15、従者の秘密と先生の事情
カレンは庭園の長椅子で背もたれに体を預け、ぼんやりと空を眺めていた。
昨日は頭を使い過ぎて疲れた。わりと好き勝手した自信はあったが、ロウラントからお小言はなかったので、ひとまず及第点だろう。
彼の入れ知恵で早々に退出したのも功を成したようで、コレル男爵からの知らせによれば、夜会がお開きになるまでカレンディアの話題で持ちきりだったようだ。
ロウラントのことを冗談でプロデューサーと呼んだが、実際この短期間で彼はカレンのことを理解し、売り込むための戦略をよく考えてくれている。
昨日は直前まで何を歌おうか悩んだが、できることは『歌』しかないとは思っていた。
結局選んだのは、生前の母と見に行ったミュージカルのナンバーだ。少女の身分違いの切ない恋の歌だ。母が好きだったものだ。何度も繰り返し聴いた曲だが、あちらの世界でも特別練習したことなどない。完全にぶっつけ本番だ。
こちらの世界ではオペラのような曲や歌唱法が基本なら、きっと邪道扱いだろう。しかも伴奏なしだ。それでもカレンにできることはこれしかなかった。
そもそもカレンはアイドルの中でも、特別に歌がうまい方でないと自覚している。最初から歌唱力は評価されないことなど予想済みだ。だからこの際、声量も音程も気にしない。ただ感情をこめて演じるように歌うことだけに専念した。
ろくに恋もしたことがないカレンでは、悲恋のヒロインの心情は完全には理解できないかもしれない。それでも、ひたすらに愛されたいという熱望だけは理解できる。光の届かない暗闇から、必死に手を伸ばすような焦がれる想い。わずかに重なる感情を縁に、カレンは不遇な少女に自分を重ねて演じる。
――愛してくれたら同じくらい、いやもっとたくさんの愛を返せる。
カレンは愛し愛されるためにアイドルになった。だから自分は皇帝になれると、カレンは勝負に出たのだ。
歌が終わり、鳴りやまぬ拍手に懐かしい想いが込み上げてきた。ライブでも何度も味わってきた。興味のなさそうな顔が、上から品定めするような顔が、徐々に自分へと引き寄せられ、囚われていく瞬間。盤上の石が一気に自分の色に変わるような快感。
今思い出しても背筋がぞくりと震える。
「カレン様……一応人が来ないとは言い切れませんから」
フレイからやんわりと苦言を呈され、カレンディアは思い出し笑いを堪える。
「ごめんね、昨日緊張しすぎたせいか気が抜けちゃった」
カレンは息抜きに少し歩きたいと、フレイを伴いあえて離邸から少し離れた庭園に来ていた。
見栄えのする花が少ない場所なので、他人が来ることはめったにないが、絶対とは言い切れない。ロウラントがここにいたら、「気が緩み過ぎです」と叱りつけられていただろう。
「無理もありませんね。初めての舞踏会にもかかわらず、大変ご立派な立ち振る舞いだったと、ロウラント様が絶賛されていましたよ。あの方があそこまで興奮したご様子は初めて見ました」
「へえー、ロウがねえ……」
どうせ絶賛してくれるなら、本人の前ですればいいのにと思う。調子に乗るとでも思われているのだろうか。……まあその通りだが。
そのロウラントはカレンの離邸には不在だ。実家に所用があるとかで、珍しく丸一日休暇願いを申し出ている。
舞踏会も終えたことだし、どうせならもう二、三日休んでもらっても構わないのにとカレンは思った。ロウラントのことは頼りにはしているが、小言の多さにはときどき疲れる。
その心内を見透かしていたのか、彼は自分が不在の間、羽目を外しすぎないようにと、過保護な母親のようにカレンに言い聞かせ出かけて行った。
「ロウの実家って帝都にあるんだね。都会っ子じゃん。ロウの家は代々騎士なの?」
呑気に質問するカレンに、フレイは表情を曇らせる。
「……おそらく黙っていてもカレン様の耳にも入る話でしょうから、誤解のないように先にお話しておきます」
「ん? うん」
フレイは少し声を落して言う。
「ロウラント様は貴族を父君に持つ庶子だそうです」
「庶子……?」
「婚姻関係にない男女の間に生まれた子供のことです」
「ああー……なるほど」
元の世界では珍しい話ではないが、この世界では色々と難しい立場なのだろうと想像つく。
「残念ながらこの国では、女神の名の元に婚姻を誓った男女間に生まれた子でないと、洗礼が受けられません。洗礼が受けられないということは、国教であるイクス教の正式な教徒としては認められないということ――つまり身分にかかわらず、人間としての格が一段低いと見なされるのです」
「……何だかひどい話だね」
「私もそう思います。でもこれがこの国の現実なんです」
カレンは最初にロウラントに会った日のことを思い出す。彼が出世できそうにないことをからかってしまったが、あれは相当ひどいことを言ってしまったのではないかと青ざめる。
そんなカレンの心情を読んだのか、フレイが少し笑う。
「とはいっても、ロウラント様の父君はかなりの身分の方と聞いています。こうして皇女殿下の側仕えを任されるくらいですし、そこまで不遇な立場という訳ではないと思いますよ」
「そっか……」
「ただ口さがのない人は、能力のある方に対し、生まれや身分など、本人の努力ではどうにもできないことを攻撃してきます。もしカレン様の耳にそれが入ったとしても、けしてロウラント様に落ち度があることではないと、知っていてもらいたかったんです」
