41、あの日のこと
2023/05/02 誤字修正
「……私が十歳の頃、お母さんは事故に遭ったの。買い物に行く途中私と一緒に並んで歩いてて、気がついたら大きな音がして――お母さんはいなくなってたの」
歩道を歩いていた親子の元に、居眠り運転の車が飛び込んできた。近くの店に突っ込み、煙を上げる車にしばし茫然とした後、ふと隣にいたはずの母の姿がないことに気づいた。誰かの叫び声に振り向けば、母は信じらないくらい遠くに飛ばされていた。
「車にはねられたお母さんには、お腹に赤ちゃんがいたの。……私には妹がいるはずだった」
最後の瞬間、母はお腹を庇ったのだろう。母の両手はお腹を抱きしめるような形になっていた。母は助かる見込みがないと判断した医師たちは、赤子だけでも救命しようとしたが、小さな命はついに産声を上げることはなかった。
「……そうでしたか」
カレンの話を聞き終えたロウラントはうつむく。
「お母さんが死んで、お父さんともうまくいかなくなっちゃった。……わからなくはないけどね」
父は『お前だけでも無事でよかった』と泣いたが、運命の差は紙一重だった。死んだのがカレンで、母と妹が生き残った未来を想像してしまうのは仕方ないことだった。むろん父は自分を責めるようなことは言わなかった。ただ時折、自分を見つめる父の目に非難の色が見えた。それが耐えられなかった。
考えてみれば、妻に続いて娘まで交通事故で失うとは、傍から見れば不運な人だ。だがこの瞬間までそれに今まで思い至らないほど、父と娘の関係は隔たったままだった。
「しばらくしてお父さんは再婚することになったから、私は一人で家を出たの」
一番に愛してほしかった人たちを永遠に失った。だからアイドルになって、誰かの一番は無理でも、せめてたくさんの人に愛し愛されようと思った。
「この世界に来て、いろいろ戸惑うこともあったけど、うれしいこともたくさんあったんだよ。『きょうだい』と暮らすのが、私の十歳の頃からの夢だったから」
一人っ子として育てられたカレンは、ずっと妹の誕生を心待ちにしていた。その願いは永遠に果たされることなく、朽ちて心の片隅にこびりついたままだ。
「申し訳ありません。……配慮が足りませんでした」
「ロウは悪くないよ」
思いがけず沈んだ声のロウラントを取りなすように、カレンはできるだけ明るく言った。
ロウラントがカレンを奮起させるため、わざと怒らせたことには、もう気づいていた。甘い言葉で悲しみに耽溺させるのではなく、自らの力で困難に立ち向かわせるために。
思わず苦笑がこぼれる。
初めてロウラントのことを哀れだと思った。人間関係を作るのが下手だと彼自身も言っていたが、わかる気がする。ロウラントは決して無情な人間ではない。ただその優しさが不器用というには、あまりに苛烈過ぎる。
きっと誰もロウラントの本質を理解できないし、受け止め切れないだろう。――カレン以外には。
「……あなたが何か深い傷を抱えている可能性を、俺も薄々は感じてはいました」
「そうなの?」
カレンは目を丸くする。
「ご自覚はないようですが、殿下は時々ご自身を賭けて、勝負に出るような危うい所があります」
「ええぇ……そんな自暴自棄な真似した覚えないんだけど」
「自暴自棄とは少し違いますが、『目的が叶わないなら、後のことはどうでもいい』と思っている節はあるでしょう?」
「そんなことは――……なくは、ないかも」
現状、春宮カレンとしての生の終わりを受け入れてしまっている。アイドルとしての道が断たれた悔しさはあるが、やるべきことは全力でやった結果で、妙に晴々とした感情があるのも本当だ。
「絶望を経験した人間にはあることです」
「ロウにもあるの?」
カレンの指摘にロウラントはかすかに笑う。
「そんな大げさなものじゃありませんよ。でも信じていたものがまったく違っていたとき、俺は残りの人生おまけのようなものだと思いました」
「今も?」
「いいえ。今は為すべきことを為すために、この人生があると思っています。そしてそのためには殿下、あなたが必要です」
まっすぐな視線で言われ、カレンの胸に熱い物が灯る。
彼の為すべきことはあえて聞かない。彼の答えが何であっても、カレンにも為すべきことがあり、それは揺るぐことはない。この世界で今度こそ、愛し愛されると決めたのだから。
「ロウ、ごめんね。でもありがとう。もう大丈夫だから」
「はい。そのようですね」
ロウラント安堵したように息をついて立ち上がる。
「……今は兄上と姉上を信じる」
状況は何も変わっていないのに、不思議と希望を持つことができた。
フレイが用意した外出用のドレスに着替えると、ロウラントと何気ない会話を続けた。ロウラントはかつて、数年かけて諸国を旅した話をしてくれた。彼の過去はあまり聞いたことがなかったので、少し意外だった。
火山帯と氷河の海がある炎と氷の国。砂漠に眠る古代王国の遺跡。湖の浮島に領土を持つ小国。ロウラントが見聞きしてきたことを、カレンは時々質問を交えながら静かに聞いた。こんな時だからこそ、日常のような会話で平常心を保たせたいという、彼なりの気遣いに甘えることにした。
やがてどれくらの時が立ったか、離邸の扉が叩かれる音があった。
「私が行く」
ロウラントたちを制し、自らの足で知らせを聞きいく。扉の向こうにいたのは、先ほどの侍従だった。急いできたのだろう、ぜーぜーと息を整えるその間すらとても長く感じた。
「――峠を越えました。グリスウェン殿下の容体は良くなっております」
その言葉に張り詰めていた物が切れたように、カレンはその場にへたり込む。
「ほ、本当に……?」
「意識はまだお戻りではありませんが、そう遠くない内にお会いになれるでしょう」
よろしゅうございましたね、と笑みを浮かべる侍従に、カレンはボロボロと涙を零しながら、何度もうなずいた。
※※※※※※※※※※
ふと気づくと、肘置きから体が崩れそうになった。はっとして椅子に座った身を起こすが、どうも体に力が入らず、頭がぼんやりする。多分発熱しているのだろう。
あれほどの重症者を死の淵から引き上げたのは初めてだった。何時間も絶えることなく、『祝福』を行使し続けたのだから、この疲労感も当然だ。
目の前の寝台で、静かに横たわっていたはずの青年が身を捩るように寝返りを打ち、ゆっくりとその瞳を開けた。あのいつもの太陽のような輝きが嘘のように弱々しいが、確かにその瞳は焦点を結び、自分の姿を捉えようとしていた。
「スウェン!」
イヴリーズは弾かれるように床に跪き、グリスウェンと視線を合わせる。
「私がわかる、スウェン? よく頑張ったわね」
幼い頃よくそうしたように、その髪に指を差し入れ梳いてやる。乾いた血でごわついていたが構わなかった。
グリスウェンのひび割れた口唇が動く。何か言葉を紡ごうとしているのがわかった。
「……何?」
任務の最中煙に巻かれたと聞いた。おそらく喉もひどく傷めているのだろう。声にならない空気が漏れる。
「……イヴ……ど、う……」
その言葉を聞き取ろうと、耳を寄せたイヴリーズは凍り付く。
それは聞き間違えだったのかもしれない。あるいは意識が朦朧としている人間の、意味をなさない言葉だったのかもしれない。
ふと見ればまた眠りに落ちたのか、グリスウェンの瞳は固く閉ざされていた。残されたイヴリーズは荒野に一人放り出されたような孤独感に、ただ目を見開いたまま立ち尽くしていた。
※本日中にまた数話ほど更新する予定です。
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