30、近くて隔てられた場所
美しく整った石畳の道沿いには、高級店と呼ばれる仕立屋や小物屋が立ち並ぶ。その前を貴婦人たちがおしゃべりをしながらそぞろ歩く姿があった。ここティルコット通りは、帝都レギアでも貴族階級や裕福層向けの店舗が多い。
ルスキエでは基本的に、貴族階級の女性はむやみに街中を歩かない。欲しい物があれば自宅に御用商人を呼ぶのが普通で、自ら店舗に出向くのは中流階級以下の者がすることとされている。
しかしここ最近は、特に若い貴族令嬢たちは自ら店に出向くことを厭わず、通りの端から端まで散策しながら、店を見回るのが流行らしい。
カレンは通りの端に停めた馬車の中から街を眺めていた。今日は気晴らしに、短時間だけという約束で外出を許してもらった。とはいえ皇女が堂々と外出するとなると、警備などの諸事情で大事になる。今日はいわゆる『お忍び』だった。
「殿下、あまり顔を出さないでください」
もちろん一人で外出など許されるはずもなく、ロウラントとフレイも一緒だ。狭い馬車の中で真っ向からロウラントに見張られては、気晴らしどころではないだろうと思っていたが、帝都の賑わいをこの目で眺めるだけでも、いい気分転換にはなっていた。
「ねえ、ちょっとだけ外を歩いたら駄目かな?」
「当たり前でしょう。皇女がふらふらと通りを歩くなど聞いたことがありません」
「でも若い女の子たちもいっぱいいるよ」
さすがに一人で歩く者はいないが、お目付け役の女性と連れ立って歩く姿は少なくない。
「宮廷にかろうじて出入りが許されている、貴族の端くれの娘たちと殿下では立場が違います。――だいたいあれだって、俺はいかがなものかと思いますよ」
ロウラントは眉をひそめて、笑い声を立てながら馬車の横を通り過ぎる少女らを見やる。
流行りとはいえ令嬢たちの奔放な行動は、年配の貴婦人やロウラントのような古い考え方の人間には、あまり受け入れられていないようだ。
「ロウは固いなあ……」
「固いとかそういう問題ではありません。こんなところで何か問題を起こせば、貴族女性としての名誉を失うのは自分たちでしょう。己に責任を負えない人間が自由など、おこがましいんですよ」
「はいはい。でも、せっかく街に出たのに買い物も無理なんて……」
ふてくされるカレンにフレイがやんわりと言う。
「そんなに拗ねないでください、カレン様。宮廷への出入りも許されている店なら、直接馬車を付けて中を見るくらいならいいかと、ロウラント様と相談していたのですが、思っていた以上に人の出入りが多かったので……」
フレイが視線をやる先は、宮廷でも今人気の職人が手掛ける服飾店だ。店頭で流行の最先端のドレスを実際に手に取って見られると、話題の店だ。
「確かにすごい込み具合だね」
店の中は見えないが、外まで若い女性の行列が並んでいる。その中には宮廷で見たような顔もチラチラあった。さすがにこの中に割って入っては、お忍びどころの話でない。
「……しょうがないね。今日のところは諦めようか」
ロウラントは渋い顔をしながらも、カレンのために段取りを考えていてくれたことがわかり、少し溜飲が下がる。これ以上わがままは言えなかった。
「よろしいのですか?」
あまりにすんなりとカレンが引き下がったせいか、ロウラントが意外そうに見つめる。
「だって、こればっかりはどうしようもないじゃない」
その時、コツコツと外から馬車を叩く音があった。
窓の外を覗き込もうとすると、瞬時に緊張をみなぎらせ、鋭い顔つきになったロウラントに押し留められる。ロウラントが窓の外を確認する。
「……何用か知らないが、下がりなさい」
口調は厳しかったが、外を見た瞬間、ロウラントの緊張が少し和らぐのがわかった。
「貴人の馬車にみだりに手を触れてはいけない。鞭打たれても文句は言えないぞ」
小さくくぐもった声が聞こえて来た。
「お、お恵みを、どうか旦那様……」
ロウラントが眉をしかめて、革袋から硬貨を取り出す。
「――行きなさい。もうこの通りに足を踏み入れない方がいい」
質素な薄汚れた服をまとった、少年とも少女ともつかない、五、六歳の子供が走っていく後姿が見えた。
