49、盤上の駆け引き
野外に準備されたテーブルの上に、木製の戯盤と赤と白に塗り分けられた陶器の駒、そして持ち時間を計るための砂時計が並べられた。カレンとバルゼルトが合い向かいに座る。傍らで見ているのはロウラントと、すっかり青ざめているグリスウェンだ。
「姫が先行で構わん」
「では、遠慮なく」
カレンは赤の『歩兵』を一歩前へと動かす。迷いのない手つきだ。そこにロウラントはかすかな違和感を覚える。そして次に回ってきた二手目は、わずかな間もおかない早指しで、違和感は疑問に変る。そしてさらに続く三手目で確信した。ロウラントは顔に表情が出るのを隠すため、とっさに手で口を覆う。
(この人は――……)
バルゼルトはまじまじと盤上を見つめると、やがて腕を組んで、重々しく息をついた。
「……姫、一つ聞いていいか?」
「はい」
「なぜシレナ殿にあのような暴言を吐いた?」
「あの場では必要なことだと思ったからです」
バルゼルトは盤上から視線を上げ、カレンの様子をうかがい、
「……そうか」
白い駒を動かした。
何手目か巡った後、ふいにカレンは長考した後、真剣な眼差しをバルゼルトに向ける。
「わたくしも殿下にお聞きしたいことがございます」
「……何だ?」
バルゼルトが気だるげに頬杖を付き、小首を傾げたカレンを見やる。
「『騎馬』の駒はどのように動かせるのでしょうか?」
ロウラントは静かに天を仰いだ。星が綺麗だな、と場違いなことを考える。思わず現実逃避したくなった。そう、カレンは間違いなく――。
(……ずぶの素人だ)
いや、それ以前の問題だ。ろくに駒の動かし方すらわかっていない。しかもあまつさえ対戦相手にそれを聞くとは。
甘かった、とロウラントは歯噛みする。カレンを理解しているなど、思い上がりもいいところだった。同じく成り行きを見守っているグリスウェンを見れば、怒っているとも呆然としているともつかない。完全に表情が抜け落ちている。……気の毒なことだ。
一方、バルゼルトは特に動じた様子もなく、「ふむ……」とつぶやき盤上を示す。
「これは斜めに飛び越えて動ける。ここと、ここと――」
「はー、なるほど」
丁寧に説明され、カレンディアは感心したように声を上げる。
「では、ここに置いて――この駒を取ります」
「ほう、それでいいのか」
「あっ……」
『王』を取られ、あっさりと一局目の負けが確定した。カレンは頬を掻く。
「……負けてしまいましたね」
「よし。では、次だ」
バルゼルトは淡々と駒を並べ直す。
二局目はバルゼルトが先行で始まった。駒が動く音が静かに響き続ける。すでにカレンが素人以下であることはわかっているはずだが、バルゼルトは特に動じた様子はない。
「そういえば、王子殿下はシレナ様に本気で求婚されるつもりですか?」
カレンの問いにバルゼルトはすんなりと答える。
「もうした。何度も。その度に断られている」
「それはそうですよ。シレナ様には守るべき若君と所領があるのですから」
カレンは駒を指しながら苦笑する。
「それが? 婚家の男爵位などに固執する必要があるか? 私とドーレキアに来て婚姻を結べば、義理の息子になる子供には、子爵位でも伯爵位でも好きなだけ与えてやる」
カレンは少し考えて問う。
「シレナ様が守るご領地や、亡くなった夫君のことを聞いたことがありますか?」
バルゼルトはしばし考えてから、「ない」と首を振る。そして、ついでのように駒を進める。
「私と出会う前とはいえ、彼女の口から他の男との生活を聞くのは……業腹だ」
「それでも聞かれた方がよろしいかと思います」
「なぜだ?」
「シレナ様が大切に思う物を、殿下が尊重される姿勢を見せれば、安心なさいます。そもそもシレナ様は殿下を怖がられています」
「……自分がご婦人に好まれる面相でないことは、よくわかっているさ」
「と、いうよりその……失礼ながら、厳ついお顔で恫喝されまいかなどと、想像してしまうのです」
バルゼルトは鼻を鳴らす。
「私はご婦人を怒鳴りつけたことはないぞ。……むろん無礼な子供は別だ」
「でもそういうことは、シレナ様の立場からはわからないのです。目に見えぬ、闇に潜むものを恐れるのは当然でしょう。だから殿下のこと理解していただけるよう、ご自身のことやお国のことも、もっとお話しして差し上げてください」
バルゼルトが難しい顔で考え込む。もちろんその思考が盤上にないことは明らかだった。
「……この国の貴族が、ドーレキアを蛮族の国と呼ぶのは知っている」
「それも知らないからです。少なくとも私は殿下の国では極光が見え、温泉が多く、漁場では魚がたくさん獲れる、豊かで美しい国であることを知っています」
ロウラントははっとする。いつか自分がカレンに話したことだ。
「我が国の温泉の蒸気で蒸した、肉や魚料理は絶品だ。――姫、時間」
「あ、はい」
カレンはほとんど砂が落ち切っていた砂時計を示され、駒を動かし、自分の手を終える。
「それで――えっと、どこまで話しましたっけ?」
「我が国の料理はうまい」
「ああ、そうでした。だから私は殿下の祖国が蛮族の国などと思いません。シレナ様にもそのことを話してあげてください。そして殿下もシレナ様のことを、お聞きになればいいのです。好きな物とか考えていることとか、何でもいいからシレナ様のお心に添ってください」
会話の間も両者は駒を進め続けた、盤上に残る駒は大分減っている。
「そうすれば、私の申し出を受けてくれると?」
「それはわかりません。でも心は開いてくれると思いますよ。その後またじっくり話し合えばいいんです。譲歩できること、できないことを」
カレンが迷いなく駒を動かすのを見て、ロウラントは小さくため息をこぼす。この分だと自分に王手がかかることに気づいてない。このまま二勝を取られれば、カレンの負けが確定する。
そのとき、バルゼルトがおもむろに『歩兵』を後ろに下げた。
「おっと、手が滑ったな。私の負けだ」
それは本来なら駒を動かせない場所だった。シャスランでは禁じ手は即反則負けとなる。
「姫、次だ」
「……はい!」
シャスランの名手であるバルゼルトには、絶対にあり得ない失敗。その意図を悟り、カレンはうれしそうに唇を綻ばせた。
将棋でもチェスでもない、似たような何かということで……




