16、花園の裏側は
「――ミリエル殿下。ごきげん麗しゅうございます」
その名前に、カレンは思わず耳をそばだてる。
「……ごきげんよう」
そっけない返事は間違いなくミリエルの物だ。
すぐにコツコツと石畳を歩く音が響く。特に懇意の相手ではないらしく、ミリエルは足を止めるつもりはないようだ。
「あら、お待ちになってください」
「わたくし達心配しておりましたのよ」
鈴を転がすような笑い声が響く。
品は良いが、どこかねっとりとした思惑が感じられて、軽やかとは言えない。
その意図にカレンですら気づいたのだから、彼女たちを目の前にしたミリエルに、わからないはずはない。ミリエルの足音が止まる。
「昨日の夜会では、喉の調子が優れないご様子でしたから……」
「少し風邪気味だっただけですわ。心配には及びません」
絡みつく悪意を振り払うようなぴしゃりとした声音だった。
しかし令嬢たちは気づいてないか、あえて気づかぬふりをしているのか、会話を続ける。
「それなら安心いたしましたわ。――ねえ?」
「ええ、てっきり御心労から来るものかと……」
間違いなく昨日の当て擦りだ。カレンは自分の出番が終わるとすぐに大広間から去ったが、あとでロウラントが仕入れてきた情報によると、ミリエルはプレッシャーが効いたのか、得意なはずの歌で大失敗だったらしい。
もちろんカレンは意趣返しのつもりでそう仕向けたのだから、正直気分はすっとした。が、だからと言って関係のない他人が、尻馬に乗ってくるのは不本意だ。
カレンは生垣の隙間を見つけ屈みこむ。
「……カレン様!」
制しようとするフレイに向かって、カレンは口元で人差し指を立てると、隙間から反対側をそっと伺う。
ミリエルは今日も大人びた濃紺のドレスで、相変わらずつんと澄ました表情だ。対峙する二人の令嬢の顔を見ながら、カレンは記憶を探る。
「何がおっしゃりたいの?」
ミリエルの鋭い詰問に、少女たちが顔を見合わせ、弾かれたように再び笑い出す。
中学生くらいの女の子がやるくだらない意地悪だが、やられた方は居たたまれない。カレンもその惨めさには覚えがあるので、思わず眉をひそめる。
そもそも未来の皇帝として有力視されている皇女相手に、よくここまであからさまな態度を取れるものだなと、ある意味感心する。
(――そうだ! あの子たち……)
思い出したことがあった。
「あのカレン様」
フレイが困惑したようにカレンの耳元でささやく。
「ミリエル殿下の侍女の姿がないようですが……?」
「……そうだよねえ」
もっともなフレイの疑問に、カレンも首をかしげる。
辺りに少女たち以外の気配はない。ミリエルは舞踏会でも大勢の侍女を引き連れていた。いつも道を塞がんばかりの取り巻きを連れていることで有名、と聞いていたのに変だ。今まさに、ミリエルには助けが必要だと言うのに。
「……まだ体調が優れませんの。お話がないようなので、これで失礼させていただきます」
ミリエルは少しも動揺する様子がなく、冷淡に言葉を返す。
ミリエルに良い印象はないが、たった一人で年上の少女たちを相手に、嫌味を歯牙にもかけない毅然とした態度はさすがだと思った。
「無理もありませんわ。宮廷は姉君様――カレンディア殿下の噂で持ちきりですもの」
自分の名前を出されカレンは息を呑む。
「ええ、皇女にふさわしい気品に加え、あの愛らしさですもの。ミリエル殿下が心中穏やかでいられませんのも、当然ですわ」
その言葉で場の空気が変わったのが分かった。身を翻しかけたミリエルは再び令嬢たちに向き直ると、刺すような鋭い眼差しを向ける。
あからさまにミリエルは腹を立てているが、それはカレンも同じだった。カレンが今まで舞踏会に向けて努力を続けていたのは、こんなくだらない嫌がらせのためではない。
「……何か思い違いをされてません。カレンディアお姉様は関係がありません」
ミリエルは低い声で、はっきりと言い放つ。
「そうですの? てっきり選帝会議の行方にお心を痛められているのかと……」
