18、一歩、歩み寄る
「兄上……姉上……」
カレンの血の気がさっと引いていく。彼らはいつからいたのだろう。これでは、カレンディアが昔とは別人格であることは誤魔化しようがない。
グリスウェンは顔を上げたカレンを見て、さら吹き出す。
「カレン、こっちを見ないでくれ! さっき飲んだ紅茶を吐きそうだ!」
「や、やめてよ、スウェン……わ、私まで――」
グリスウェンの肩をばしんと叩いて、イヴリーズはその場で肩を震わせうずくまる。楚々とした聖女っぷりが台無しだった。
「お、お姫様ああぁー」
毬のような体が生垣の向こうから飛び込んでくる。小柄だが豊満な体つきの年配の女性が、おろおろとミリエルの前に崩れ落ちる。
「ああ……何てこと……お可哀想にミリエル様」
幼児にするようにミリエルの乱れた髪を撫でつけながら、侍女はさめざめと泣く。
(どっちかっていうと、私の方がお可哀想じゃない……?)
ミリエルはカレンが頭を押さえつけたため、結っていた髪が少々乱れているくらいだ。それに引き換え、カレンは髪もドレスもミリエルの比でないくらいボロボロ。蹴られた脛は痣になっているし、頬や手の甲も引っ搔かれたのかヒリヒリする。
「大げさにしないでメイ。それに私はいつまでも小さな子供ではなくてよっ!」
侍女の手を振り払いミリエルが言った。このメイと呼ばれた彼女は、おそらくミリエルが小さな頃から世話をしているのだろう。
「それにどうして、あなたがここにいるのです!? 着いて来るなと言ったはずでしょう」
「そう邪険にしてやるな、ミリー。メイベルはお前を探し回って、泣きながら庭をさ迷っていたんだぞ」
グリスウェンが取りなすように言う。
「申し訳ありません……お姫様がどうしても心配で……」
ぐすぐすと泣き出す侍女を見て、さすがに思うところがあったのか、吊り上がっていたミリエルの眼差しが和らぐ。
「……もういいわ。よくここがわかったわね」
「お姫さまを方々で探し回っていたら、殿下方にお会いしまして、一緒に探してくださったのですよ」
ひとしきり笑って気が済んだのか、イヴリーズが穏やかな表情でミリエルに語りかける。
「たまには一人になりたい気持ちもわからなくはないけれど、お付きの者たちに迷惑をかけるのはよくないわ。あなたに何かあれば、彼女たちが罰せられるのよ。仕える者を守るのも主の務めだわ」
「……おっしゃる通りです。肝に銘じておきます。お姉様とお兄様には大変迷惑をおかけしました」
ミリエルはぐっと唇を嚙み締めたが、長姉にしおらしく頭を下げる。
「いや、俺たちのことはいいんだ。……なかなか面白いものを見せてもらった」
言って、グリスウェンはまたニヤニヤしている。
「お姫様……そろそろ風も出て冷えて参りましたし……」
「わかっています。――今日はこれでお暇させていただきます」
ミリエルは姉たちに丁寧に礼を取ると、きっとカレンに向き直る。
「わたくし、カレンお姉様に頭を下げるつもりはなくってよ!」
「お子様に最初からそんなもん期待してないし」
「なんて言い草っ!」
再び顔を赤くするミリエルにカレンは言う。
「私に頭も下げたくないし、借りも作りたくないなら、にっこり笑って『ありがとう、お姉様』とでも言っておけばカワイイのに」
「は……?」
目を丸くするミリエルにカレンはにっと笑う。
「澄まし顔で無理やり大人ぶってるより、そっちの素の方がカワイイってこと。引っ掻かれたり、蹴られたりすのはゴメンだけどね」
ミリエルの子供らしからぬ言葉遣いや態度も、大人びた色調のドレスも、周囲に侮られまいとする虚勢なのだとわかってきた。弱みを見せれば、あのアーシェント伯爵令嬢たちのような輩がすぐに群がってくる。――誇り高く冷徹な姫君。本来なら感情豊かな少女が生き残るために、必死で身に着けた仮面なのだと思えばすこし可哀想になってくる。
憐れみが伝わったのか、ミリエルが眉を吊り上げる。
「馬鹿にしないでっ!! お姉様なんて、ずっと部屋の奥にひきこもっていればよかったのに!!」
身を翻して早足で立ち去っていくミリエルを、メイベルが慌てて追いかけていく。
「あなたもね、カレン」
イヴリーズが可笑しそうに吹き出す。
「そっちの方がずっと楽しいわ」
そう言われて、カレンは気まずく視線を逸らす。よりにもよって、一番カレンの正体を暴かれてはいけない人たちにばれてしまった。ちらりとフレイを伺えば、もはや手の施しようがないとばかりに、がっくりとうなだれていた。
