6、彼女の術数2
ロウラントが古びた二客のティーカップとソーサーを床に置いた。中身はロウラントが小屋の中をあさっている時に、鍋と一緒に見つけた紅茶を直接お湯で煮出したものだ。茶葉が浮いているが贅沢は言っていられない。一緒に見つけたというラム酒の瓶を傾け、ロウラントは片方のティーカップに二、三滴垂らす。
「――どうぞ。これくらいなら殿下でも大丈夫でしょう」
毛布でミノムシ状態のカレンは腕だけを差し出す。
「あ、ラムレーズンの香りだ。いただきます」
カレンはくんくんと匂いを嗅いでから、ティーカップに口をつける。
「うん、おいしい!」
「それはよかった」
ほっとしたようにうなずいたロウラントは、自分用のティーカップに今度は景気よくどぼどぼとラム酒を注ぐ。明らかに風味付けの量を超えた配分だ。
「それもう紅茶じゃなくて、お茶割り……」
ロウラントはぐいっとティーカップを傾けたあと、
「……飲まないとやってられないですよ」
と、少し苛立ったように言った。
ロウラントは動揺している時ほど、不機嫌な振りで場を誤魔化す癖がある。その原因を追究すると、カレンも居たたまれなくなりそうなので見て見ぬ振りをした。
「あーあ、どうせこんなことになるなら昼間のチョコレートケーキ、ミリーにあげるんじゃなかったなあー」
「チョコレートケーキ?」
「うん、お酒が効きすぎてるから、私は食べない方がいいってフレイ先生たちに言われたの」
「それは食べなくて正解でした。気休め程度ならともかく、酔うほどの量は体を温めるのにむしろ逆効果ですよ」
「矛盾してない?」
「俺はこの程度では酔わないからいいんです」
言って、ロウラントはほぼ中身がラム酒のティーカップを勢いよく飲み干した。
「……そういえば、俺も今日ケーキを食べてきました。あんなの食べたの何年か振りですよ」
「乳母の……エミナさんだっけ? さすがのロウも小さい頃からお世話になってる人の勧めは断れないか」
「自家製のハチミツで作ったとやたら勧めてくるので。実はまだちょっと胸やけがします。まったく……俺が甘い物が苦手なことはよく知ってるくせに」
「普段ロウたちにあんまり会えないから、昔みたいにいろいろ世話を焼いてあげたいんじゃないかな」
「そういうことなんでしょうか……。エミナも職務から離れて、寂しいのかもしれませんね」
ふとロウラントが眉を寄せる。
「……殿下、そのチョコレートケーキは誰が用意した物ですか?」
「今日のお茶とお菓子は全部ミリーが用意してくれたよ。多分侍女のメイベルさんが手配してくれたんじゃないかな」
「メイベル……」
「そういえば彼女、エミナさんとは姉妹なんでしょ?」
「……今日はお茶会の後、帰る途中に森の中で皆とはぐれたんですよね?」
「そ、メイベルさんがブローチを落したって道を戻ろうとしたから、ちょっとの距離だったし、私が取ってきてあげるって戻ったの。――ほら、彼女体型がアレだから素早くは動けないじゃない?」
「だからって殿下が行かなくてもいいでしょう。何のために侍女がいるんですか」
「だってあの中なら絶対に私が一番早いし!」
ヒールで全力ダッシュができるのは、『元の世界』にいた頃からの密かな特技だった。貴婦人たちは淑やかだが、カレンの感覚では焦れるくらいとにかく動きが緩慢だ。特に樽のような体型のメイベルでは俊敏には走れないだろう。フレイが止める声が聞こえたが『大丈夫、大丈夫!』と言いながら、自分が道を戻った。
「それで戻ったら、みんなの姿が見えなくなっちゃって焦ったよー」
へらりと笑うカレンとは対照的に、なぜかロウラントの表情はどんどん険しくなる。ついにうつむき黙り込んでしまった様子に、さすがのカレンも心配になってくる。
「ロウ、どうかし――」
「あの《やり手ばばあ》!!」
無言で頭を抱えていたロウラントが、急に両の拳で床を殴ったので、カレンがびっくりしてのけぞる。
「うわっ! な、なに? どうしたの!?」
「仕組まれたんですよ! あの《やり手ばばあ》のパンデール夫人に!!」
「いやいや、御婦人にババアとか言ったらダメでしょ」
「そうじゃなくて、《やり手ばばあ》はパンデール夫人の二つ名です。あの人は未婚の男女の間を取り持つのに長けていることで、宮廷では有名なんですよ」
「ええっと……つまり?」
ロウラントはぎりと歯噛みすると、目を白黒させたまま状況が呑み込めないでいるカレンに言う。
「どうせ母上――イゼルダ皇妃に依頼されたのでしょう。今の俺たちが置かれているこの状況は、全部パンデール夫人に仕組まれたことなんですよ。予定より前倒しされたお茶会も、ケーキに仕込まれた酒も、この日のために設えられた一人では脱げないドレスも、やたら設備と手入れが行き届いた小屋も。何もかも全部です!」
