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元地下アイドルは異世界で皇帝を目指す!  作者: 烏川トオ
第1部 2章 クロス・フェード
40/228

36、皇家の血


※流血、残酷な表現があります。ご注意ください。


2022年9月20日 誤字訂正




 昨日、イヴリーズは貧民街で何者かに襲撃された。


 どうしても救済が必要な人々の現状を、この目で見てみたいとグリスウェンに前々から相談していたのだ。帝都守衛騎士団に属する彼ならが、帝都の隅々までよく知っている。


 宮廷を通せば、絶対に許可は出ないとわかっていたので、周囲には秘密の上での行動だ。グリスウェンは難色を示しつつも、イヴリーズの熱意に押される形で同意した。そして実行日が昨日だった。




 同行者はグリスウェンと、イヴリーズの従者である女騎士ジュゼットの二人のみ。もちろん素性を隠してのお忍びだ。イヴリーズは周囲の目を誤魔化すため、念のため一度高級店が立ち並ぶ通りを目指してから、途中であらかじめ準備しておいた簡素な馬車に乗り換え、服も質素なものと取り換えた。


 街で待機していたグリスウェンと合流し、貧民街の外れまで馬車で移動すると、そこから先は徒歩で進んだ。その区画に足を踏み入れて、すぐ凄惨さに言葉を失った。予想以上に酷い場所だった。




 鼻の曲がりそうな臭気と、淀んだ空気が立ち込める狭い路地には、力なく物乞いをする病人や、汚物の隣に寝転ぶ子供の姿があった。


 髪を帽子の中に入れていたため、背の高いイヴリーズは細身の青年に見えたのだろう。昼間から肌も露わな娼婦に、幾度となく声をかけられた。同じ帝都でも大通りから少し隔てただけで、ここまで違うのかと衝撃を受けた。




 しばらく辺りを歩き、橋げたの下を通りかかった時だった。幼い子供たちの集団が、金品や食べ物をせがんできた。わざと汚した服をまとっていたにも関わらず、やはり見る者が見れば、住人との違いは隠し切れないらしい。


 グリスウェンとジュゼットが子供を押し留めている間に、イヴリーズに先を促した。二人から少し距離ができた時、前方から片足を引きずった小柄な男が近づいてきた。また物乞いかと思いつつ、相手が不具の身であることに油断していた。


 イヴリーズとすれ違い様に、男が睨めるように顔を覗き込んだことに気づいた。視界の端で煌めく物を認識すると同時に、イヴリーズは強い力に腕を引かれ、放り出されるように尻もちをついた。そしてかすかな熱を帯びた左腕に触れると、ぬるりとした感触があった。赤く染まる自身の指を見て、イヴリーズは初めて命を狙われ、切りつけられたのだと気づいた。




 恐怖に硬直する眼前で、男が再び短剣を振り上げたときだった。


「おい、お前ら何をしてる!?」


「ここが誰の縄張り(シマ)か、知ってんのか!?」

 

 偶然通りかかったならず者たちを、こちらの新手と勘違いしたのか、襲撃者の動きが止まった。その一瞬の隙、グリスウェンは外套の下に隠していた長剣を抜き、男を一刀で切り伏せた。


 とっさのことで手加減はできなかったのだろう。何が起こったのか分からぬ顔で、体から吹き出す血を呆然と見ていた男は、数回か細い呼吸を繰り返した後、自身作った血だまりに崩れ落ちた。


 ならず者の怒鳴り声や物乞いたちの悲鳴を背に、イヴリーズはグリスウェンに抱え上げられるように、貧民街を脱出した。




 街の外れに待機していた馬車に押し込まれ、ジュゼットに御者台を託すと、グリスウェンはイヴリーズと共に中に乗り込んだ。息をつく間もなく険しい表情のグリスウェンに、怪我をした腕を見せるよう怒鳴られた。


 縫合は必要だが、命に関わるような深い傷でないことはすぐに判断できた。深層の令嬢らとは違い、イヴリーズは悲惨な怪我を見慣れている。皇家でも稀な、人の傷を癒す『祝福』を持っているため、何度も治療の場面に立ち会ったことがあった。ただ残念ながら、イヴリーズは自分の傷は治すことはできなかった。




 ここで思わぬ行動をグリスウェンが取った。イヴリーズの傷に自分の唇を寄せる。イヴリーズが狼狽したのは一瞬だけだった。すぐに彼が毒を仕込まれた可能性を危惧して、血を吸い出しているのだと知り、再び青ざめる。


 思い返せばあの襲撃者は、しっかりとイヴリーズの顔を確認していた。あれは皇太子候補の暗殺を狙ったのだと、その時ようやく思い至った。




 死の恐怖に硬直するイヴリーズは成すがまま、血を吐き捨てるグリスウェンを茫然と見ていた。グリスウェンはやがて血にまみれた口元を拭いながら、イヴリーズに異常がない様子を見て取り、止血のため傷に布を強く巻いた。