「うん。ロウが優秀な人だってことは、私もよくわかるよ。《ひきこもり姫》をこうして無事にお披露目させてくれたんだから」
フレイがぱちんと手を叩いた。
「そうです、カレン様! 舞踏会ではいったいどんな魔法を使ったのですか? ロウラント様が作法も話し方も練習以上の出来だったとおっしゃっていました」
「ああ、それはね。フレイ先生の真似をしたの」
「私の、ですか……」
ぽかんとするフレイに、カレンはにっと笑って見せる。
フレイは皇女の指南役に抜擢されただけあって、ただ歩く姿や物を取る仕草すら、白鳥のように優雅だ。何より不躾にならない程度に視線を合わせ、少し低い声でゆっくりと話す仕草が、大切に扱われているようで好きだった。
「教わったことを、そのつど思い出すとどうしてもギクシャクしちゃうでしょ。それなら多少細かい失敗はあっても、先生を演じるつもりでやれば自然になるかなって思ったの。前から素敵な女優さんを研究して、笑い方とか話し方を真似する練習はしてたから」
驚いたように目を見開くと、フレイは恥じらうように顔を伏せた。
「そ、そうでしたか……恐れ多いですが、指南役として喜ばしい限りです」
「こちらこそ。先生がいてくれて良かったよ」
カレンは照れながら笑い、フレイに両手を取ってぎゅっと握る。
皇女らしからぬ気安い行為に、ロウラントなら苦言を呈する所だろうが、フレイはふふっとうれしそうに笑う。カレンに甘すぎるくらい甘いフレイだが、手厳しすぎるロウラントがいるのでバランスとしては調度いいのかもしれない。
「できたら、一緒にいてくれると心強いんだけどね」
舞踏会ではイヴリーズやミリエルには、従者以外にも侍女が、それも複数人付き従っていた。宮廷での侍女の役割は、思っていた以上に多いことがわかった。第一に付き従う主を華やかに引き立てなければならない。会場にいた侍女たちは品良く、けれど華美過ぎない装いをしていた。
そして、主の体調や感情の変化への気配りも求められる。主が話し相手との会話に行き詰まれば助け舟を出し、無作法な相手と見なせば、自然な形で逃がすような力量も求められる。
昨日はいざとなればロウラントが助け舟を出す手はずだったが、ああいう場では、本来男の従者は護衛として邪魔にならない場所で控えているものらしい。
《ひきこもり姫》に仕える人員が不足していることなど、宮廷の人々もわかりきっているので、目こぼしされているのだろう。それでもやはり、同性の侍女が側にいてくれれば心強い。
「申し訳ありません。指南役でありながら情けない話ですが、修道院育ちの私では華かな場にはそぐわないかと……」
フレイは首元まで詰まったドレスをぎゅっと抑える。
宮廷ではカレンくらいの年齢になると、デコルテが空いたドレスを着用するのが一般的と聞いた。フレイは修道院を離れ、すでに宮廷暮らしが数年に及ぶはずだが、いまだに肌の露出がほとんどないドレスを身に着けている。修道服が極力肌を出さない物だったので、その方が落ち着くらしい。
「そっかー……人間向き不向きがあるし、仕方ないよね」
宮廷に巣くう人々が、笑顔の裏でどんな感情を秘めているのかは嫌というほどわかった。確かに清らかな場所で育ったフレイに、ああいう場で立ち回れと言うのは酷だ。カレンとしてもフレイが悪意渦巻く場で、心を痛める姿は見たくない。
「ロウラント様も信頼できそうな筋から、侍女を任せられそうな人員は探してはいるそうですが、優秀な方となると既に……」
「姉上とかミリエルにとっくに仕えてるよね」
主が皇帝となれば、その従者や侍女の将来も明るい。貴族の親達は幼少期からこぞって、有力な皇子皇女に自分の子を売り込んでいるだろう。
「とはいえ、確実に信頼が置ける方でなければ、カレン様に近づけられません。昨日の演目のような件もありましたし……」
「そうなんだよねー」
ミリエルはカレンが詠む予定だった詩の内容を知っていた。情報を洩らしたのは、おそらく離邸の皇女の前に姿を見せることは許されていない、メイド辺りだろう。
彼女達はあくまで宮廷に雇われているに過ぎず、特別な忠誠心など持たない。少々の金子を握らせれば、カレンの情報など迷いなく売り飛ばすだろう。
「いつも側にいる侍女に、私の正体を隠すのも難しいしなあー」
カレンが頭をひねっていると、ふいに軽やかな笑い声が背後から上がった。
カレンとそう変わらない、年頃の少女たちの声だ。背の高い生垣が陰になり、その姿は見えないが、この場から遠くない場所にいるようだ。
「カレン様、そろそろ離邸に戻りましょう」
小声で耳打ちするフレイにカレンもうなずく。
「……そうだね」
すでに宮廷でのお披露目を果たしたとはいえ、不用意に他人に会うのはまだ危険だ。まして今はロウラントがいない。不測の事態は回避したい。
そう思い、立ち上がりかけたところで、ふいに聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。
※本日も3、4話ほど上げる予定です
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