昔と性格が違うのはもはや誤魔化しようがない。こうなれば、せめて記憶や知識が欠けていることだけは知られないように振舞うしかない。
「……いつから見てましたか?」
「スウェンとたまたま庭園で会って、話をしながら歩いてたら、ミリエルがエレシア嬢たちと話す声が聞こえてきたので、気になって見に来たのよ」
それならカレンと同じく、ほぼ最初から見ていたということになる。カレンが不服そうな顔をしていると、グリスウェンは人の悪い笑みで言う。
「止めに行こうかと思ったら、先にお前が割って入ったんだ」
カレンはそこではっと気づく。声を聞きつけてイヴリーズらがやって来たのなら、他の者たちにも見聞きされていた可能性がある。この庭園は宮廷を出入りする貴族たちなら、誰でも自由に入れる場所なのだから。
青ざめるカレンの心情を察したのか、イヴリーズが安心させるように首を振る。
「大丈夫よ。こうなるとは思わなかったけど、念のため人払いをさせておいたの」
安堵したのは一瞬だけのことだった。
「――偶然近くにいた、あなたの従者に」
イヴリーズの言葉に、カレンの背中に冷たい汗が伝う。
「……お手数をおかけいたしました、殿下方」
錆びついたかのように、ぎこちなく首を巡らせば、そこには見慣れた自身の従者が、かつてないほど冷ややかな眼差しをして、こちらにやって来るところだった。
「……カレンディア殿下にこれを」
どこで調達していたのか、ロウラントは何やら装飾の施された布の塊をフレイに差し出す。
カレンと同じく呆然としていたフレイが、はっと弾かれたようそれを受け取る。広げるとフード付きの婦人物のマントだった。着せ掛けてもらうと、ボロボロだった髪とドレスはどうにか誤魔化せそうだった。
「ご苦労だった。妹の御守は大変そうだな」
「恐れ入ります」
複雑そうな面持ちで頭を下げるロウラントを、なぜかグリスウェンが凝視している。
「あー……すまない、貴公は」
「恐れながら、ロウラント・バスティスと申します。コレル男爵の紹介により、カレンディア殿下の従者を半年前より勤めさせていただいております」
「そうか。失礼だが、貴公と以前どこかで会ったことがあるか?」
「いえ……カレンディア殿下にお仕えするまで、宮廷には数えるほどしか上がったことがございませんでした」
「そうなのか? どこかで見たような顔だと思ったんだが……いや、いいんだ。気にしないでくれ。今後とも妹をよろしく頼む」
「御意に、グリスウェン殿下」
深々と礼を取るロウラントを、グリスウェンはそれ以上気にする様子はなかった。
「皆、そろそろ戻りましょうか。あまり長く人払いしていては怪しまれるわ」
イヴリーズのもっともな言葉に、カレンはうなずく。
「ご迷惑をおかけしました。イヴリーズ姉上、グリスウェン兄上。また改めてお礼申し上げさせていただきます」
丁寧にお辞儀をするカレンディアを、グリスウェンが少し寂しそうに見つめる。何かおかしなことを言っただろうかといぶかしんでいると、イヴリーズが苦笑する。
「カレン、お茶会の約束を忘れないでね。その時はかしこまらないで、今日のミリエルとのおしゃべりみたいに気さくに話してほしいわ」
さすがにあれは『おしゃべり』でも『気さく』でもないと思うが、言わんとしていることは理解できた。
「そうだな。俺たち兄弟姉妹はもっと歩み寄るべきだと思う。年齢差はあっても優劣はないんだ。遠慮などいらない」
「ありがとうござ――いえ、ありがとう。えっと……スウェンお兄ちゃん……?」
グリスウェンが笑顔のまま固まる。――しまった、少し違ったみたいだ。コホンと、咳払いして言い直す。
「……スウェン兄上、イヴ姉上もありがとう。お茶会、楽しみにしてるね」
「ええ、こちらこそ」
うれしそうに破願するイヴリーズに、少し照れながら小さく手を振り、カレンはその場を後にした。
(兄弟姉妹か……。ちょっといいなあ、こういいの)
後ろから険しい目を向けるロウラントに気づかず、カレンは上機嫌で離邸への道を戻った。
――一方、カレンが立ち去った後。
「お兄ちゃんか……意外と悪くないな」
妹の後姿を見送りながら、満更でもない顔でつぶやくグリスウェンに、イヴリーズがうろんげな視線を向けていた。
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2024年8月15日 誤字、加筆訂正




