39、急展開
カレンは夕食後にロウラントを呼び、昼間の出来事を話した。
「――ってわけで、ミリー陣営が犯人の線はないかなーって思うんだよね」
カレンは果実酒のグラスを傾けながら言う。
ルスキエでは飲酒に関して年齢制限はない。最初は戸惑ったが、多少の嗜みは作法の内と言われ、軽めで口当たりのいい果実酒を夕食後に飲むようになった。
一人で飲むのもつまらないので、ロウラントかフレイを付き合わせるのが大抵だ。二人はアルコールに強い体質なようで、特にロウラントはいわゆる『ザル』というやつらしい。カレンがようやく一杯のグラスを飲み終える間に、淡々と自分のグラスを空け続ける。それなのに顔色も口調も何一つ普段と変ってない。……つくづく可愛げのない男だ。
カレンの話を聞き終えたロウラントは、まだ琥珀色のブランデーが残るグラスを置き、少し考えて言う。
「そうなれば怪しいのはイクス教団――大司教一派でしょうか」
ロウラントの言葉にカレンはぽかんとする。
「……どうして後ろ盾の大司教が姉上を?」
「お茶会での話から察するに、大司教からすればイヴリーズ殿下は従順とは言えません。彼らが欲しているのは、あくまで教団を優遇する皇帝です。修道騎士団を味方に付け、あからさまに自分を蔑ろにし始めたイヴリーズ殿下を、大司教はもはや厄介者とみなしている可能性があります」
カレンはますます首をひねる。
「だからって命まで狙う?」
大司教からすればイヴリーズは実の姪だ。
「それに姉上がいなくなったら、他の人が皇太子になっちゃうよ。大司教に有利になるわけじゃないでしょう」
「ですから、彼らはこのように手を打ってきました」
ロウラントはテーブルの上に手紙の束を置く。
「ここ最近また挨拶状や招待状が増えました。殿下の努力の成果でもありますが……」
成果とは、社交に力を入れた結果だ。四月の舞踏会以降、時間の許す限り、お茶会や宴の誘いには顔を出している。もちろんカレンディアの顔を売り、人脈を作るためだ。ロウラント曰く、短時間で老若男女問わず相手の懐に入り込めるのは、カレンの才能だという。
握手会なら秒単位で行わなければならないことを考えれば、じっくりと話ができるパーティーで、自分を売り込む方がよほどたやすかった。
これから夏から秋にかけて、ルスキエは本格的な社交シーズンとなる。諸外国の要人も宮廷に多く出入りするその季節が、カレンの勝負しどころとロウラントは考えているようだ。
『帝国』の歴史は、侵攻と支配から成り立っている。周辺国との関係はあまり良好とはいえず、だからこそ外交は重要だ。もしカレンが外国の要人に尻込みすることなく、堂々と渡り合う所を見せられれば、風向きが変わる可能性があると、ロウラントは言った。
「選帝期間終盤でこの展開があることは想定していましたが、修道騎士団の件で、事態がより早く動いたようです」
「どういうこと?」
カレンは封筒の差出人を一枚一枚確認しながら問う。
「そこにある半数以上が、大司教と懇意の貴族の名前です。彼らは殿下との繋がりを作りたがっているんです」
ややあってから、カレンはその意味を理解する。
「それってまさか――」
「イヴリーズ殿下のように賢しくなく、見目や人当たりの良い殿下は、新たな神輿として担ぎ上げるのに丁度いい……と考えているのでしょう」
「姉上と違って、私ならうまく操れそうってこと?」
「はい」
それを聞いたカレンは、何となく手に取った一枚の封筒を、曲げては伸ばし手の中で玩ぶ。
「……その人たちの援助を受けるべきかな?」
「殿下次第です。皇太子の座を勝ち取るためなら、少しでも多くの支持を得ることは有効でしょう」
「ロウ自身の意見は?」
カレンはロウラントの顔を覗き込むが、すぐ体を引く。
(おっと……)
その目が完全に据わっていた。
「……これはあなたに対する愚弄です。自分たちが声をかければ、殿下ならいそいそとイヴリーズ殿下の後釜に座ると? 侮るにもほどがある」
