27、お茶会4
グリスウェンが本気で皇太子の座を望んでいないことは、カレンも薄々気づいていた。
彼は母の遠縁であるアーシェント伯爵家の支援は受けているが、明らかに皇子として体裁を整える程度の物だ。
そもそもグリスウェンは『騎士』という、本来なら皇帝に仕える立場を自ら選んでいる。実際、将来帝位につく姉妹の近辺を守る存在として、彼ほどふさわしい人物はいないだろう。グリスウェンの立場からすれば、手堅く生きていくためには最善の道だ。
「思っていた、ということは今の意見は違うのかしら?」
イヴリーズは顔こそ微笑んでいるが、かすかに固い声が怒気を孕んでいるのは明らかだった。
「ああ。イヴの話を聞いて気が変わった。俺ももう少し本気を出そうと思う」
その言葉に、イヴリーズからすっと表情が剥がれ落ちる。
「……残念よ。あなたは私の一番の理解者だと思っていたのに」
「そうありたいから、本気で帝位と向き合うんだ」
剣呑な空気をまとうイヴリーズとは裏腹に、グリスウェンは余裕のある笑みで言う。
「俺はずっと選帝など他人事だと思っていた。さすがに修道院送りはごめんだが、騎士になって名を上げれば、免除されるだろうと高をくくっていた」
「事実そうじゃない。幽閉生活からある意味一番遠いのは、すでに実績のあるあなたでしょう」
帝位争いに敗れた皇族は、生涯修道院での幽閉生活を強いられるが、何らかの分野で才覚を認められれば、特例として宮廷に残ることもできる。騎士団で中隊長を務め、個の武勇に関しては右に出る者がいないと言われるグリスウェンなら、その条件を満たしている。
「そうだ。俺は騎士となり皇帝になった姉妹を守る。それなら継承争いに敗れても体裁は繕える。皇子なのに、姉妹に負けた惨めな敗者にはならない。……そういう打算だよ」
今まで見たことがないグリスウェンの自嘲気味な言い草に、姉妹たちは言葉を紡げなかった。
やがて、イヴリーズが嘆息して頭を振る。
「自分を買いかぶり過ぎね、スウェン。あなたはそんな計算をできるほど器用ではないわ」
「そっちこそ……まったく俺を理解していないな、イヴ」
優し気な口調だったが、どこか突き放したような言葉にイヴリーズは目を見張る。
「その程度の人間なんだよ、俺は。弱い姿を人に晒したくないだけの格好付けだ。――だからこそ、これ以上恥ずかしい真似はできない」
弱々しい口調から一転、グリスウェンの瞳に強い光が宿る。
「俺より不利なはずのカレンは諦めることなく、努力と機転で宮廷の空気を変えた。ミリーも理不尽な誹謗に屈せず、貴族たちと渡り合っている。イヴは帝位も皆の自由もすべて勝ち取る覚悟を決めている。……それなのに、俺だけ安全な場所で高みの見物なんて、無様にもほどがあるだろう」
「無様でもいいじゃない。命あっての物種でしょう。あなたまで危険に身を投じる必要はないわ」
「命を懸ける価値はあるさ。四人全員が皇帝候補として無視できない存在になれば、互いの陣営が後ろ暗いことがしにくくなる。自分以外の誰かの足を引っ張れば、別の誰かが得をする。そういう拮抗した状況を作れば、互いを守れるだろう?」
イヴリーズが呆れたように額を抑える。
「簡単に言うけれど、都合よくそんな状況に持っていけると本気で思う? それに選帝会議までに残された時間はないのよ」
「でも、イヴの提案は誰も吞みそうにないぞ」
「うん。万が一皇太子になれなくても、幽閉免除は自分の力で勝ち取りたいし」
カレンがグリスウェンに同意すると、ミリエルも慌てて言う。
「わ、私だって! お爺様たちが無視できないくらい、知識も人脈も身に着けます。姉上や兄上はその才覚を、皇帝になった私の元で生かしてくださればいいんです」
「俺もみんなと同じ物を見て、同じ覚悟を背負う。そうじゃないと皇太子になれなかった時、俺はお前たち側にはいられない。重責に悩まされる姉妹の側で、何の苦労も分かち合わず、のうのうと取り繕うような人間にはなりたくないからな」
いいこと思いついた!と、カレンが声を上げた。
「じゃあ、みんなで自分の陣営の人たち脅しとこうよ。他の兄弟姉妹を傷つけたら、皇太子候補から降りてやるって」
