19、従者の休日
カレンとミリエルが取っ組み合いの喧嘩になる数時間前、ロウラントは帝都レギアの郊外にある、とある邸宅を訪ねていた。
侍女の案内で部屋に入ると、黒髪の青年が窓を背に立っていた。
「ひさしぶり――今はロウラントって呼べばいい?」
柔らかい微笑を浮かべているのだろうと想像はつくが、それは声と雰囲気からでしか判断ができない。青年は仮面舞踏会でもそうそう見ない、視界のための穴以外、すべてが覆われた仮面を着けていた。
「室内でもそれをつけているのか?」
「着けたり外したり気を遣う方が面倒なんだよ。慣れればどうということはないよ。以外と通気性は悪くないんだ」
「そういう問題では――いや、お前がよければいいんだが……」
「理解しがたいかもしれないけど、僕はこれでも今が人生で一番自由な気がするよ」
青年はロウラントにテーブルに着くように勧めた。
「それで、今日は『父上』に会いに?」
「たまには顔を見せに来いと呼びつけておいて――今日は外出中らしいな」
「無駄足だったね」
「まあ、いいさ。最近疲れていたし……良い息抜きにはなる」
間もなく侍女がコーヒーを携えてやってきた。異様な主を気にする様子もなく、すぐに部屋を去っていく。
彼はどうやってコーヒーを飲むつもりなのかと観察していたが、仮面の口元だけかすかに上げて器用にカップを運んでいる。本当にこの生活に慣れ切っているらしい。
「ギルデ産の良い豆が手に入ったんだ。紅茶よりそっちの方がいいだろ?」
「ああ、うまいな……」
最近お茶の時間はカレンの相伴に預かることが多い。紅茶好きの主の好みに合わせているせいか、コーヒーはひさしぶりに口にした。深いコクの中に、葡萄に似た華やかな香りが広がる。確かに自分好みだ。
「お前はしばらくこっちにいなかっただろう。ディラーン商会の仕事か?」
「そうだよ。ロウラント殿がいなくなった穴埋めが大変だよ。僕は荒事には向かないしね」
「俺だって向いているわけじゃないさ。それに人間関係を作るのは、お前の方がよほどうまいだろう?」
ロウラントが抱える気苦労が伝わったのか、青年が苦笑する。
「従者も大変そうだね。……そうか、いよいよ本格的な選帝期間に入ったんだね。最近の宮廷やディアはどんな様子?」
「悪くない……思いのほか、すごく」
「え?」
ロウラントはどう説明したものかと首をひねるが、彼なら素直に事情を教えてもいいだろうと考える。
「俺もいまだに信じ難い話なんだが――」
すべてを語り終えると、青年からは戸惑いの雰囲気が伝わってきた。無理はない。あの《ひきこもり姫》に別人格が乗り移り、貴族たちが捨て置けなくなるほど、皇女として才覚を示して見せたなど。にわかには信じられまい。
「冗談のような話に聞こえるかもしれないが、すべて本当だ。そのうちお前の所にも、舞踏会での噂が入るだろう。……正直、最初は頭の軽い小娘にしか――いや実際に割とそうなんだが、少なくとも度胸は本物だ。どういう育ち方をすればああなるのやら……」
礼儀作法だのダンスなどは練習次第で身に付くが、精神力だけは教えようがない。見ず知らずの世界で、突然理不尽な立場に立たされても、それをあっさりと受け入れる度量の深さ。初めての夜会で、百戦錬磨の貴族相手に堂々と渡り合う肝の座りよう。
祖父母と孫くらい年の離れた気難しい貴族たちまで、カレンのくるくると変る表情や、場を和ませる話術に引き込まれていた。
フレイは、カレンはカレンディア皇女と似た部分も多いというが、あの何にも怯まない心の強さだけはまったく正反対だ。やはり別人としか思えない。
「驚いたな……」
青年が呆けたように小さくつぶやいた。
「だろうな。言っている俺も、正直人の人格が入れ替わるなど信じられないさ」
「いや、そうじゃなくて。あなたが他人を絶賛しているところが」
今度はロウラントがぽかんとする番だった。
「……絶賛していたか?」
「他人に手厳しいあなたが、そこまで気に掛けるなんてね。どんな様子なのか、僕も少し興味があるよ」
