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元地下アイドルは異世界で皇帝を目指す!  作者: 烏川トオ
第1部 2章 クロス・フェード
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53、王子の指南




2023/02/24 誤字訂正








「いぬさん、こっち! こっち!」


 舌足らずな男の子の声に、遊び盛りの仔犬たちがわらわらと集まって来る。きゃあきゃあと、笑い声を立てる幼子に、しっぽを振り切れんばかりに振った仔犬たちがまとわりつく。一緒に芝生を転げ回るその様子を、母親が側で優しく見守っていた。実に微笑ましい光景だった。




 対して、少し離れた東屋では、カレンが鼻水を流しながら泣きじゃくっていた。テーブルが用意され、その上にはシャスランの戯盤と駒が置かれているが、初期配置から動いていない。


「姫、鼻をかめ」


 バルゼルトが白いハンカチを差し出した。刺繍が施されていて、何かいい香りまでする。


(見た目山賊なのに、ホント紳士だなーこの人……)


 日の下では、より一層凶悪な顔をしているバルゼルトから、グスグスと鼻を鳴らしたカレンがハンカチを受け取った。




「兄君に怒られるのは仕方なかろう。身を挺して庇おうとした妹に、減らず口を叩かれては腹も立つ」


「でもだからって……あ、あそこまで無視しなくても……」

 

 今日は夜会での約束通り、シレナとその息子と共に、バルゼルトらドーレキア使節一行が滞在する帝都郊外の屋敷に来ていた。バルゼルトに宮廷で噂となっているグリスウェンとの関係を聞かれ、最近のやり取りを思い出している内に急に泣けてきた。


 あの日以来、グリスウェンとはまともに会話もしていない。宴やお茶会で鉢合えば、形式通りの挨拶はするがそれだけだ。後はカレンとは目も合わせようとせず、話しかけようと近づけば、さりげなく身を交わされる。


 もちろん心当たりはあり過ぎるが、まさかそこまで疎まれるとは思わなかった。グリスウェンの耳にも兄妹不仲の噂は入っているだろうが、彼が態度を軟化させることはなかった。




「選帝会議までの時間はない。グリスウェン殿にも立場がある。妹に良い顔ばかりしていては周囲に示しがつかんだろう」

 

 バルゼルトは腕組みをして何かを考え混む。

「しかし、選帝会議か……。過酷な制度であるが……」


「ドーレキア王国は長子相続制でしたね」


「そうだ。王の子として最初に生まれた男子が次代の王となる」


「最初から王太子が決まっていれば、私たちもこんなに悩まなくて済んだのでしょうね……」


 しかしバルゼルトはカレンの意見に首を傾げる。


「そうか? ルスキエの選帝制度は一見冷酷なようだが、良い面も多くあると俺は思うぞ。まず皇子皇女には性別や母の身分に関係なく、等しく権利が与えられている。そしてその中で最も優れた人間を皇帝に選べる」


「でも皇太子になれなければ、残りの者は一生修道院で幽閉生活です」


「だが例外はあるのだろう?」


「国に貢献しうる才覚があり、皇帝陛下と新皇太子の許しがあればですが」


「そこだ。選帝から脱落した時のことを考えれば、他の兄弟姉妹きょうだいを無下には扱えまい」


「それはまあ、確かに……」


 脱落した時の保険というわけではないだろうが、カレンが最初に想像していたよりはるかに、兄弟姉妹の仲はいい。だからこそグリスウェンの態度に傷ついているわけだが。




「そもそも王政を敷く以上、継承争いとは切り離せない。我が隣国のタルタスなどひどい物だ。もう三十年以上前になるが、第三王子が王位を簒奪し、自分の妻子以外の親族を、婦人も乳飲み子も含めて全員処刑した。文武に優れながら、長子でないがゆえに王位を継承できぬ不条理に、我慢できなかったのであろう。……我が国にも似たような歴史はある。帝国にそれがないのは、選帝制度があるからだと俺は思う」


 ルスキエが帝国を名乗るようになり二百七十年。帝位を巡り、宮廷で暗殺が横行したことはあったが、それが民を巻き込んだ大規模な戦にまで発展したことはない。これは歴史上稀なことらしい。


「多角的に物を見るのは大事だぞ、姫。己の国の制度も、兄君の立場もだ。そなた観察するのは得意だろう。そしてその才は危険な賭けに臨むためでなく、周囲の者をうまく頼り、登用するために使うべきだ。そなたの指し手と同じだ。己という駒を過信し固執すると、やがて孤立し敗北するぞ」

 

 カレンは自分の弱点をあっさりと見透かされ、少し気落ちする。


「兄君との関係はいずれ必ず解決するだろう。あの御仁は誠実で筋の通った善い人間だ」


 バルゼルトが手放しで褒めるとは、さすがグリスウェンだ。カレンは自分が褒められたようにうれしくなる。


「ありがとうございます。私の自慢の兄です」




「ようやく笑ったな。――そもそもだ、我が国の兄弟姉妹仲なんぞ羨むような価値はない。政変時のタルタスより多少マシという程度だ。実のところ、俺も機会があれば殺したい弟が二、三人いる」


