皇妃の言葉を退けられました。この件に私情を挟むつもりはないと。その翌日、皇妃が宮殿の池で亡くなっているのが発見されました。遺書が残されていて、『自分がすべての咎を背負うので、兄を助命してほしい』とあったそうです」
「そんな……わたくし、ティアヌ皇妃は事故で亡くなったのだと聞いていました。まさか抗議の自害だったなんて……」
ミリエルの言葉にロウラントは首を振った。
「それならまだよかった。……皇妃は親しい侍女だけに伝えていたのです。父である伯爵からユールの支援を続けることを条件に、命を賭して家門を救うように懇願されたと」
「何てことを……」
ミリエルが沈痛な面持ちでうめく。
親子の関係性を考えれば、それは懇願ではなく逆らえぬ命令だ。
「真相を聞かされたユールは、継承権も立場もかなぐり捨てて復讐を誓いました」
「陛下にその話は伝えなかったの?」
「もちろん伝えました。でも確たる証拠がない以上、父上も皇帝の立場で伯爵を罰することはできません。だからせめて、ユールのすることを黙認すると決められたのでしょう。そして俺を密かに呼び出し、『誰の命も犠牲にすることなく、ユールの望みに手を貸してやってほしい』と頼まれました」
「では父上は最初から、すべてをご存じだったんですか!?」
あまりの想像を超えた真実に、ミリエルが叫ぶ。
「もちろん。今の俺たちの居場所も把握して――」
「ちょ、ちょっと待って!」
カレンはさらりと重大なことを言ってのけるロウラントを制する。
『誰の命も犠牲にすることなく』、それが皇帝の出した条件ならば――。
「じゃあ、ユイルヴェルト皇子は生きてるってこと!?」