「そ、そうか……」
ロウラントは思わず口元を手で押さえる。
カレンに魅入られていたのは、宮廷の人々だけではなかったことに今更ながら気づき、頬に熱が上がる。
「それにしても、皇女に別人の魂か……」
青年は腕を組んで考え込む。
「正直信じがたいけど、この世界には人智を超えた不思議な力が存在するしね。ロウラントもよく知ってるだろ?」
皇族の一部だけが備えた『祝福』。例えばイヴリーズの他人の怪我を癒す力がそれだ。
青年は仮面の奥で苦笑する。
「失礼ながら、《ひきこもり姫》に、突然皇女としての自覚が芽生えたと言われるより、別人が乗り移ったって方がまだ信じられるね」
「お前も辛らつだな……」
とはいえ、以前のカレンディア皇女の出来の悪さはあまりにも有名だった。残念ながら努力ではどうにもならない、生まれ持っての向き不向きや、才能という物は確かに存在する。あればかりは、多少意識が変わった程度でどうなるものではない。
以前のカレンディアに関しては、この性格では修道院で世俗から離れて暮らす方が、本人も幸せなのではと、半分投げやりになっていた。
だが今のカレンなら話は別だ。あれはどこかに閉じ込めておくには、あまりにも惜しい。それならば当初の予定通り、どうにか宮廷に残るだけの価値を示せるよう、彼女を支えなければならない。
いや――ロウラントは小さく笑う。カレン自身は皇帝になると言い切っている。最初は右も左もわからぬ小娘の荒唐無稽な言葉としか思えなかったが、今はそれがかすかな希望の光に思える。ロウラントの意識を変えたように、いずれは宮廷中の人々の心をひっくり返すかもしれない。
「――でも、別人の魂って言い分が本当だとしたら、ディアの魂はどうしたんだろうね?」
「ずいぶん呑気な言い草だな……」
ロウラントはかすかに呆れて言う。
「いやいや、本当に気にはなるよ。ただ残念ながら、幼い頃を除けば、あの子とはほとんど接点がないからね。思い入れで言うと、正直他の人達よりはなあ……」
「……実は俺もあまり否定できない。正直に言うと顔の記憶もおぼろげだった。非常に申し訳ないとは思うんだが……」
この際カレンの正体が、何でもかまわないと思っているのは本音だ。もう選帝会議に向けての戦いは始まっている。
その反面、いっそディアが狂人と化したか、あの無能時代の方が演技であってほしいとも思う。ディアを見限ったことに罪悪感を抱いているのは本当だし、彼女の魂がより所を失いさ迷っているとは思いたくない。何よりも――。
ロウラントはかすかな胸の痛みを感じつつ、不安を頭から追い出すように、首を振る。
「それにしても本当にすごい人なんだね、今のカレンディア皇女は。僕の知っている中で、あなたは今が一番楽しそうに見えるよ」
青年が仮面の奥で目を細めるのがわかった。
「……そうかもな」
満更でもなく答え、ロウラントは照れ隠しのように窓の外を眺める。
「綺麗な庭だろ? 『父上』は趣味がいいよ」
宮廷の庭園のように洗練された庭園ではない。小川を引き込み、岸辺には野に咲く花や柳の木が揺れている。田舎の田園地帯を思わせる風景だ。
「宮廷ではツキに恵まれない人だと、陰口を叩かれているらしいけど、こんなに生き生きと趣味を謳歌しているなんて、誰も思ってないだろうね……」
「言わせておけばいい。自分たちが上辺だけを取り繕った、掃き溜めにいることにすら気づいていない連中だ」
ロウラントの口調に、自然と憎悪と嫌悪が滲む
「せっかくだから庭で昼食でもと、誘いたいところなんだけど、残念ながらかまどの調子が悪いらしい。修理屋が来てるんだ」
「確かに残念だ。ここの料理人のウサギ肉のパイは絶品なのに」
本気で落胆しながらロウラントはつぶやいた。
こうしてロウラントは、予定より早く宮殿へ帰還することになる。かまどの故障に感謝するなど、このときは思ってもいなかった。
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