「は、はあ……」


「もっとも俺を殺したい姉や弟は十人くらいいるだろうがな」


 バルゼルトは顎に手を当て、冗談ともつかぬ声音で言う。


「……殿下は何人きょうだいなのですか?」


「三十二人だ。国に帰る頃には、もう一人増える予定だ」


「そ、そんなに……」


 ドーレキアには後宮があり、王の妃や愛妾が数え切れぬくらいいると聞いている。


「その中で唯一の兄が、第一王子の王太子だ。博学で心優しい、俺が心の底から尊敬できる方だ」


「バルゼルト殿下でしたら、きっと兄君の治世を立派に支えるのでしょうね」


「いや、おそらくそうはならん」


「……え?」


 不穏な響きにカレンは言葉を失う。




「兄上は生まれつき病を抱えている。最近は目に見えて体力が落ち、歩くことすらままならない……もう長くはあるまい」


「それは……」


 カレンは唇を噛み締める。死の間際の兄がいる彼からすれば、自分の悩みなどちっぽけなものだろう。


「構わんよ。子供の頃から覚悟していることだ。それに俺は日頃から、兄上に敬意と親愛を伝えている。だから……いつかその日が来ても後悔はない」


 それは胸が痛くなるほど壮絶で、そして澄み渡った美しい覚悟だった。

 

 カレンは胸に手を当て、頭を垂れる。


「……兄君が一日でも永くご健勝であられることを心から願います」


「ああ。……感謝する」


 バルゼルトはかすかに表情を緩ませうなずいた。




 その後は約束通り、犬と遊ぶシレナ親子を見守りながら、カレンはバルゼルトからシャスランの手ほどきを受けた。

 

 何局か終え、自身の指し手についての評論を聞いていると、バルゼルトの小姓がやって来た。小姓は許しを得てバルゼルトの側に寄り、何かをささやきかける。その声は聞こえなかったが、カレンはさりげなく盤面に集中している素振りをした。バルゼルトは小姓が下がるや否や、荒削りの岩のような顔をさらに険しくする。


「……姫、すぐに宮殿へ帰られた方がいい」


「え?」


「姉君の襲撃事件の件……首謀者と思しき者が、ディオス皇帝陛下の元に召し出されたそうだ」


「捕まったのですか!?」


「いや……これから尋問を受けるようだ」


 あの事件は下手人がその場で死に、それ以上の証拠もなく、永久に真相は闇の中か――と宮廷では噂されていた。まさか今になって犯人が挙がるとは思わなかった。それも捕縛される前に、皇帝が直々に尋問するというのなら、相手は立場がある大貴族かもしれない。今頃宮廷は大騒ぎになっているだろう。




「それで犯人は誰なのですか?」


 物言いが率直なバルゼルトには珍しく、かすかに躊躇うような素振りがあった。だがカレンを真っ直ぐに見据えて、その名を口にする。


「――妹君のミリエル姫だ」

 

 悪い冗談のようにしか聞こえず、カレンは半笑いのまま、頭を振る。


(ありえない……)

 

 他人からすれば、継承争いの最大のライバルである姉を亡き者にせんと、妹が犯行を企てるという筋書きは想定内のものだろう。だがカレンはミリエルという人間を、妹の性格をすでによく知っている。


 気位が高いのも、辛辣な言動も、すべて寂しさと思慕の裏返し。本性は年上の兄姉に置いてかれまいと、懸命に努力している健気な娘だ。

 

 イヴリーズの殺害を企てるなど絶対にありえない。あるとすれば、彼女の祖父トランドン伯の陣営の者が企てに失敗して、ミリエル自身に疑いが向けられてしまっているか。あるいは別勢力がミリエルに罪を擦り付けたかだ。


(とにかく状況を早く聞かないと……)




 カレンは立ち上がり礼を取る。


「……殿下、お暇申し上げます。宮殿に帰り、私が陛下にミリエルの潔白を訴えてみます」


 それにどこまでの意味があるかはわからないが、黙って見過ごすわけにはいかなかった。


「そうか」


 ミリエルの為人ひととなりや、自分たち姉妹の関係性を知らぬはずだが、バルゼルトはカレンの言葉にすんなりとうなずいた。


「よいか、姫。どんな時も状況と己の立場を見極め、数手先を読み行動しろ。そしてすべての策を講じた上で、勝負を決する一手は己の心に問うといい――いつかその日が来ても、悔いることのないように」


「はい、バルゼルト殿下。――ご指南ありがとうございます」


 バルゼルトの言葉を噛み締めながら、カレンは強くうなずいた。







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