 暗殺者が遅効性の毒を使うことはあまり考えられない。現状で体調に変化がないなら、おそらく最初から毒は塗られてなかったのだろうと判断できた。




 今度こそ生還できた、とほっと息をついていると、ふいにグリスウェンの体が傾いだ。自分の身を阻む異変に、グリスウェンは焦点の合わぬ目で愕然としていた。


 見る間に血の気が引いていく顔に、やはり毒が仕込まれていたのかとイヴリーズは焦る。最初は血を口に含んだせいで、グリスウェンまで被毒したのかと思ったが、当のイヴリーズに異変はなかった。


 ついに意識を失い、イヴリーズの腕の中で崩れ落ちるグリスウェンを支え、必死で名を呼びながら、御者台にいるジュゼットにとある聖堂に向かうように叫ぶ。

 

 以前から懇意にしていた老司教に助けを求めると、彼は心得たように三人を招き入れた。賢明な司教は何も事情を聞かず、グリスウェンの手当てをしてくれた。元々体力があったのも幸いしたのか、数時間でグリスウェンの容体は持ち直し始めた。






 暗殺者に襲撃されたことは、むろん一大事だ。確実に宮廷の中に、命令を下した者がいるだろう。しかし下手人を殺してしまった以上、おそらく首謀者を割り出すのは難しい。宮廷には一部の事情を伏せたまま、この件を報告するつもりだが、真相の解明にはそれほど期待していなかった。


 今朝になり、グリスウェンは体調こそ万全ではないものの、すでに意識は明晰だ。今は暗殺事件のよりも、もっと重大な真実に向き合わなければならない。イヴリーズは覚悟を決めてグリスウェンの元にいる。これから彼にとって、残酷な事実を告げなければならなかった。




 寝台の上で、半身を起したグリスウェンが問いかける。

「……イヴ。一応確認しておくが、あの男の武器に毒は仕込まれていなかったんだな?」

 

 イヴリーズはグリスウェンの傍らに腰を掛ける。長い話になりそうだ。


「ジュゼが凶器を回収したわ。今は私が持ってる。きちんと調べてはないけれど、私にまったく体調の変化はないから、毒は塗られてないと思うわ」


「だったら教えてくれ……」

 その声がかすかに震えていた。


「俺はどうして倒れたんだ? どうして皇子である俺が、お前の血に当てられたんだ?」

 



 皇族だけが持つ血の力。血族以外には猛毒になることは、嫌と言うほど知らされている。イヴリーズも子供の頃から、血の管理にはよくよく気を付けるよう言い含められてきた。それはグリスウェンも同様のはずだ。


 高貴な人間の処刑に賜られる皇族の血は、ミリエルの母であるアンフィリーネ皇妃の処刑にも用いられた。その際出自に疑いを掛けられたミリエルも、同じく皇帝の血の入った杯を飲んだが、彼女だけは生還した。それはミリエルが父の娘である、揺るがぬ証拠となった。




「俺は一体何者なんだ……?」

 かすれた声が風にさらわれていく。


 イヴリーズは痛みを堪えるように強く目を瞑ると、やがて努めて冷静に言った。

「あなたは私の血を吐きだしたから、体に取り込まれた血はほんの微量だった……だから、一晩寝込んだだけで済んだのね」


 その口調に何か感づいたのか、グリスウェンは視線を上げる。

「……お前は何か知っていたのか?」


「確証があったわけではないの。あくまで可能性程度の話よ」


「何でもいい、知っていることを教えてくれ!」




 イヴリーズは小さくうなずいて話し始める。それはもう、十年近くも心の片隅で守り続けてきた秘密だ。


「あなたの母上であるルテア皇妃が、レイローグ女子修道院で育てられたことは知っているわね?」


「ああ、もちろん。皇家の女子が継承争いに敗れた場合、送られる場所でもあるからな」


「あそこは孤島にある、外界とは隔てられた場所……。だから皇女だけでなく、訳ありの貴族女性が行き着く所でもあるの」


 嫁ぎ先からの出戻りや、未婚女性の望まぬ妊娠、虐待からの逃亡、外国からの亡命など。修道院は聖職者の修験の場であると同時に、俗世でまっとうに生きることのできない人間の、最後の寄る辺でもある。




「……知っている。だから身寄りを亡くした母上も、親戚だった先代のアーシェント伯爵に厄介払いで入れられた」


 手元で育てる義理はないが、完全に見放しては外聞が悪い。外面の良い先代アーシェント伯爵ならやりそうなことだった。


「あそこは後ろ暗い貴族の秘密が集まる場所でもあるの。だから大司教は他人の弱みを握るため、修道女の中に自分の密偵を紛れ込ませているの」


「……いかにも老獪な大司教がやりそうなことだ」


「そうしてルテア皇妃の秘密も手にしたのよ」


「母上に秘密……?」

 



 グリスウェンに母の記憶はあまりないはずだ。ルテア皇妃はカレンディアを出産してすぐに産褥熱で亡くなってしまった。当時グリスウェンはまだ四歳の誕生日を迎える前だった。


 イヴリーズも細かな記憶があるわけではないが、貴婦人らしからぬ表情豊かな、楽しい人だったことは覚えている。おそらく今のカレンディアに似た女性なのだろう。とても暗い秘密と結びつきそうにないが、これは間違いのない真実だ。




「……ルテア妃には恋人がいたのよ。父上の妃になる前から……その後も。ずっとその人と通じていたの」








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