31、ディラーン商会
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フレイが窓の外を眺めながら、不安そうな表情を浮かべる。
「……あの、お二人ともそろそろ移動しませんか? さっきから、この馬車をご令嬢方が見ています」
「仕方ないですね」
徽章も家紋もない、上流階級の馬車がずっと停まっていれば、不思議に思われるのは当然だ。重要人物がお忍びで来ていることくらい、誰でも想像がつくだろう。
「ちょっと待って。……ねえ、ロウ。お忍びついでに、貧民街の様子は見られないかな? もちろん外を歩きたいとは言わないから」
「見られませんね」
にべもなくロウラントは言う。
「この辺りを散歩するのとは訳が違います。貧民街は犯罪の温床だと言ったでしょう? 歩道もろく整備されてませんし、馬車では乗り入れられません。だいたい殿下にもしものことがあれば、責任を取らされるのは誰かわかってますよね?」
「……はい」
ダメ元で言ったまでだが、案の定の返答だった。
「あの二人がお忍びで行くんだから、私も一度見ておくべきかなーって思ったんだけど……」
「誰がどこへですか?」
「だから、姉上と兄上が貧民街に」
カレンの台詞にロウラントが呆気にとられる。
例の不可思議な記憶のショックでしばらく忘れていたが、確かにお茶会の終わり際にイヴリーズたちがそんなことを話していた。
「選帝期の皇女と皇子がなんて無茶を……」
ロウラントが額を押さえて嘆息する。
「でもグリスウェン殿下なら、騎士団の任務で貧民街に赴くこともあるのではないですか?」
フレイの言葉にカレンはうなずく。
「そうそう。だから兄上の仕事が休みの日に、余計な人を付けずにこっそり行くって聞いちゃった」
「……確かに、場慣れしない者を下手に引き連れていくよりは、変装でもして少人数で行動する方が賢明ですね」
「しかも兄上は騎士の中でもすごく強いんでしょ? カッコイイし、さすが私の兄上だよね!」
「……左様ですか」
少し面白くなさそうにロウラントがそっぽを向く。
ロウラントも『騎士』の称号は持っているが、そもそも騎士を名乗るからといって、誰もが剣術に長けているわけではないらしい。特に貴族の子弟の中には、名ばかりで剣を構えることすら怪しい者もいるという。
「……どっちかって言うと、ロウは荒事になる前に根回しと下準備を怠らない性分だよね」
「いけませんか? 剣を抜かなくて済むなら、それに越したことはないでしょう」
「うんうん。ロウに護衛しろって言うのも悪いし、もう無理は言わないよ」
ロウラントがぎろりとカレンを睨む。負けず嫌いに火がついた顔だ。
「そうですね。俺は下準備を怠らない性分なので、ティルコット通りが無理なら別な場所に、と考えていましたが、殿下はお気に召さない様子なので帰りましょうか?」
「え?」
挑発するように人の悪い笑みを浮かべるロウラントに、カレンは慌てて取りすがる。
「お気に召さなくないです、お出かけしたいです! だって、私ずっと宮殿から出たことなかったんだよ!」
「ロウラント様……」
苦笑するフレイにやんわりと促され、ロウラントは従者らしからぬ尊大さでうなずく。
「いいでしょう。ただし、殿下が気に入られるような物があるかはわかりませんよ?」
「えへへ、ありがとう、ロウ」
カレンは思わずロウラントの両手をぎゅっと握る。
「……お願いですから、もう少し皇女らしい慎みを覚えてください」
ロウラントは顔をしかめて苦言したが、口調は存外優しかった。
※※※※※※※※※※
その店内には、カレンにとってまったく初めて見る物から、『元の世界』では似たような物を知っていたが、こちらでは今まで見かけなかった物まで、変わった商品がたくさん並んでいた。
ロウラントの案内でやって来たのは、問屋街と言われる商売人同士の取引が成される、一般の人間があまり出入りしない区画だ。その店の一つに馬車を寄せると、ロウラントが先に店内に入り、しばらくしてから中を見て回っていいと言われた。
その店の外観は看板も何もない。一見すると、店ともわからない建物の中は倉庫のようで、様々な商品が所狭しと積み上げられていた。不思議なことにこれだけ乱雑に置かれた商品のどれを手に取っても、ほこり一つ被っていない。
ロウラントの話では『ディラーン商会』という、貿易を主に営む商会が所有する店らしい。
極彩色で花々が描かれたどこか東洋風の扇、何に使用するかわからない色とりどりのガラス瓶、ゼンマイ式のティーテーブルほどの大きさのあるオルゴールのような楽器。カレンは物珍しさにゆっくりと店内を回る。
「……これ懐中時計?」
カレンは手のひらに乗る大きさの時計を手に取る。実際に使える物のようで、規則的な振動を伝えてくる。宮殿にもゼンマイ式の時計はあるが、もっと巨大でサバ缶かと思うような外見だった。そのサバ缶もどきですら、この世界では高級品だ。庶民は広場などに設置された日時計で時間を確認する。だから庶民の間では分単位の細かい時間の概念はないらしい。