「何のためにそんな手の込んだこと……」
「決まってるでしょう。雨に濡れた未婚の男女が、二人きりでいれば一線を越えるだろうって寸法ですよ」
「ええぇ……そんなありがちな……」
「まったくだ」
などと言いつつも、二人の間に気まずさが立ち込める。これで互いに一切意識してなければ笑い飛ばせもするが、危うかった場面に心当たりがないわけではない。少女たちが隠れ読む恋愛小説でありそうな、お約束の展開。こんなわかりやす過ぎる状況で、しかも他人の策略に落ちたとなれば、一生後悔していただろう。
「どうりで俺はともかく、殿下が宮殿に帰還しないのに迎えが来ないわけだ」
「まさかフレイ先生たちも!?」
「先生がこんなバカげた真似に手を貸すとは思えません。……が、今探しに来ないのは、パンデール夫人に引き止められているからでしょう。さすがに殿下に危険が及べば大事になります。おそらくですが下男あたりに命じて、俺たちがこの小屋に無事にたどり着いたことも確認しているはずです」
「私、結構な命の危機だったんですけど……」
「もちろんエミナも噛んでいたのでしょう。……くそっ、だからやたらハチミツをすすめたのか」
「ハチミツがなんで?」
「良質なハチミツは媚薬や精力剤になると言われてるんです。……本当かどうか知りませんけど」
知りたくなかった豆知識にカレンは表情を引きつらせると、うんざりしたようにロウラントが叫ぶ。
「やりにくいから、いちいち怖気づかないでください! 心配しなくても十代のガキじゃあるまいし、いい歳してこんな状況で盛るほど俺だって飢えてませんよっ」
その言葉にカレンは眉をピクリと動かした。先ほどまでとは一転して、さっと頭の中が冷ややかなほど冴えてくる。カレンの目が据わったことに気づいたのか、今度はロウラントが不思議そうな顔をする。
「殿下?」
「つまりそれって十代の頃遊び尽くしたから、もう間に合ってるってことだよね?」
「は? いえ別に……」
「過去にこだわる気はないけど、さすがに物事には限度ってものがあると思うんだよね」
「だから……そうではなくて……」
自分と出会う前の遍歴にチクチク嫌味を言うような、面倒くさい女にはなりたくなかったが、どうもロウラントは当初の想像以上に、羽を伸ばしていた時期があったようだ。その証拠に半分以上根拠のないカマかけなのに、頭脳明晰な彼らしからぬ態度で、ろくな弁明をできず口ごもっている。その様子にカレンは心の中で舌打ちする。
(……あーあ、これやっぱり図星なヤツだ)
頭と顔、ついでに体にも自信がある男だ。しかも皇家の人間らしく倫理観までぶっ壊れている。そっち方面にためらう理由がないのは、妙に納得ができた。思うところはあるが、これ以上この話題を広げても互いに痛い目を見ることになりそうだ。
押し黙ってしまったロウラントへのせめてもの情けで、カレンは話題を変えることにした。
「でも困ったね。これイゼルダ様の頼みなんでしょ? メイベルさん、きっとまた似たようなこと仕掛けてくるよ」
イゼルダは普段から、彼女からすれば身勝手なロウラントを『愚息』と呼んではばからないが、それなりに行く末を心配してる節もある。ロウラントが皇家の一員に戻り、ついでに自分の実家でもあるレブラッド家を再興してくれれば、彼女としては万々歳だ。
メイベルにしても、寸前のところで思惑がばれたものの、初めての作戦でここまで見事に獲物がかかったのだ、今頃ほくそ笑んでいるだろう。
「天気が変わりやすい時期なのはわかるけど、こんなにキレイに漫画か小説みたいな設定に嵌められちゃうとはねえ……」
降水量やタイミングが少しずれていれば、こんな目には合ってなかったはずだ。『持ってる』人間というのはどこの世界にもいるが、ここまで来ると驚愕や悔しさを通り越して、空恐ろしくなってくる。
「名君や名将と言われる人々は、手腕や知略が優れているのは当然として、なぜか理屈で説明できない幸運すら引き寄せると言われています。あの《やり手ばばあ》……時代と生まれが違えば、歴史に名を越す策略家になっていたかもしれない」
ロウラントは歯噛みするように低く呻いた。完全無欠の皇子と呼ばれた彼を、しかも勝手知ったる宮殿内で、ここまで追い詰めた人間はなかなかいないだろう。
「とにかく、この状況で不埒な行為に及ぶとか絶対にないですから。――そんな真似したら、今後は事に及ぶたびにあの婦人のしたり顔が脳裏をちらつく羽目になる」
「うん……それはキツイね」
カレンも思わず神妙な顔でうなずいた。
別に間に合ってはない……。
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