52、兄との決別
「なぜ、あんな無茶をした!?」
人気のないところに辿り着くと、グリスウェンは開口一番そう言った。
バルゼルトほどではないが上背があり、任務の中で部下を叱責することに慣れた、グリスウェンの怒号はさすがに迫力があった。
カレンは緊張に冷や汗をかきながら答える。
「あ、兄上には申し訳ないと思ってるよ。でも――」
「どんな事情があろうとやり過ぎだ! バルゼルト殿下がお許しくださらなければ、お前は責任を取らされ、皇太子候補から降ろされていたかもしれないんだぞ!」
「そこはまあ……バルゼルト殿下は、あれで冷静な人に見えたし……」
バルゼルトはカレンの暴言を聞き、自分を置いて、真っ先にシレナへの侮辱に憤っていた。そして咎める時も、カレンを『子供』だと言った。子供でも相応の責任の取り方ある、と。あの激高した場面であっても、自分に恥をかかせた『敵』ではなく、大人が叱咤し反省を促さなければならない『子供』としてカレンを扱ったのだ。
感情のままカレンを糾弾し、侮辱への意趣返しをすることもできたはずだが、大人の男として婦人を守り、若年者を導くことを選んだ。それでバルゼルトが粗野な見た目とは裏腹に、知性的で道理を通す人間なのだと確信できた。
「それに王子ってメンツがある以上、女で子供の私を脅すようなマネはしないかなーって……」
「そうでなかったらどうしていた!? なぜわざわざ危険な橋を渡るような真似をする!心配する周りの者の気持ちを考えたことがあるか!?」
カレンははっとして言葉に詰まる。
それは以前ロウラントにも指摘されたことだ。いつもの陽気な言動が嘘のような、容赦のない叱責に、返す言葉を失ったカレンにグリスウェンはなおも言う。
「失敗しても自分が責任を取ればいいなどと、思い上がっていないか? お前に仕える者たちや期待をかける人々が、どれほど心を砕いていると思う?」
「……わかってる。ロウ――従者にも、自分で自分を賭けてるって指摘された……」
「それは少し違うな。お前が担保にしたのは、周囲の人々のお前への信頼だ」
その言葉にカレンはぎくりとする。
グリスウェンは冷ややかな眼差しでカレンを見下ろして言う。
「確かにお前は洞察力に長け、人を動かす資質もある。だが周りを顧みず、己の才覚をひけらかしていい気になっているようでは、まだまだ幼いな」
手痛い指摘に、カレンの頬がかっと熱くなる。
「だったら――! 兄上だったら、シレナ様の状況を変えて、バルゼルト殿下の面目を保つことができたの!?」
「何?」
「兄上だってシレナ様を助けようとしていたでしょう? でも兄上が助けても、またあの人は後ろ指を指される! その場しのぎの手助けなら、そんなの兄上の自己満足じゃない! 兄上には絶望に沈んだ人を救うことができるの!?」
グリスウェンの目の下に強く皺が刻まれた。見たこともない兄の表情に、カレンはしまったと思う。先程のバルゼルトの台詞が思い出される。――一度口をついた言葉は取り消せない。
「そうだな。俺はお前とは違う……」
その言葉の響きに、カレンは違和感を抱く。
「俺なら気の毒な夫人の立場と、俺に寄り添ってくれる人の未来を天秤にはかけない。自分の手中に収めて置ける程度を履き違えたりもしない。守るべきものを守るため、切り捨てるべきものは切り捨てる。――それは例え妹のお前であってもだ、カレン」
「え?」
「俺の忠告は不要のようだな。ならば好きにしろ」
「兄上……?」
カレンが思わず伸ばした指先が空しく空を掴む。振り向きもせず、早足で去っていくその背は完全にカレンを拒絶していた。
あの日の夜会での出来事はしばらくの間、人々の話題となって宮廷中を巡った。
夫と自らの名誉を守り抜いた、フィンシャー男爵夫人。騎士道に則り夫人を守り、皇女をいさめたバルゼルト王子。そして自らの名誉を投げ打って、妹を庇おうとしたグリスウェン皇子。二国を跨いだ問題になると思われた騒ぎは、結果的に関わった人間の株を上げて終わった。唯一カレンディア皇女以外は。
それもしばらくすると、「あれは皇女が一芝居打ったのでは?」という噂が、ちらほら聞こえるようになった。本来なら誰に対しても愛想が良く、機転の利く皇女ならあり得ない話ではないと、納得する声も多く上がった。
結局真相は分からぬままだったが、次々と新しい話題が飛び込む宮廷において、人々の興味は少しずつ移ろっていく。
夜会から一月が経った。
話題の中心はグリスウェンとカレンディアであることは変わりないが、少し傾向が違っていた。泡沫候補と目されながら、急激に頭角を現してきた同母の兄妹。華やかな雰囲気を持ち、人好きされる性分がよく似た二人だが、選帝会議が迫るこの時期になり、不穏な噂が流れるようになる。
――夜会でお二人が口論になっているのを聞いとか……。
――先日の宴でも、形ばかりの挨拶だけで目も合わせられなかったのよ。
――皇子殿下は妹君の呼びかけを公然と無視されていた。
同じ母から生まれた兄と妹は、今や敵対関係にある、と。




