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元地下アイドルは異世界で皇帝を目指す!  作者: 烏川トオ
番外編3 宮廷の策略家
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2、春の嵐1




宮殿の回廊で、ロウラントは年かさの侍女から一冊の本を受け取った。表紙を見たところ刺繍ししゅうの図案集のようだ。


「では、確かに」


「公爵閣下にこのような雑事をお願いするだなんて……無遠慮な姉で申し訳ございません」


「ついでですのでお気遣いなく、パンデール夫人」


 年齢は五十歳くらいだろう、体格のよいその侍女のことは皇子だった頃から顔を知っていた。


「それよりもミリエル殿下のご加減はいかがですか? 流行風邪だそうで、先週の舞踏会でもお姿が見えませんでしたが」


「ええ、もうすっかりお元気なられました。今度カレンディア殿下と野外でお茶会の約束をされていて、それは楽しみにされてますのよ。そのためにお揃いのドレスまで仕立てられて」


「それはよかった」


 婦人の名前はパンデール夫人メイベル。ミリエルの乳母であり、現在は彼女の侍女頭をしている。


「姉も公爵閣下のお見舞いを楽しみにしているそうで、本当にありがたいことですわ」


 メイベルの姉はイヴリーズ、ロウラント、グリスウェンの乳母であったエミナという女性だ。宮廷では数少ない、ロウラントの正体を知っている人物でもある。


 夫と死別した後、長年寡婦であったが、十年ほど前に宮殿内の森林を管理する森番の男と身分違いの恋に落ちた。それぞれの子供も自立していたため、結婚こそしていないが二人で夫婦のように暮らしている。




「パンデール夫人の姉君は私の従兄であるランディス殿下の乳母……。きっと亡き殿下も、私にあのご婦人を気にかけるようお望みになるでしょう」


 しらじらしい台詞を、ロウラントは神妙な表情を作って告げた。


「ええ、姉もきっと成長されたランディス殿下の姿を公爵閣下に重ねているのでしょう。閣下はランディス殿下と御髪や瞳の色がそっくりですもの」


(まあ本人だからな……)


 しかし宮廷でも『さすがは従兄弟』とランディスとロウラントの共通点を挙げる者はいるが、同一人物だという発想には不思議なくらい誰も至らない。好都合ではあるが、そんなに昔と変わったのかといささか複雑な気持ちになってくる。


「ところで……姉の所を訪ねられるのはいつになりそうでしょう?」


「あと三、四日で忙しい案件が片付くので、週明けになると思いますが。もしかして、この本は急ぎですか?」


「いいえ、たいした物ではございませんのよ。どうぞ気が向いた時に訪ねてやってくださいませ」


「そうですか……。では、私はそろそろ失礼いたします」





 用件を終え、さっさと踵を返したロウラントは、メイベルが目を細め、怪しい笑みを浮かべていたことにまったく気づいていなかった。






 ※※※※※※※※※※





 

 ルスキエの初春は天気が移ろいやすい。雪嵐の翌日には、汗ばむほどの陽気に見舞われることがある。この日はまさにそうで、カレンは雲一つない蒼天の眩しさに、帽子のつばの下で目を細めた。少し離れたところからは、軽やかに笑いさざめく少女たちの声が聞こえてくる。


 今日はミリエルとそのお付きの一行と共に、野外でお茶会をしていた。場所は昨夏にイヴリーズたちとお茶会をした森を抜けたさらに先、開けた丘陵地帯だ。この時期に群生する、野生の赤いアネモネと青空のコントラストは絶景だった。


 テーブルについて、装飾品のようなティーセットで楽しむお茶も悪くはないが、こうして草原に大きな布を敷いて、身分関係なく女性同士で気ままにお菓子をつまむお茶会はカレンのお気に入りだった。




「私ももう宮殿勤めは長いですが、このような場所があるとは存じませんでした」


「ええ、メイベル様のおっしゃる通り、予定を前倒しにして正解でしたわ」


 カレンの傍らではフレイと、今年からカレン付きの侍女になったシレナがにこやかに会話をしている。穏やかに風景を眺める二人とは対照的に、少々緊張した面持ちの少女が静々とカレンの元へ近づいてきた。


「殿下方……お茶のおかわりはいかがでしょうか?」


「私は大丈夫。ミリーは?」


「わたくしも結構です」


「ありがとう、エレシア。あなたもあっちでミリーの侍女の子たちとおしゃべりでもしてきたら?」


「よろしいのですか?」


 ほっとしたように笑顔を浮かべる少女に、カレンをうなずく。


「もちろん。今日はあなたたち侍女の息抜きも兼ねてるんだから、遠慮しないで」


「エレシア様、何かあれば私どもが殿下方のお世話をいたしますよ」


 フレイやシレナたち先輩侍女にも言われ、エレシアと呼ばれた少女は「では、お言葉に甘えて」と、近くで輪になっておしゃべりをしている少女たちに混ざる。あっという間にキャアキャアと賑やかな笑い声を立て始めた。




