34、二人の失踪
自室で眠りについていたカレンは、階下で問答する声に起された。
部屋の中はまだほの暗かったが、かすかに空が白み始めていた。ショールを羽織って、廊下へ出ると、階段の上で一階の様子をうかがうフレイがいた。
「何があったの?」
「カレン様……どうもイヴリーズ殿下の侍女方が来られているようで――」
「姉上の?」
玄関で何やら言い争う声が響く。
「――何か勘違いをされていませんか? 我が主はそちらと同格の皇女殿下であらせられます。弁えるべきはあなた方でしょう」
「うわぁ……」
朝から不機嫌全開なロウラントに、思わずフレイと顔を見合わせる。
「ですから、そこを押してお願い申し上げているのです」
「カレンディア殿下なら何かご存じないかと――」
どうやら自分が出ていなかなければ、収まりがつきそうにない。寝ぐせだらけの髪をすばやくフレイに結ってもらう。深く深呼吸をすると、皇女の顔を作り階段を降りる。
「何事ですか?」
踊り場から問いかけると、ロウラントを押し除けるように、身なりの良い一人の男が進み出る。
「カレンディア殿下、ご無礼をお許しください!」
「お止めください! 」
男を押し留めるロウラントを、カレンは制する。
「構いません、ロウラント。――あなたはデ・ヴェクスタ公爵のご子息ですね。……ああ失礼、名前を失念してしまったわ」
澄まし顔でつんと言ってやるが、本当は名前も顔も覚えている。ただし朝から押しかける無礼な相手に、へりくだるつもりはなかった。
カレンの態度に唖然とした後、冷静さを取り戻した青年が恭しい態度で礼を取る。
「いえ……こちらこそ大変失礼を。私はデ・ヴェクスタ公爵が第二子アストンと申します」
デ・ヴェクスタ公爵の子と言うことは、イヴリーズの従兄弟になる。
「それで、こんな早くに何用ですか?」
「実は……イヴリーズ殿下が昨日の昼過ぎに宮殿の外へ外出されてから、ご自分の離宮にお戻りになっていないのです。何かご存じありませんか?」
「姉上が?」
さすがにその言葉に素で驚く。
「いいえ、何も聞いていません。どこへ行くと言っていたの?」
侍女たちが互いを押しのけるよう前へ出て、口々に訴える。
「ティルコット通りです! ドレスを新調したいとおっしゃっていました」
「夕刻までにお戻りになるはずでしたのに……」
「あの界隈の店に尋ね回ったのですが、殿下が立ち寄った形跡がないのです」
カレンは考え込む。ティルコット通りならつい先日カレンもお忍びで寄った。店頭で直接品を手に取れるのが、あの界隈の楽しみだ。イヴリーズが自ら赴くのも別に不自然ではない。
「同行した者は?」
「気晴らしにお忍びで行きたいと、従者のジュゼットだけです」
イヴリーズにはいつも大柄な女騎士が付き添っていた。仏頂面を崩さない寡黙な女性だが、並の男よりも体格がよく、いかにも腕が立ちそうだった。イヴリーズの信頼も厚いのだろう。
「宮廷には報告はしたのですか?」
「いえ……それはまだ」
確かにどんな理由であれ、皇女が外泊をしたなどと噂だけでも厄介なことになる。
イヴリーズの侍女たちは、噂話や太鼓持ちに忙しいミリエルの侍女たちと違い、浮ついた所のない真面目そうな者ばかりだ。だからこそ品行方正な主の想定外の行動にうろたえ、困惑していた。藁にもすがる思いでここへ来たのだろう。カレンも頭を抱える。
「……わかりました。この話はまだ外には洩らさないで。夜明けまでに戻らなければ、グリスウェン兄上に相談します」
「グリスウェン殿下にですか……?」
アストンが困惑したように言う。
「守衛騎士団の兄上なら帝都の事情にはくわしいでしょう。結果的に大事ないのであれば、宮廷や教団に話が漏れる前に、最低限の人間だけで収める方がいいわ」
宮廷もまずいが、茶会での話から察するに、イクス教団もイヴリーズの完璧な味方とは言えない。カレンは侍女たちに、離宮をいつも通りの状態にしておくよう伝えて帰らせた。
静寂の戻った玄関で、カレンはロウラントに向き直る。
「……これでよかったのかな?」
「はい、的確な判断かと。まだ大事にする段階ではありません」
「そんなことより姉上だよ! 何があったの!?」
カレンもイヴリーズの側近たちの前で演じたほど、内心は冷静でなかった。ウロウロと辺りを歩き回りながら、腕を組む
「もしかして例の貧民街に行ったのかな? まさかそこで何かあったとか……」
「それならばグリスウェン殿下も一緒でしょう。あの方が一緒で、荒事に巻き込まれたとは考えにくいですが……何か不測の事態があった可能性はあります」
「どうしよう……もし誘拐とかにあってるとしたら、少しでも早く宮廷に知らせた方がいいよね!?」
「まずはグリスウェン殿下が宿舎にいるか確認した方がよさそうですね」
「そ、そっか! ああ……でもこんな時間に兄上を訪ねたら、絶対周りに何か勘繰られるよね」
グリスウェンは自分の離邸にはほとんど帰っていない。宮殿の一画にある、騎士団の宿舎で他の団員たちと共に寝起きしている。
「差し入れを持って行ってはどうでしょう?」
階段の上から話を聞いていたフレイが、下に降りてくる。
「差し入れ?」
「騎士団員ならば夜明けと共に鍛錬を始めます。兄君に何か食べ物か飲み物を持っていくという形であれば、騎士団を訪ねてもそこまで不自然ではないかと……」
「それだ! 」
カレンは両手を打つ。
「ロウ、厨房には下働きの人がもういるよね!? 何でもいいから包んでもらって! 先生は私の身支度手伝って!」
カレンはそうと決まればと、てきぱきと指示を出す。
しかしいざ騎士団を訪ねると、さらに途方に暮れることになる。
グリスウェンは昨日と今日と休暇を取り、宮廷内の宿舎に姿がなかった。二人が一緒に宮殿を出たのは、ほぼ間違いなかった。
2章まで無事にこぎつけました。いつもお読みいただきありがとうございます。
まだまだ先は長いですが、お付き合いいただけるとうれしいです。




