46、宴の影で
その日は第一皇妃イゼルダの実家、レブラット公爵家が所有する屋敷で、彼女主催の夜会が開かれていた。
造園の趣味を持つレブラッド公爵らしい、田舎の田園風景を模した園庭には、あちこちにカラントラ鉱石の明かりが灯され、さながら蛍の光のように淡く庭を浮かび上がらせている。その風情に「さすがは趣味の良いレブラッド家」と人々は称え合う。
ざわめきと灯りからから逃れるように、ロウラントは屋敷の裏手にある、人気のない暗がりにいた。すぐ傍には庭に引き込まれた小川が流れ、さらさらと心地よい音を立てている。ロウラントの隣には畔の岩に腰かけた青年がいた。今日は仮面姿ではなく、月明かりの下に素顔をさらしている。
「さっきから何を見てるんだ?」
「レブラッド公爵から預かった手紙だよ。むしろあなたが読むべきだなんだけどね」
「……だったら、早く寄越せ」
ロウラントは青年から受け取った手紙に目を通し、しばらくしてから小さく嘆息した。そして手紙を畳んで青年に突き返す。
「いいの?」
「……ああ」
川べりで気持ち良さそうに夜風にあたる青年に、ロウラントは言う。
「お前こそ、ここにいていいのか?」
「え?」
「夜に紛れれば……その、顔だけでも見られるだろう?」
青年は少し考えて、首を振った。その顔は少し寂しげだ。
「いや……今はいいかな」
「そうか」
ロウラントは、それ以上青年を促すことはしなかった。
「……ディラーン商会の方はどうだ。何か掴めたか?」
青年はディラーン商会の伝手を使い、ときどきは夜の闇に紛れ外出し、身分を問わず様々な人々と交流している。他の皇子皇女らに後れを取らない情報を、カレンに届けることができるのは彼のおかげでもあった。
「有力な情報はないんだけど……」
青年が少しためらうように言う。
「例の皇女襲撃事件の犯人――もしかすると、僕の知り合いの中にいるかもしれない」
「……は? 何でそういう重要なことを早く言わないんだ! その目は節穴か? いったい何をしていたんだ!」
語気を強めるロウラントを見て、青年がうんざりとした顔でため息をつく。
「だから言いたくなかったんだよ……僕だって確証があるわけじゃないし。……ただ少し、発言があからさまというか、いよいよ限界が近いというか……煮詰まった感じがあるんだよね」
「あくまでお前の勘という事か?」
「そうだよ。物的証拠もないし、まだロウラントに告げる段階じゃないと思ったんだ」
「そうか。……それならいい」
「誰か聞かないの?」
「お前がまだ必要がないと、判断したんだろ?」
その言葉に青年は苦笑し、ロウラントは小さく舌打ちした。
「俺はそろそろ殿下の所に戻る。目を離すと何をしでかすかわからない」
「すっかり従者が板についたね」
「からかうなよ」
「そういえば、選帝会議が終わったらロウラントはどうするの?」
「どうとは? もちろん殿下の側仕えを続けるが」
青年がかすかに笑った。
「もうあの子が修道院に送られるとは、微塵も思ってないんだね」
「……貴族からの心証も悪くない。皇太子になれなかったとしても、宮廷には残れるだろう。仮に温情がなかったとしても、カレンを籠の鳥にはさせない」
いざとなれば、ルスキエ宮廷の手が届かない所へ彼女を連れて逃げる。他国に逃げてもいい。カレンならどこへ行っても、あの煌めく瞳を曇らせることなく生きていけるだろう。
「じゃあ、またな」
「ああ、そうだ!」
青年の声に、ロウラントが足を止める。
「ドーレキアのバルゼルト王子が来てるよ」
「バルゼルト王子……?」
今は本格的な社交の季節。当然諸外国の要人もやってくる。特に北の大国ドーレキアはルスキエ帝国にとって、数少ない対等な友好国だ。選帝会議が終われば、立太子式もある。バルゼルトは今年二十七になる第二王子だ。国王の名代として式典に出るため、少なくとも年内は帝都に逗留するだろう。
「大丈夫だろう。俺は面識がない」
「そう……でも気を付けて。滞在一か月で、クセのある人物だって有名になってるみたい」
「わかった。ありがとう」
言って、ロウラントは青年の元から立ち去り、再び賑やかな夜会の場へ戻る。
今日は堅苦しさのない立食式だ。客人は思い思いの場で、歓談や楽曲の演奏を楽しんでいる。カレンの姿を見つけ、ロウラントは歩み寄る。
カレンの今日の装いは、青地に白い花柄のドレスだ。隣に立つミリエルの白地のドレスとは、色違いで型がまったく同じ対となっている。今日は姉妹で二重唱を披露する予定だった。調度歌い終えた直後のようで、二人の皇女の周りにはたくさんの人が集まっている。
最近のミリエルは憎まれ口を叩きつつも、カレンと一緒にいることが増えた。幼少時はとても仲が良かったこともあり、周囲も末の姉妹の仲の良さを、当たり前のように受け入れていた。
姉妹は周囲に相槌を打ちつつ歓談しているが、ときおり同じ方向にちらちらと視線をやっている。ロウラントは給仕から軽めのワインを受け取ると、カレンの元へさりげなく近づく。
「――殿下、グラスを」
空になったカレンのグラスと交換しながら、ささやく。
「……何か問題が?」
「私じゃないんだけど……」
カレンが視線を向ける先には、男たちの集団が酒杯を手に、大きな笑い声を上げている。その衣装からして、話に聞いたドーレキアの王子とその一行だろう。
ルスキエと違い、ドーレキアでは高貴な身分に生まれた男子には、武役の義務がある。つまり王子も貴族も皆武人だ。男たちはいずれも背が高く筋骨隆々で、その迫力にルスキエの貴族たちは遠巻きになっていた。
ドーレキア一行は武人らしく、声や身振りがいささか大き過ぎるものの、礼節を欠いているというほどではない。
しかしふと、周囲より一際背の高い男の側に、小柄な女がいることに気づいた。木を背にした女は、男から何かを熱っぽく語りかけられている。木と男に挟まれ、逃げ場を失った小柄な女は、体を震わせ青ざめた顔を背けていた。
カレンがそっとロウラントに耳打ちする。
「――ドーレキアのバルゼルト王子。一緒にいるのは、フィンシャー男爵夫人シレナ様」
「王子? あれが?」
「うん、あれが王子」
主従は生真面目な顔で言葉を交わし、同時に王子だという男にもう一度目を向ける。
本日中にあと2話更新予定です




