1-1、まれによくあるアレ1
2022年9月23日 サブタイトルの変更、文章を二話分に分割しました
悲鳴と共に宙を掻くように手を伸ばし、跳ね起きる。やわらかな光が降り注ぐ中、カレンはバクバクとうるさい程、鼓動を打つ胸を両手で抑えた。
「ゆ、夢……?」
腹の底から「はあー」と大きなため息をつき、カレンは半身に掛かる掛布を握りしめる。ふかふかとした感触に違和感を覚えた。淡いピンクそれは、愛用のリーズナブルをうたう有名家具店で買った毛布とは、まるで手触りが違う。着ている物も、少しくたびれたスウェットとは程遠い、溶けるように滑らかな白いネグリジェだ。
周囲を見渡すと、部屋には白やクリーム色を基調とした高級そうなソファーやサイドテーブルが置いてある。一部屋だけでカレンの部屋の十倍はありそうだ。寝ていたベッドは天蓋付きで、タッセルで留められたカーテンがついている。
「ホテル……? えっ……この部屋絶対高いよね……」
たまにある地方の仕事の時は、たいがいビジネスホテルでもちろん相部屋だ。古びた旅館のときもあった。事務所の社長は締まり屋なので、こんなホテルを許すとは思えない。
食事会で変な薬を盛られかけたという、先輩の話を思い出し青ざめる。
(まさか、お持ち帰りってやつじゃ……あ、でも――)
よく考えたらこんなホテルを手配できる、羽振りのよさそうな関係者などカレンには接点がなかった。
首を傾げつつ、サイドテーブルに置かれた水差しとグラスを手に取る。
「変なモン入ってないよね……?」
グラスに注いだ水の匂いをクンクンと嗅いでから、一口飲む。水道水ではない、まろやかな舌触り。それだけの、ただの水だ。
ずっしりとした重みのある、複雑な模様のカッティンググラスは、社長ご自慢のコレクションにあった、有名ブランドの物と似ている。大きな窓からレース越しに差し込む光に掲げてみると、七色の光を反射した。
その瞬間、カレンの頭に突然浮かび上がる光景があった。
雨上がりのアスファルトに瞬く街頭の明かり。星の上を歩いているみたい、そんなことを思いながら道路を渡っていたら、突然まぶしいヘッドライトに目がくらんだ。迫りくる光に思わず足が止まる。そして――。
「轢かれてる……よね、私」
カレンはシーツの上で胡坐をかいて、腕を組む。
間違いなく道路の真ん中で車に跳ねられた。激しい衝撃に息が詰まり、四肢をあらゆる方向から引っ張られるような浮遊感を感じた。――あ、これ死んだな。妙に冴えた頭でそう思ったのが、最後の記憶だ。
「噓でしょ……これからって時に……あ、でも私生きてるなあ」
うーん、とカレンは首をひねった。
あれだけの事故なら命はあったとしても、再起不能なほどの大怪我を負っているはずだが、どこも痛くない。体を見回し、ネグリジェの袖をまくるが、傷一つない。どこもおかしな所はない――そう思った時、また違和感があった。
心なしか腕が青白いような気がした。日焼けには気を付けていたが、こんなに白かっただろうか。いや、白いというより血管が透けるほど青白い。
再び体に視線を落とすと、長い髪の毛が肩からこぼれる。赤みのある茶色ーー赤銅色の緩い巻き毛だ。カレンはずっと黒髪だった。染めたかったが、黒い方がオタク受けいいからと周囲に止められていた。地毛は真っ直ぐで長さもボブだ。
何か嫌な予感に、カレンは慌てて周囲を見渡し、ベッドから降りる。かくんと膝から力が抜けるように転んだが、幸い下は毛足の長い絨毯で痛くはなかった。構うことなく、よろめきながらも立ち上がり、壁に掛かっていた装飾付きの鏡の前に立つ。
「ははっ……噓でしょ……」
鏡に映るのは見知らぬ少女だった。病的なほど青白い顔色の、ほっそりとした首。大きな瞳は不思議な色で、ラピスラズリのように深く濃い青から、赤みの強いオレンジ色へと変化するグラデーションだ。
面差しは品があるというのだろうか、目鼻立ちが繊細な美少女だ。ただし顔色が恐ろしく悪いせいか、幸薄そうな印象がある。
手を伸ばすと鏡の少女も同じ動きで、手のひらが重なり合う。
「夢にしては長すぎ……」
何かの冗談だと思い込みたい自分と、それはきっとあり得ないと悟ってしまっている、相反する自分がいた。
コツコツと、扉を叩く音が響いた。
「――ディア様、お目覚めでしょうか?」
何者かの声に、カレンはぎくりと身をすくませる。
「入ってもよろしいですか?」
中性的な声質だが、やわらかい話し方からしておそらく女性だろう。再び問われるが、答えていいものかわからない。
(どうしよう!)
カレンはわたわたと周囲を見渡すが、隠れられそうな場所はない。
「ディア様?」
再び呼ばれ、カレンは窓に駆け寄りカーテンを払うと、窓に張り付くように下を見る。
そこは綺麗に刈り込まれた低木が並ぶ庭園だった。中央には大きな噴水が見え、さらに奥には城のような建物がいくつか見える。先週遊んだばかりの、プリンセスのお城があるテーマパークみたいだ。
地面まではビルの三階くらいの高さがあった。窓を開け放つと、少し湿り気のある冷たい風と共に、下で咲き綻ぶ薔薇だろうか、花の香りが入ってくる。夏の避暑地を想わせるが、堪能している余裕はない。
「ディア様? 大丈夫ですか、ディア様!?」
さらに大きな声で呼ばれ、カレンは窓枠を掴んだまま硬直する。しばらくそうしていると、扉の奥の気配がなくなった。
先ほどより外の日差しが明るくなっているが、まだ早朝の時間帯だろう。
おそらくこの体の主の名前――『ディア』とやらが、まだ寝ているのかと諦めたのかもしれない。ドアの外から声がしなくなった。しかし胸を撫で下ろしている暇はない。こんな状況など他人に説明しようがない。『ディア』が何者かわからないが、頭の具合を心配されるのがせいぜいだ。
もう一度窓の外を見る。窓枠はギリギリ足を掛ける程度の幅がある。あれを伝って別の窓から他の部屋に移れれば――。
「――殿下!」
今度は男の声だった。先ほどの人物よりも遠慮がない様子で、扉を強く叩かれる。
「階下の者が悲鳴を聞いたと言っています。いい加減にしてください! 入りますよ!」
「ま、待って――」
カレンの制止もむなしく、ついに扉が開いた。
現れたのは背の高い黒髪の青年だった。コートのように丈の長い、銀色のボタンと同色の刺繍が入った紺色の上着、細身のズボンにひざ下のブーツ。やっぱり先週のテーマパークを思わせる、クラシカルな衣装だ。
青年は顔立ちは整っているが、どこか冷たい雰囲気をまとっていた。まじまじとカレンを見た後、うろんげに目を細める。
「……何をしておいでですか?」
窓枠に膝をかけたカレンは、引きつった笑みを浮かべるしかなかった。