「品格も血筋も非の打ち所がないイヴリーズ殿下、勇猛果敢で人々の信頼も厚いグリスウェン殿下……そこに加えて、華やかで魅力に溢れたカレンディア殿下の台頭……誰が皇帝になってもおかしくありませんわ」
その言い分をミリエルは鼻で笑う。
「――魅力などくだらない。その程度の些事が何だと言うのです」
腰に手を当てて、ミリエルは高らかと言う。
「個人の才覚にしても、血筋にしても、わたくしがお姉様方に劣らないことは公然の事実。……もっとも、貧相な身を飾り立てるしか能のない方々は、殿方にしか興味がないでしょう。ご存じなくても、無理ありませんわ」
ミリエルの方も、もはや嘲りを隠すつもりはないようだ。
令嬢たちの顔色が変わる。
「ま、まあ! お言葉ですが殿下、殿方にしか興味がないとは、一体誰の話でしょう!?」
「まったくですわっ……トランドン伯爵が孫娘の相手にと、有能な殿方に片っ端から声をかけていることは有名な話でしてよ」
祖父の名を出されても、ミリエルはけろりとしていた。
「一族の娘にふさわしい相手を、当主が探すのは当然のことでしょう。ましてわたくしの婿ともなれば、皇配として責務を負うことになるのだから。……でも、まあ――」
ミリエルは軽く肩をすくめて笑う。
「ご一族に、そこまでの伝手や手腕があればの話ですけれども。――ああ、だから自ら狩りに赴かれように、見境なくあちらこちらの宴に顔を出されているのですね。そのような気苦労も察せず、わたくし失礼なことを言いましたわ」
「な、なんてことを――っ!」
令嬢たちの顔色が青から赤に変わる。
「よ、よくも、あのアンフィリーネ様を母君に持ちながら、棚に上げるようなことをおっしゃいますわね!」
「まったくですわ。あの方の色好みこそ――」
「黙りなさい!!」
令嬢の言葉は、ミリエルの悲鳴のような声でかき消された。
その剣幕に、令嬢たちは一瞬弾かれるように仰け反った。しかし青ざめた顔で握った拳を震わせるミリエルを見て、獲物を見つけたかのように、紅に塗られた唇を歪める。
様子を見守っていたカレンは、無言で立ち上がる。
「カレン様っ!」
呼び止めるフレイに構わず、ドレスの裾をさばいて、石畳を高く鳴らしながら生垣を迂回する。
響く足音に、三人の視線が向けられる。
「ご機嫌よう、皆様方」
カレンは場違いなほど、晴れやかな声で呼びかける。
「カレンディア殿下――」
令嬢が呆然とその名をつぶやくと、カレンはとろけるように微笑んだ。
「近くを歩いていたら、わたくしの名前が聞えたから立ち寄らせてもらったの。無作法をお許しいただけるかしら?」
カレンの言葉に、令嬢たちは気まずそうに「と、とんでもありませんわ……」と愛想笑いを浮かべる。
「何を楽しそうにおしゃべりしてらしたの?」
「それは……」
二人の令嬢は互いに目配せをし合い、目に見えて冷や汗をかいている。
どこまでカレンが今の話を聞いていたのか、確証が持てないのだろう。どうも『カレンディア皇女』には喧嘩は売れないようだ。彼女たちの立場がカレンの想像する通りなら当然だろう。
「そう、昨日の夜会の話題ですわ!」
「ええ、カレンディア殿下のお歌はとても素晴らしかったですわ。わたくし感動の涙が止まりませんでしたもの」
令嬢たちは話を逸らすように、おおげさな誉め言葉をまくし立てる。
カレンに特に謙遜するでもなくさらりと言う。
「ありがとう、うれしいわ。興味を持っていただけたのなら、今度ご一緒に音楽会でもいかがかしら?」
「まあ! お誘いいただけるのですか?」
カレンの誘いに、令嬢たちは目を輝かせている。
満更でもないその様子から、昨日の夜会はやはり及第点だったと確信する。
もはやカレンディアは《ひきこもり姫》でない。貴族たちが繋がりを作っておきたいと思える程度には認められ始めている。
とはいえ、カレンには彼女たちを喜ばせる義理はなかった。
「ええ、もちろん。グリスウェン兄上もお呼びしましょう」
グリスウェンの名を出すと、令嬢たちの笑みが固まった。