ため息をついてロウラントが座席に腰を下ろす。怪訝な面持ちをするカレンにフレイが説明する。
「あの子はきっと貧民街から来た子供でしょう」
「貧民街?」
「帝都にはそういう場所がいくつかあるのです。先ほどの子のように、食べるにも困る貧しい人々や、他国から流れ着いた行き場のない流民、娼婦やならず者とか――」
「……そうだったんだ」
再び外を見る。先程と変らず、通りを笑いさざめきながら歩く、色とりどりのドレスや帽子を身に着けた令嬢たちの姿があった。カレンや彼女たちの身を飾る絹のリボンの一本で、今の物乞いの子供がしばらく食いつなげる価値があるだろう。
不条理な出来事にカレンが黙りこくっていると、ロウラントが言う。
「殿下、ああいう手合いにいちいち同情していては切りがありません。あなたの『元の世界』では知りませんが、この国――この世界では珍しい話ではないんです」
「……だとしても、あんな小さな子が物乞いをするような『当たり前』は嫌だな。姉上たちだって言ってたよ。皇帝になる人間なら、見過ごしていいことじゃないでしょ?」
「確かにイヴリーズ殿下はイクス教団を通じて、貧しい者や病める者の支援をしています。弱者の救済はあの方がずっと訴えてきたこと……実に世間で聖女と謳われる、イヴリーズ殿下らしいお考えです」
ロウラントの言葉はどこか皮肉な響きがした。
「ロウは姉上のしていることに、意味がないって言いたいの?」
「意味がない、とまで言いません。他の兄弟姉妹より一歩先んじているイヴリーズ殿下なら、それを訴える余裕もあるでしょう。ただ殿下には優先事項がもっとあるという話です。選帝会議に発言力を持つ枢密院は大半が貴族です。そして彼らは下々の暮らしの向上など興味がありません」
その言い草にカレンは唇をぎゅっと結ぶ。
「……貧民街の人たちを救うよりも、ロウは私にもっと貴族受けがいいことやらせたいってこと?」
「順番の問題です。まず貴族の支持を得ないことには、殿下が皇太子になれないのは確実です。力を持たない人間が理想を唱えたところで、何の意味もないどころか、貴族の支持を遠ざけます。まずは地盤を固めることの方が肝要だと思います。――俺の言っていることに納得できないですか?」
「わからなくはないよ……」
きっと少し前まで、《ひきこもり姫》だったカレンディアが何かを訴えたところで、鼻で笑われるだけだ。同じ発言でもその人の知名度の違いで、影響力が別段になることくらいはカレンにでもわかる。まずは宮廷で、一目置かれる存在を目指さなくてはならないことも。
(私はまだ、正しいと思うことを言える立場ですらないんだ……)
気落ちしかけるカレンを見て、ロウラントが咳払いをする。
「……とはいえ、貧民街は犯罪の温床です。下々の暮らしに興味がない貴族でも、帝都の治安が悪化して得することはありません。――そういう、訴え方もあることは覚えておいてください」
カレンは目を大きくして、ロウラントまじまじと見つめる。
「……ロウはすごいね」
「何ですか、藪から棒に」
ロウラントはやるべきことを示しながら、カレンの感情を蔑ろにせず、現実的に可能な線を探ってくれる。記憶を失い別人となった皇女の従者という、理不尽な役割を押し付けられているのは、ロウラントも同じはずだ。それでも懸命にカレンに寄り添おうとしてくれる。それがうれしかった。
カレンが思わずにまにまと笑っていると、ロウラントがふいと横を向く。これは照れている時の反応だ。
「俺は俺のすべきことをしているだけです。主の理想を実現するため、方法を探るのは側近の役割ですから」
「そうなの?」
「はい。そして殿下がすべきことは高みに立つ立場になろうと、今の子供に抱いた気持ちを忘れないことです。どんな状況でも最初の志を失わないこと……それがもっとも難しいと思います」
「……うん」
真摯な言葉に、カレンは素直にうなずいた。
「万が一、私がそれを忘れそうだったらロウがちゃんと叱ってね」
先にどんなことが待ち受けていようと、自分の隣にはロウラントがいる。
この時のカレンはそれを疑うことはなかった。
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