「ふん……わざわざあんな娘を侍女にするだなんて、カレンお姉様は本当に物好きですこと」


 つまらなそうに少女たちの様子を見やる妹に、カレンが苦笑して応じる。


「そう言わないでよ、エレシアもあの頃のことはずいぶん反省してるんだから。もうミリーの侍女たちともすっかり仲がいいじゃない」


 カレンの元にはシレナに続き、また新たに侍女となった少女がいた。名はエレシア、父はアーシェント伯爵だ。アーシェント家はカレンにとっては母方の遠縁に当たる。


 エレシアの父である現アーシェント伯爵は温厚な人柄だが、祖父であり、カレンたちの母ルテアを宮廷に送り込んだ先代アーシェント伯爵は、強硬な反七家門派として知られていた。エレシアは祖父の影響を受けたのか、選帝期間中はトランドン伯爵を後見を持つミリエルに敵対心を抱いていた。カレンも以前ミリエルと口論するエレシアたちを見たことがある。


 縁戚であるアーシェント伯爵から、娘を侍女にと打診されたのは立太子式が終わってすぐの頃だ。ルスキエ宮廷ではそろそろ結婚適齢期と見なされる十六歳になりながらも、決まった相手がいない上、少々気が強すぎる娘の行く末を心配したらしい。


 カレンとしては自分がエレシアに良い影響を与えられるとは思えなかったが、フレイやシレナたち年上の貴婦人の下で作法を学ぶことは悪くないだろうと、申し出を受けることにした。


 選帝期間中、アーシェント伯爵家から後見を受けていたグリスウェンからの口添えがあったことも理由の一つだ。後見と言っても体裁を整える程度のものだったが、律儀なグリスウェンが『俺はあの家に不義理を働いてしまったからな……』と気にかける手前、無視はできなかった。


 エレシアにはカレンの下で仕えるにあたって、最初に条件を出していた。宮廷では無用な諍いを起こさず、他の皇子皇女にも敬意を払うことだ。結果エレシアは想像以上に真面目に周囲との人間関係を良好に保つ努力をし、今ではあれほど険悪だったミリエルの侍女たちとも、おしゃべりを楽しめる程度に打ち解けている。負けず嫌いで攻撃的なところはあるものの、元来は機転が利く性質のようで、案外侍女に向いているのかもしれない。




「まあ確かに、お姉様の面倒を見るにはあれくらい我が強くなくては、心を病んですぐに暇をもらう羽目になりますものね。皇太子宮に勤めるには丁度いいのでしょう」


 妹のいつもの皮肉な物言いに、カレンは頬を膨らませるが反論はできない。側近であるロウラントとフレイが相当な色物であることは言うまでもないし、シレナもあのバルゼルト王子が見初めるだけあった、儚げな見た目に寄らない気丈な人だ。


「未婚のエレシアからすれば、あんまり侍女として長居するのもどうかって感じなんだろうけどね。……誰か紹介してあげた方がいいのかな?」


 未婚の令嬢たちが皇女や妃に仕えたがるのは、条件のいい男性と接点を作るためという理由が大きい。身内がうまく縁談をまとめてくれればいいが、そうでなければ令嬢の手習いとして刺繍や詩作にふけっていても、披露する機会にすら恵まれない。しかし、舞踏会やお茶会に招かれることの多い女主人に同行すれば、青年貴族があちらから挨拶に来てくれる。こちらの世界の『婚活』事情も、受け身ではなかなか話が進まないのだ。


「さすがカレンディア殿下。侍女の縁談についてそのように気にかけているとは、人の上に立つ方として立派なことですわ」


 にこやかに話しかけてきた豊満な体躯の女性は、ミリエルの乳母であるメイベルだった。ミリエルを我が子のように溺愛していて、その職務を超えた忠義ぶりは宮廷でも有名だ。


 今日のお茶会は本来なら週末に予定されているはずだったが、メイベルがどこからか、アネモネの花が見頃だと聞きつけてきたので、予定を前倒しにすることになったのだ。


「そのためにも、まずカレンディア殿下が一日も早く立派な夫君を得て、若い娘たちの手本になられませ。わたくしも心よりお祈り申し上げますわ」


「……あ、ありがとう」


 どこか圧のある笑顔で言われ、カレンは引きつった笑みを返す。


 そういう決まりがあるわけではないが、一般的に姉妹は年齢の順に嫁いで行くものだ。決まった相手がいても、未婚の姉がいれば妹は結婚を遅らせることも少なくない。まして皇太子である姉を差し置いて、妹が先に嫁ぐとなるとあまり外聞がよくない。


 カレンがさっさと結婚しなければ、まもなく結婚適齢期に入るミリエルにも影響が出る。メイベルの立場からすれば、カレンに早く結婚してほしいという言葉は、世辞ではない心の底からの本音だろう。









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