「まあ、よくご存じですねお嬢様。それはキッサスの最新式の時計ですよ。ゼンマイを回し切ると、丸一日動き続けて――」
ロウラントが先に根回しをしておいたのか、店を案内する女主人はカレンのことを、珍しい物好きなどこぞ富豪の娘と思っているらしく、気さくに声をかけてくる。
女主人の言葉にカレンはあいまいに笑う。キッサスがどこなのか、この時計がこの世界においてどのくらいすごい価値なのか、カレンにはいまいちわからない。もっと驚いておいた方がいいのだろうかと、密かに悩む。
このルスキエ帝国での宮殿暮らしも二か月近くもすれば、だいぶ勝手がわかり、文明の違いにも慣れてきた。『元の世界』とは比べようはないが、暗くなれば灯りはつくし、宮殿には水道も引かれている。湯船こそないが毎日風呂にも入れる。生活面ではそれほど不自由はない。
これでやることがなければ、テレビやスマホが恋しくなったかもしれないが、とにかく今は勉強と社交で忙しく、朝起きてから夜ベッドに入るまでがあっという間だ。特に不満もなかった。
カレンはアクセサリーが置かれた棚の前で、銀と宝石でできた花の髪飾りを手に取る。
「それはマノンの王女が所有していたと言われる物です。おおよそ百二十年くらい前の物になります」
「へえ、骨董品だ」
窓越しに入る光に透かすと、濃い青かと思われた宝石は赤みを帯びた紫にも見える。
「気に入られたのなら購入されますか?」
「いいの?」
フレイの言葉に、カレンはぱっと表情を輝かせる。
「お嬢様、それくらいの『お小遣い』は預かっていますよ」
フレイの言う、『お小遣い』とは宮廷から皇子皇女に支給される費用のことだ。
イヴリーズやミリエルならそれに加え、後ろ盾からの支援がある。ドレスでもアクセサリーでも心行くまで手に入れられるのだろう。
一方、カレンには皇女としての体裁を保つための最低限の予算しかないと聞いている。下手をすれば貴族の令嬢たちの方が、贅沢な暮らしをしているかもしれない。
ただしカレンディア皇女といえば、長年のひきこもりだ。勉強がてら帳簿の見方も教えてもらったが、最低限の生活費しか使った形跡がなかった。それに加え、先月の舞踏会以来さまざまな貴族から、身を飾るアクセサリーやドレスのための布地が贈り物として届けられている。おかげで予算はそこそこ余っていると聞いていた。
「せっかくですから、来月の夜会用のドレスの布地も見てはいかがですか?それに香水も欲しいと言っていましたよね? ここには香油や香料がたくさん揃えてありますよ」
ロウラントの勧めに、カレンはますます目を輝かせた。
ルスキエの王侯貴族は男女ともに人前に出る時、ほのかに香水をまとうのが嗜みとされている。実は『元の世界』にいた頃から香水は好きだった。香りは自分を人に印象付けるのに、必要不可欠なツールだ。
「ええ、専属の調香師もおりますから、お好みの香水をお作りできますよ。――あなた、ちょっと呼んで来てちょうだい。それからシャンタンの絹地を持って来て」
女店主は近くにいた店員に声をかける。
「お嬢様、夜会でしたらちょうど良い絹地が入りましたのよ。――ああ、こちらです。ほらみてください、この素晴らしい光沢! きっとシャンデリアの明かりに映えますわよ」
「では、その青い花の刺繍が入った生地を見せてもらえますか。後はそのレモン色のと淡い紫の――」
「こちらなら、共布で揃いの扇も仕立てられればきっと素敵ですわ」
商人魂たぎらせる女主人と、買い物衝動に火がついたカレンは留まることを知らなかった。店員が持ってくる布地を鬼気迫る様子で吟味する姿に、ロウラントとフレイは呆気にとられる。
「これは時間がかかりそうだ……」
「でもいい気晴らしにはなりますよ」
すでに疲れたようにロウラントがため息をつくと、フレイが微笑む。
ロウラントはしばらくの間カレンの様子を見守っていたが、続いて調香師と香水の相談が始まると、側にいた店員の声をかける。
「――君、すまないが、ペンと紙を用意してもらえるか? それと封蝋用のロウソクも」
「お安い御用です」
ロウラントは受け取った紙に何かを書きつけると、丁寧に封をして店員に渡す。
「これをルヴェラに渡して欲しい」
「はい、確かに」
店員は心得たようにあっさりと手紙を受け取る。
調香師と会話をしつつ、密かに聞き耳を立てていたカレンは心の中で考える。
(ルヴェラって女の人の名前だよね……)
何かの注文だろうか。そもそもロウラントはどこでこの店のことを知ったのだろう。
「あ……ですがロウラント様、あちらのお客様にお願いした方が早いかと……」
店員が指し示す先に、たった今店内に入って来た男の姿があった。
※本日中にあと2話更新予定です。




