5、彼女の術数1
「本っ当にごめんなさいっ!!」
「……もういいです」
ミノムシのように毛布にくるまったままのカレンが頭を下げると、深い溜息が返ってきた。恐る恐る顔色を伺うと、ロウラントは呆れた眼差しを向けていたが、その表情自体はいつものことなので、たいして気分を害していないのは本当のようだ。
ロウラントはカレン以上にずぶ濡れでここにたどり着いたらしく、服は到底着られるような状態にない。今は大判の毛布を腰に巻き、肩にも別の毛布を羽織り、緊急事態ながらなんとかカレンの前に出られる体裁は整えている。
「悪気がないのはわかっています。こちらこそ、お見苦しいところを失礼いたしました」
「見苦しいどころか、むしろ立派だと思うけど」
「……へえー。それはどうも」
半笑いを浮かべるロウラントを前に、カレンはまたあたふたと釈明する羽目になる。
「ち、違っ……鍛えてるとか、そういう意味だから!」
「そんなにうろたえなくても、裸の一つや二つでガタガタ文句は言いませんよ。……確かに見られて困るほど、貧相ではないつもりですし」
「え!?」
「鍛えてるとか、そういう意味ですよ」
腕組みをしたまま平静に言われ、カレンは真っ赤になって口ごもる。もう何を言っても墓穴を掘ることにしかならない気がしてきた。
(ホント、腹立つくらい自信家だな……)
「ほら、馬鹿言ってないで早く暖炉の前に来てください。――まさかこんなことになるとは思いませんでしたが、火の起こし方くらい殿下にもお教えしておくべきでしたね」
「うん……後でやり方教えて」
運よくロウラントが来なければ、下手をすれば凍死していたかもしれない。
暖炉の前に座り込んだカレンは、毛布の間から両手を出して火にかざす。体の正面が温まったせいか、かえって背中の寒気が増し思わず身震いする。
「背中側を温めた方が効率がいいですよ」
ロウラントは小屋の中にある棚やチェストを探っている。やがて大きな真鍮の鍋を見つけて持ってきた。水が湛えられたそれを木の枝で位置を調整しながら火にくべる。暖炉を眺めながら、彼はなぜか考え込むような素振りを見せた。
「どうかしたの?」
「水瓶があったのですが中の水が新鮮だったので……。ここの森番はよほど頻繁に小屋の手入れをしているようですね」
「運が良かったね、私たち」
「……そうですね、不幸中の幸いでした」
カレンは毛布を丸めて胸元に抱えると、暖炉側に背中を向けてしゃがみ込む。確かにこの方が体全体を温まりそうだ。
カレンを見下ろすロウラントがふと眉をひそめる。
「殿下、そのドレス濡れてませんか? ……顔色も真っ青じゃないですか」
「うん、私もここにたどり着くまでにちょっと雨に降られちゃった。でもロウほど濡れてなかったから大丈夫だよ」
「死にますよ」
「え?」
「下手したら本当に死にますよ。濡れた衣服は想像以上に体温を奪います。いくら暖炉があるといっても、これから夜になればさらに気温が下がります。雨が上がらなければ離宮へは帰れないし、迎えがここを見つけてくれる保証もありません。最悪ここで一晩を明かす可能性もあるんですよ」
「え……いや、でも――」
ロウラントの言い分はもっともだが、気まずさにカレンは視線を逸らす。選帝期間中の話であれば、特に気も留めずロウラントの忠告に従ってただろう。だがロウラントの気持ちがどこにあるか知ってしまった今となって、意識するなという方が難しい。
赤くなったまま口ごもるカレンの心を読んだのか、ロウラントが半眼で睨む。
「心配しなくても、こんなセコいやり口で女性の体を見るような真似はしません。くだらない恥じらいと命とどっちが大事なんですか。俺は絶対にそちらを見ませんから、さっさとドレスを脱いで乾いた毛布で体を包んでください」
言って、ロウラントは少し離れたところに移動して背を向ける。さすがにここまで言われて信頼できないわけではないが、カレンはそれでもドレスを脱ぐことができなかった。
「あの、ロウ……?」
「なんですか? 俺だって火にあたりたいんだから早くしてください」
「……今日のお茶会だけど、せっかくだから女性同士でとびきりおしゃれして行こうって趣旨だったのね」
「ミリーとお揃いのドレスを作ったんでしょう。……というか、この話後でもよくないですか?」
「それでコルセットも簡単に着られる普段用のじゃないし、ドレスも着付けるのに、先生たちの手を借りて小一時間くらいかかったわけ」
「はあ……そうですか」
「だから、どうがんばっても一人じゃ脱げないの!」
暗がりの中で後ろを向いたままのロウラントが目元を押さえ、ぐったりとうつむくのがわかった。しばしの沈黙の後、うなるようにブツブツと何かぼやくのが聞こえてくる
「……もういいから、ドレスが落ちないように前をしっかり押さえててください」
「ホントごめん……面倒ばっか掛けて」
ロウラントへの申し訳なさに縮こまる。考えてみれば、その気がない時に女性の服を脱がせても、気まずいだけで楽しくも何ともないだろう。
「そんなもん今更ですよ」
文句を言いつつも、ロウラントはドレスの背で結ばれたリボンを解きにかかる。編み上げのドレスの構造は複雑で、カレンもどこにどうリボンが通っているのかいまだによくわからない。ロウラントも苦戦するかと思いきや、意外にもするするとリボンを解いていく。さらに「もうちょっと腹へこませられませんか?」などと失礼なことを言いつつ、コルセットの鋲を外し始める。
(……んんっ?)
鋲は小さく、とにかく数が多いため外すのにもコツがいる。そのよどみのない手つきに、ふとカレンの中で疑問がわいてくる。
「――よし、ここまで外せば後はご自分でできますね」
いつの間にか半身を締め付ける圧迫感が消え失せている。あれほどカレンを悩ませた脱げないドレスから、ずいぶんあっさりと解放されてしまった。途中から「まさか……?」と思っていたが、ここまでの無駄のない作業に確信する。
カレンはドレスの胸元を押さえたまま、警戒の眼差しを向けつつロウラントからすぅーっと距離を取った。
「どうかしましたか?」
「……慣れてるでしょ? こういうの」
これほど複雑な構造のドレスや下着となると、普段着替えを手伝ってくれているフレイでももっと時間がかかる。ロウラントはもともと手先が器用ではあるが、初見であの速さはさすがに説明がつかない。確実にドレスの構造を熟知している上に手慣れている。四か月で別れた『元カノ』がいたことは聞いていたが、その程度の遍歴では身に付かない高等技術だ。
「気のせいでは。早く脱いだ方がいいですよ」
しれっと言って部屋の隅で背を向けるロウラントを、カレンはうろんげに眺める。素っ気ない態度はかえってあからさまで、追及を避けるためとしか思えなかった。