「やっぱりそうだよね」
「あなたの本当の価値を知らない、馬鹿共に付き合う必要はありません。そもそも大司教たちの手を借りて継承争いを勝ち抜いても、厄介な種を残すことになるのは目に見えています」
「そうだね……」
カレンは思わず笑みをこぼす。冷静なはずのロウラントが、カレンのために本気で怒りを覚えていることがうれしかった。
「……私は自分を推してくれた人に、幸せになってほしいんだよね」
この娘がいるから、今日も明日も辛いことも乗り越えていける。そういう存在になりたかった。それはアイドルの頃から変わらない指標だ。
「でも大司教の手を借りたら、それは難しいんだよね?」
「はい」
「じゃ、いらない」
カレンは封筒から指を放し、テーブルの上に落とした。
「思わせぶりな態度を示し、彼らを混乱させる手もありますが」
「ううん。無視で行こう」
人に喜んでもらうのは好きだが、媚びるつもりはない。それをはっきり示しておきたかった。
「拒絶を示すことで、殿下が危険に巻き込まれる可能性があることは、頭の隅に置いて置いておいてください」
「他の人たちに利用される前に、消しちゃおうってことだよね……それは前に姉上にも注意された」
元から目立てば、危険も増すことは覚悟の上だ。そのレベルに達しなければ、継承戦で勝てないことも。
カレンは先ほどテーブルに放り投げた封筒を爪で弾く。
「これはいらない。そっちの手紙の束も大司教に関わる物と分けておいて」
テーブルの上を滑る封筒を受け取って、ロウラントがその宛名をまじまじと見る。
「……ご自分でされたらどうですか?」
「え?」
ロウラントが封筒の宛名をカレンの目の前にかざす。
「これが読めたから、『いらない』とおっしゃったのでは?」
カレンは奪うように封筒の宛名を見る。
読み書きの勉強は続けていたが、社交が忙しかったため、あまり進んでいるとは言えない。まだ幼児向けの本を読むのがせいぜいだ。文法の習得も簡単ではないが、意外にも一番困ったのは、人の名の読み方だ。様々な文化が入り混じったルスキエでは、人名の読み方にいくつもの規則性がある。
例えば『ロウラント』という名前は、帝都周辺部では一般的な男子名らしいが、綴りの末尾に一文字付け加えると、まったく音の違う西部領の女性名になる。見慣れてくれば、この名前は中央風、あれは南部風に発音するなどと、何となくわかるようだが、カレンにはまったくそれが理解できない――はずだった。
今までなら、不可思議な文字の羅列としか認識できなかったものが、今は名前と確かにそうとわかるし、読むこともできる。
宛名には、熱心なイクス教徒として記憶している子爵夫人の名前があった。
「……いつからですか?」
「今気づいた!」
「ディア様の頃の記憶が、少しずつ戻ってきているのでは?」
お茶会の日以来、見知らぬ光景が浮かんでくることはなかったが、知識も記憶には違いない。
「そうなるのかな……?」
「よかったじゃないですか」
ロウラントの口調は、どうでもいいことのように淡々としていた。彼が以前、カレンの言い分をすべて信じているわけではないと言っていたことを思い出す。
「ほ、本当だって! 今まで本当に読めなかったんだから!」
大声を出すカレンに、ロウラントは面倒くさそうな視線を向ける。
「はい、そうですね」
「信じてないでしょ!」
「どっちでもいいですよ。要は俺が全部引き受けていた、手紙の整理はお役御免と言うことでしょう」
「あ――」
ロウラントは手紙の束をカレンに付き返す。
「一つ忠告しておきますが、その手の仕事は小まめにやらないと後が辛くなりますよ」
素っ気ない口調の割には、薄く口元に乗った笑みは柔らかかった。
まだ中身の残ったグラスを持ち上げ、ロウラントは立ち上がる。
「俺はそろそろ下がらせてもらいます。……仕事が減ったおかげで、睡眠時間を確保できそうだ」
「言わなきゃよかった!」
ロウラントが扉に向かうと、急に外からドアが叩かれた。




