50、あと一手
再びカレンの先行で始まる。
しばし二人は黙ったまま駒を進めていく。明らかに前の二局とバルゼルトの指し方が変わった。最初から遠慮のない攻めの姿勢だ。
「それと殿下。女性はふいに距離を詰められたり、殿方の大きなお声や笑い声を怖く感じる時があります。……例え悪気がなくともです」
「今後は気を付けよう」
バルゼルトの淀みのない指し手に対し、カレンは長考する時間が増えた。
「姫、シレナ殿に謝罪されよ。そなたの意図はどうあれ、侮辱は侮辱だ」
「ええ、わかっております。許していただけるかわかりませんが」
「それでも誠心誠意謝罪すべきだ。一度口をついたものは取り消せない。だからせめて心を尽くすべきだ」
「はい。そういたします。もちろん殿下にも」
「いらん。私に謝罪は不要だ」
そっけない言葉だが、そこに怒りは感じられなかった。カレンは王子に向けて小さく笑いうなずく。
「――ところで、シレナ様には男のお子様がいるのでしょう?」
「ああ。二歳になるそうだ」
「何かの折に親子でお誘いしてみては? お子様が喜びそうな場所に連れて行かれるとか」
「子供か……苦手だな」
「私が知っている国の言葉に、将を射んとする者は……欲すれば、だったかな? とにかく、先ず馬を射よ、という言葉があります。お子様の攻略は肝要かと」
「なるほどな。ところでそなたは『騎馬』も『将軍』も失ったぞ。また王手だが……さて、どうするべきだと思う?」
カレンディアは首をひねってしばらく考え込んでから、自信なさそうに言う。
「投了……で、合ってます?」
出来の悪い生徒が、ようやく答えにたどり着いたかのような――そんな顔でバルゼルトは腕を組んでうなずいた。
「その通り。もうどのように動かしても『王』の逃げ道はない。そなたの詰みだ」
カレンが両手を広げて肩をすくめる。
「参りました。私の完敗です」
「参ったのはこちらの方だ。……これだから子供相手は苦手なのだ」
ひどく疲れたように、バルゼルトは肩を回した。
沈黙したまま成り行きを見守っていたグリスウェンが、緊張感から解かれたように深く息をついた。バルゼルトがすでに怒っていないことは明らかだったとはいえ、さぞ肝が冷えただろう。
グリスウェンはロウラントに向かって声をかける。
「――フィンシャー男爵夫人を呼んでくれ」
「かしこまりました」
どこか楽しそうに盤上を指さし、バルゼルトにあれこれ質問しているカレンを見やりながら、ロウラントはその場を離れる。
シレナは少し離れた場所で椅子に座っていた。精も根も尽き果てたように、真っ青な顔でうつむいている。もともと気丈には見えないこの女性が、一世一代の勢いで皇女を怒鳴りつけたのだ。無理はない。その周りを幾人かの婦人たちが、気遣わしそうに取り囲んでいた。
「本当にご立派でしたわ、男爵夫人。毅然と皇女殿下をお諫めになるなんて」
「貞女の鑑ですわ」
「亡くなったご主人を本当に愛してらしたのね」
女性たちは口々に、シレナの勇気ある行動を褒めたたえている。シレナの背をさするのは、先ほどまで彼女を悪く言っていた婦人だった。状況がうまく動いたことに胸を撫で下ろす。カレンが自分の株を下げてまでしたことに、価値はあったようだ。
泣き崩れ他人に庇われるだけの人間には、いずれ誰も同情しなくなる。自らの意志で立ち上がろうとする意思がなければ、周囲からは認めてもらえない。ロウラントの忠告をすぐにカレンは解した。
施しを与えるだけでは、君主の務めにはならない。民が自らの力で生きられるよう促すのが、人の上に立つ人間がすべきことだ。
誇らしくあると同時に、ロウラントの胸中にやるせなさが込み上げる。間違いなく素質はある。あともう少し時間さえあればと。
(せめてあと一手、何か兄弟姉妹たちに届きうる物さえあれば……)
かつての取るに足らない《ひきこもり姫》は、『成る』可能性を確実に秘めていた。
(……もう潮時だな)
ロウラントは諦観じみた想いで、静かに覚悟を決めていた。もう手段を選んでいる時間はない。生涯秘匿し続けようと思っていた、正体をさらけ出すことになっても、二度と戻ることはないと思っていた表舞台に、引き戻されるはめになっても、カレンの後押しになるのなら、それでいいと思えた。
おかげさまで本編50話まで到達しました。いつもお読みいただき、ありがとうございます。
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