48、賭け
バルゼルトが太い腕をこん棒のように降り上げ、近くの木に叩きつけた。太い幹がへしゃげ、バサバサと大量の葉っぱが落ちてくる。
「もう我慢ならん!」
「取り消してください!!」
小柄な体躯を目一杯に張り、バルゼルトの声に負けぬ勢いでシレナは叫んだ。その姿にバルゼルトですら驚いたようだった。
涙を流しながら、荒く息をついたシレナは訴える。
「皇女殿下と言えど、今のお言葉を聞き逃すわけには参りません。わたくしの亡くなった夫まで侮辱なさらないで! 取り消してください!」
その悲鳴のような訴えに、叫びに辺りがしんと静まり返る。
「いくら皇女殿下とはいえ、今のは……ねえ?」
「落馬事故で亡くなった夫君のことまで……」
男爵夫人に同情し、カレンを非難する言葉があちこちから聞こえてくる。
皇族がその立場から助けに入るのはたやすい。さすがのバルゼルトもルスキエ皇族にいさめられれば、機嫌を損ねるだろうが、シレナからは離れざるを得なかっただろう。だがそれではシレナは、『高貴な人々の同情を誘う計算高い女』として、また口さがない者たちに攻撃される。
カレンの暴言によって、バルゼルトとのやり取りの印象は薄れるだろう。彼女は「落ち度なく皇女にいびられた気の毒な人」として、世間に責められることはない。とはいえ……。
(さすがに、娼婦呼ばわりはやり過ぎだ……!)
「カレンディア!」
怒号に振り向けば、グリスウェンが憤怒の表情で歩み寄って来る。
「何という無礼なことを! 今すぐお二人に謝罪し退席しろ!」
それは一見、妹を容赦なく叱責する兄の姿だったが、グリスウェンの瞳にはどこか労わるような色があった。妹を厳しく処断することで、相手を立て、さらにカレンの立場も守ろうとしているのは明白だった。
「いや、駄目だ」
バルゼルトが顎に手を当てたまま、カレンを睥睨する
「バルゼルト殿下、妹の不始末を兄として謝罪いたします。カレンディアは分別を弁えぬ未熟な子供ゆえ、どうぞご寛恕ください」
頭を下げようとするグリスウェンを制し、バルゼルトは言う。
「それは違うな、グリスウェン殿。たとえ物心つかぬ子供であっても、それ相応の責任という物がある」
バルゼルトはカレンに指を付きけて言う。
「まずは姫の口から、シレナ殿に対する侮辱を謝罪してもらおう」
カレンは怒りに燃えるバルゼルトをきょとんと見つめた後、頬を膨らまして髪を指に巻き付ける。
「わたくしが……? 男爵夫人などに謝罪しますの?」
ふてくされた子供のような態度に、ロウラントも呆気にとられる。さすがに演技が過ぎる。
「カレン!」
諫めるグリスウェンの声にも焦りが滲む。
(止めに入るべきか……?)
さすがにもうロウラントにも、カレンが何を考えているかわからない。だが何か意図があるのは、間違いない。それに、ここで従者の自分ごときが割って入ったところで、収まりがつく話でもない。カレンを信じて見守るしかなかった。
「よくわかった」
バルゼルトが心底軽蔑しきった表情でカレンを見やる。
「姫には自分の言葉の責任を取っていただこう」
その言葉に周りの者たちが息を呑む。王子が宮廷に報告すれば、それは個人の話ではなく、両国の問題に発展する。そうなれば、もはやカレンが頭を下げたくらいで収まらない。最悪は責任を取らされ、カレンは皇太子候補から外されるかもしれない。
「バルゼルト殿下! 妹の不始末は兄である私の責任、お叱りなら私が――」
必死の形相のグリスウェンを制するように、バルゼルトはうるさげに手を掲げる。
「子供への躾だ。貴殿が心配するような話にはせんよ」
そしてカレンに向き直る。
「……さて、姫。そなたは貴婦人に対し、あるまじき侮辱をした。大人の男であれば、皇族であろうと私が決闘を挑み、手ずから叩き切っていたところだ」
「あら、そうですの。では殿下、わたくしと勝負なさいませんか?」
顎を上げて笑うカレンに、バルゼルトはいぶかしげに顔をしかめる。
「勝負だと? 姫君のそなたが私と?」
「何も荒事で勝負をつけよう、という訳ではございません。殿下はシャスランの名手とうかがっております。――わたくしと対局いたしませんか?」
カレンの言葉にロウラントははっと思い出す。
『シャスラン』は東方諸国が発祥とされる、駒を使った盤上遊戯だ。大陸全土で上流階級の嗜みとして知られている。初めてシャスランの存在を知ったカレンは、『元の世界』にも同様の遊びがあると言っていた。
カレンがシャスランを指すところは見たことがないが、『元の世界』によく似た物が存在するのなら、カレンにも腕に覚えがあるのかもしれない。
「ほう、ずいぶん自信があるようだな。――よかろう。では三番勝負でどうだ?」
「構いません。わたくしが負ければ、謝罪でも何でもいたしますわ」
「カレン、何を馬鹿なことを言っている!?」
慌てるグリスウェンとは裏腹に、カレンは余裕の澄まし顔だ。
「わたくしが勝てば……そうですね、シレナ様をいただきましょうか。わたくしの下女に」
カレンの言葉に、再びバルゼルトの太い眉が跳ね上がる。男爵夫人を侍女ならまだしも、下女とはこれもずいぶんな侮蔑だ。
「シレナ殿は私の所有物ではない」
「……結構です」
不機嫌そうにバルゼルトは言ったが、横からか細い声が上がった。当人であるシレナだった。
「バルゼルト殿下が勝利した暁には、先ほどの言葉を取り消してもらえるのなら、わたくしの身を賭けていただいて構いません」
シレナは胸の前で手に組み、きっぱりと言う。今までの弱々しい姿が嘘のような毅然とした言葉に、周囲から感嘆の声が上がる。
カレンは満足そうに口の端を挙げた。




