6、ふたたび闇へ
赤々と火を孕む炭と化した薪の上に日記を投げると、やがて白い煙に包まれ、瞬く間に炎に飲まれた。
炎を照らされる私はとても冷酷な顔をしているのだろう。私は真実を残そうとしたセルマの想いも、リーゼラーナの生きた証も再び闇に葬ることを決めたのだ。
ロウラントの出生の真実が世間に明るみになれば、皇家の運命は大きく変わるかもしれない。女神と同じ『祝福』を持つ悲劇の皇女は、その化身と呼ばれるだろう。そしてその子供である皇子は『始まりの王』と並び立つ存在と見なされるはずだ。
この創世の神話の再来に、世の人々はきっと心を揺すぶられるだろう。万が一この事実とランディス皇子が健在であることが発覚すれば、継承法を覆してでも、彼を帝位につけようとする動きがあるかもしれない。
ロウラントは皇帝の本当の子である兄弟姉妹を押しのけて帝位につくことはもちろん、自分のせいで祖国が混乱することなど望んでいないはずだ。何より私自身が兄弟姉妹たちが争いに巻き込まれる所など見たくない。
忠実なる女官の献身や、我が身を犠牲にした母の愛も踏みにじることになっても。これは私が始末しなければいけない物だ。いつの日かその報いを受けることになったとしても、きっと後悔はしない。
無念を訴えるように燃え狂う炎の塊を、私は灰になるまで見届けた。
※※※※※※※※※※
そこは正宮殿の大広間に似ていた。私はどこかの大きな部屋でただ一人壇上の椅子に座っていた。開け放たれた扉から、一人の男がゆっくりと歩み寄って来る。それは鈍色の鎧と漆黒のマントを身に付け、腰に剣を携えた、まるで戦に赴くような恰好をしたロウラントだった。
彼は迷いなく壇上を昇り、私のすぐ前で立ち止まる。私たちはしばらく視線を交らわせたまま何も語らなかった。ロウラントはゆっくりとひざまずくと、何事かの口上を申し立てた。やがて向けられる濃紺の瞳は、なぜか怒りにも焦燥にも似た熱を帯びていて、思わず胸が締め付けられ泣きたくなった。
ロウラントが立ちあがり、おもむろに両手を伸ばすと私をきつく抱きしめる。そして耳元で何かをささやくと、身動きができない私の頭から、そっと冠を取り除いた――。
ベッドの上で跳ね起きた私は、ひどく嫌な夢を見ていたことを悟り、大きくため息をついた。
変な夢を見るのはいつものことだが、今日のような夢は初めてだ。知らない場所であるのに、煙や血の臭いが立ち込める埃っぽい空気や、痛いほどに冷たく固い椅子の感触なども、まるで今そこにあった出来事のように現実的だった。ただ現実と違うのは、そこは一切の無音の世界だった。
目覚めたばかりだというのに、全身が軽く汗ばみだるい。起きたばかりだというのに、私は酷く疲労したようにベッドの上でぐったりとしていた。
この奇妙な夢の原因が日記を燃やした罪悪感なのは間違いなかった。あの光景はおそらく、帝位に着いた兄弟姉妹の誰かの視点だ。そして『真なる王』がその座をわが手に取り戻すためにやってきた、そんな筋書きだろう。それにしても……。
(なんで抱きしめるのよ!? ……もしかしてこれが欲求不満というものなの?)
私は寝転がったまま、熱くなった顔を覆う。
ロウラントに引き寄せられた時の力強さ、背中やうなじに回された大きな手、頬に当たる冷たい鎧の感触も、何もかもがまるで本物のようだった。
恋に関しては完全に引導を渡されているようなものだったが、それでもやはりロウラントを諦め切れないらしい。浅ましい自分の本心に私は呆れ果てていた。
いっそ昨日のことも何もかもが夢だったらと思ったが、暖炉を覗きに行くと、白い灰が一部だけこんもりと残っていた。やはりここまでは現実だったのだと思い知る。
「おはようございます、ディア様。もうお目覚めだったのですね」
部屋にやって来たフレイは、私が珍しく起こされる前にベッドから出ていたことに驚いたようだ。
「おはよう、フレイ。昨日はご苦労だったわね。……それでロウラントの様子は?」
私はフレイに詰め寄りたい気分を堪えて、努めて冷静な素振りで尋ねる。
「今朝はすっかり熱も下がったようです。ただ流行風邪をもらった可能性が高いので、しばらくディア様のお側には……」
「ええ、仕事の方は気にしなくていいから、ゆっくり休むように伝えて。……心配しなくても、ちゃんと勉強もするわよ」
「はい、そうお伝えします」
フレイはくすりと含むような笑みを浮かべる。
「……少し安心いたしました。ロウラント様は態度がその……少々あれですので」
賢明な彼女らしく言葉をにごした。言わんとすることは嫌というほどよくわかる。
「でも思いのほか、あの方を気にかけていらっしゃる方がいるようですね。急によくなられたのはその看病のせいでしょうか」
「え?」
私はフレイの言葉から、使用人の中の誰かがロウラントを心配して世話を焼いていたのだろう想像する。使用人の中には未婚の若い娘もたくさんいる。下級使用人といえど、王宮に出入りするのは身元確かな人間ばかりだ。平民でも教師や医者などの『上澄み』と呼ばれる仕事を持つ家の娘が多い。
彼女たちが騎士であるロウラントに懸想しているとしても、分不相応というほどでもない。少なくとも騎士に恋をする皇女よりは真っ当だ。そして、今のロウラントは誰と恋愛をしようと自由の身。
この先、いくらでもそういう可能性があることは頭ではわかっていたが、私にどんよりと暗い感情がのし掛かかってきた。