32、レブラッド公爵
それは鳶色の、派手ではないが品の良い仕立ての上着を着た中背で、四十代くらいとおぼしき男だった。
後ろに撫でつけた黒髪は寸分の乱れもなく、従者らしき男を後ろに従えさせていることからも、身分の高さがうかがえる。整えられた髭の下で、口元がかすかな笑みを作る。
「やあ、ロウラント。奇遇だね」
「これは……ご無沙汰しております」
ロウラントは驚いたように目を見張った後、貴族らしき男に礼を取った。
「お知り合い?」
カレンが尋ねると、ロウラントよりも先に男が口を開いた。
「おや? もしや……ロウラントの……?」
「はい、我が主です」
「これは失礼を……」
男がカレンに向かい丁寧にお辞儀する。
「私はレブラッド公領を預かります、ダリウスと申します」
「レブラッド……公爵ですか?」
「はい」
思いがけない重鎮との遭遇に、カレンは戸惑う。
レブラッド公爵家――ルスキエの王国時代からの臣下である七家門の一つ、外務大臣職を世襲する名家だ。現在大公家を名乗る、従属国の元王家を除けば、デ・ヴェクスタ公爵家などと並ぶ最高位の家格にある。
カレンディアの父親に当たるディオス皇帝も、母后がレブラッド家出身であり、皇太子時代はこの家の後見を得ていたはずだ。
外務大臣にして、レブラッド公爵であるダリウスは気さくな笑顔でささやく。
「どうぞダリウスとお呼びください。あなたのお噂はロウラントからかねがね伺っております、『お嬢様』」
カレンの父親くらいの歳であるのに、いたずらっ子のように片目をつぶってみせる姿が、妙に様になっている。わざわざカレンを『お嬢様』と呼んだのも、本来の立場を知っていて、お忍びには目をつぶってくれるということだろう。カレンはほっと息をつく。
「私もお会いできて光栄です、ダリウス卿。ロウラントから私についてどんな話を聞いているかは、この場ではうかがわない方がよさそうですね」
ちらりとロウラントを見やると、気まずそうに視線を逸らされた。その様子にダリウスは闊達に笑う。
「なあに、お仕えし甲斐があるという話ですよ。……なるほど、確かに『お嬢様』相手ではロウラントも退屈しないでしょう」
「そうかもしれません。なにせ毎日お小言ばかりですから」
「ははっ、彼は愛想のない男ではありますが、これでも身内への情は深いのですよ。お嬢様との相性も悪くはないでしょう?」
身内?と問いかけようとした所で、ロウラントが割って入る。
「――閣下。このようなところで、油を売っていてよろしいのですか?」
公爵相手にも関わらず、遠慮のない冷ややかな態度だ。
だがそれは、ロウラントがカレンと接するときの口調とよく似ているような気がした。
「油を売っているわけではないんだ。……妹からコーヒーを買い付けてくるように頼まれましてね」
ダリウスはカレンに向かって苦笑する。
皇家や七家門の主要人物や家系図は、ロウラントの指示で頭に入っている。ダリウスのただ一人の妹は、皇帝ディオスの第一皇妃イゼルダだ。つまりカレンディアの継母でもある。
舞踏会でも少しだけ言葉を交わした。女性らしいあでやかな肢体に、泣き黒子が特徴的な美女だ。突然の悲劇により一人息子が皇太子候補から降りたわけだが、悲壮感の欠片もない華やかな人だった。
皇妃であれば、気軽に街に出られないのは当然だが、実兄とはいえ公爵にして大臣であるダリウスに、私的な買い物を頼む辺りその力関係が伺える。
「だが仕事が溜まっているのも事実だ。早めに戻るとしよう。――ロウラント、あまり羽目を外し過ぎないよう、君も気を付けなさい」
「わかっています。……それよりもこれを、ルヴェラに届けてもらえませんか?」
ロウラントが先ほど書いていた手紙を、公爵に差し出す。
「ふむ、手紙かね。構わないよ、どうせ一度屋敷に戻るところだ」
ダリウスは目当てのコーヒー豆を店員から受け取ると、「また宮廷でお会いしましょう」とカレンに挨拶をして去って行った。
小さく嘆息してその姿を見送るロウラントを、カレンは見やる。
(さっき、手紙は商会の人に預けようとしていたよね……何で公爵に?)
てっきり商会への、何かの取り寄せ依頼かと思ったが違うようだ。
そもそも皇女の従者とはいえ、一介の騎士でしかないロウラントが大貴族と知り合いの上、親しげだったのかも疑問だ。
「ほら、『お嬢様』も急いでください。そろそろ帰る時間ですよ」
「え、もうそんな時間!?」
ロウラントに促され、カレンは疑問をひとまず置いて、慌てて品物選びを再開する。
この二か月近くロウラントとほとんど離れることがなく、精神的にも頼りきりだったので、もう長い付き合いのような錯覚すら覚えていた。しかし考えてみればロウラントの過去や立場など、ほとんど知らないことばかりだった。