「そんなことをしたら、それこそ収拾がつかなくなるでしょう。余計に大混乱を生みます!」
ミリエルは呆れたようにカレンを睨む。
「……スウェンの理屈よりは、まだその方が効果ありそうだわ」
風に乱れた後れ毛をかき上げ、脱力したようにイヴリーズが言った。
「上手いくないものね……せっかく貴重な話し合いの時間を作ったのに、身のある結論は出なかったわね」
「そんなことないよ。何があっても、お互いを守って助け合うって話はついたでしょう?」
カレンの言葉にイヴリーズは虚を突かれたような顔をしたが、すぐにかすかに笑った。
「……そうね。一番大切なことだものね」
「……風が出て来たな」
グリスウェンがつぶやいた。
話が白熱していたが、いつのまにか日が傾きはじめ、湖面がオレンジの淡い光に染められている。
「名残惜しいけど、そろそろ御開きにしましょうか」
イヴリーズが立ち上がり、離れた場所にいた従者たちを呼びに行く。
「――あっ」
ふいに強風が吹きつけ、ミリエルがとっさに頭を抑えたが、間に合わなかった。つば広の帽子が風の中で踊り、瞬時に遠くまで運ばれる。その時、岸辺の木の影から出て来た男が片手を高く伸ばして帽子を捕まえた。
「ロウ! ちょうどいいところにいたね」
カレンがロウラントに向かって手を振る。帽子を取ったロウラントは目礼すると、背後からやって来たミリエルの乳母にそれを渡した。
「あら、カレンお姉さまの従者にしては思慮深いですね」
「え?」
「貴族の中には、身分の低い者から口を利いたり、直接物を渡したりしてはならないという古い慣習にこだわる人もいるでしょう。とはいえ、私は寛容ですからその程度のことに目くじらは――お姉様?」
ミリエルがぎょっとしたようにカレンを見た。カレンはミリエルに応えることができなかった。カレンの視線の先には、残り少ない時間を惜しむように、議論を続けるイヴリーズとグリスウェンの姿があった。
「――だから、貧民街の救済は最優先事項だと思うの」
「だが現状をよく知らない内に、手だては立てられない」
「やっぱり、一度この目で状況を把握するべきよ」
語り合う二人の後姿に、滲むように重なるもう一つの光景が見えた。湖の前に立つ七、八歳くらいの金髪の少女と、赤銅の髪の少年。そして少し離れて立つ、二人と同じくらいの背丈の黒髪の少年。
その光景をうつろな瞳に写し続けたまま、カレンは身じろぎもできなかった。魂が抜けたようなその姿は、ミリエルには薄気味悪いものに見えただろう。
「――お姉様! カレンお姉様!!」
思わずミリエルが張り上げた声に、カレンディアは呪縛が解けたようにはっと視線を上げる。
「あ……あ、ミリー」
「何をぼんやりしているのですか!?」
「ちょ、ちょっと待って……」
頭が混乱するあまり、言葉をうまく紡げない。
「どうかしたの?」
妹たちの異変に気付いたイヴリーズがこちらを振り返る。
風に揺れる金色の髪が、先ほどの少女の姿が重なる。後姿しか見えなかったが、あれはきっとイヴリーズの幼い頃の姿だ。
「ディア……は、ディアは昔みんなと湖で遊んだ……?」
何の話かと、いぶかしい表情を浮かべたミリエルとは対照的に、イヴリーズがくすくすと笑い出す。
「その言い方懐かしいわ。あなた小さい頃自分のことをそう呼んでたわね」
「四人で釣りに行ったことか?」
グリスウェンはカレンの質問をさらりと肯定した。
「よく覚えてたな。あれは……お前が、三つか四つくらいのときか。俺とイヴとランで釣りに行くと言ったら、珍しくくっ付いて来たんだ」
「そんなこともあったわね。結局あなた『お魚怖い』って泣いてたのよ」
「ははっ、そうだったな!」
「何だ、私は知らない話じゃないですか」
カレンが三、四才なら、ミリエルはまだ赤ん坊だ。
「そ、そんなことあったんだ……」
カレンは引きつったように笑う。
「従者たちが待っているわ。風邪をひかない内に戻りましょう」
イヴリーズに促され、森の中で待機させてある馬車へと向かう。カレンは素直に従ったが、脳裏にこびりついた不思議な光景に混乱していた。
※本日中にあと2話更新予定です。
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