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5、不滅の愛




2023/04/06 誤字修正




「……ねえ、ロウラント」


(もしかしてこの人は、自分が私たちの兄でないことを知っていた……?)


 お父様かイゼルダ様から、産みの母の話を教えられた可能性は高い。自分が皇帝の本当の子ではないことを知り、兄弟姉妹きょうだいに遠慮して皇位継承権を放棄したと考えれば、ロウラントが身分を捨てた理由にも説明がつく。


 だがリーゼラーナが一人で子供を産んだ事実にまでは、さすがに行きついてないだろう。私も日記で読んでいなければ、リーゼラーナが何を訴えようと、恋人を隠し通すための頑なな嘘だと思う。


 本当は誰よりも濃く尊い血を持ちながら、ロウラントはそのことに気づかず、自分のことを皇族の端くれだった母と、どこの誰とも知らぬ男との間にできた庶子と思い込んでいるのではないだろうか。自分を『正しくない関係の元に生まれた』のだと。


 そして皇族としての矜持が高かった彼だからこそ、その反動で極端な行動に走った可能性は十分ありそうだ。




「どうかされましたか?」


 自分の名を呼んだまま、何も言わない私をロウラントがいぶかしげに見ていた。


「い、いえ……ロウラント――いい名前よね」


「はあ……。よくある名前だと思いますが」


 彼の言う通り『ロウラント』もまた、帝国では一般的な名前の一つだ。女神が所有していた悪しきものをすべて弾く『盾』を表す言葉に由来する。この名は騎士の子や、貴族でも次男以下の男子に付けられることが多い。その身をていし、あるじや家長を守るようにという願いを込めて。


 本来なら誰よりも尊ばれるべき『真なる王(ランディス)』の立場を捨て、誰かのために身を犠牲にする『(ロウラント)』に。自分で名付けたのかは知らないが、あまりにも皮肉な話だ。




 その時、ロウラントがまた激しく咳き込み始めた。


「大丈夫!?」


「――す、すみません」


「ごめんなさい。休んでいるところに邪魔をして。――ほら、横になって」


 ロウラントは気まずそうな表情で何か言いたげだったが、荒く息をつきながらも私の言葉に従って身を横たえた。徐々に呼吸が整ってくると、ロウラントは私を静かな目で見据えた。


「殿下……私は正直あなたのことを、主としても皇女としても微塵も尊敬できません」


(それは苦しい時に、わざわざ言わないといけないことだった……?)


 ロウラントに私への忠誠心などまったくないことはわかっていたが、はっきり言葉にされるとさすがに傷つく。


「でも幸せになってほしいとは心から願っています」


 うつむいて黙りこんでしまった私に、ロウラントはかすれていても労りが伝わる柔らかい口調で言う。




「ロウラント……」


 それはなんて甘く、そして酷い言葉なのだろう。私は苦笑しながら密かに絶望していた。


 『幸せになってほしい』という言葉が嘘やお世辞とは思わない。けれどもロウラントにとって私は、自分が『幸せにしたい』と思える対象ではないのだ。いかにもロウラントらしい身勝手で残酷な優しさだった。


「だからご自分を卑下する言葉は使ってはいけません。自分を幸せにできるのは、最終的には自分だけなのですから」


 私の心の中を呼んだわけではないだろうが、ロウラントはそう告げた。


「私には殿下が成長していただくために尽力する義務があります。だからあなたにとって耳に痛いことも、厳しいことを言います。ですがその言葉に打ちのめされるくらいなら、図太く開き直る方がましです」


「ロウラントはそれでいいの? 私があなたの言うことを聞かなくても」


「まったくよくありませんよ。私には私の義務をまっとうする責任がありますので。ですが殿下の視点からすれば、私の事情に付き合う必要はないのです。私の言葉に従うのが自分の幸せに繋がる思えるなら、そうすればいい。ただそれだけの話です」


「幸せね……」


 どうせ私は修道院に送られる身だ。同世代の娘たちが憧れるように、恋人を持つことも結婚も叶わない。安寧な生活が得られる以外なんの希望もない。

 

「殿下はまだ十六歳でしょう。これからの人生はまだ遥かに長いのです。修道院に送られようと、独房に入るわけではありません。そこにも人はいます。……母君やフレイ先生たちのように、出会った人から信頼や友情を得ることもあるでしょう。自分で自分を愛する気概もない怠惰な人間が、他人の親愛を臆することなく受け取れると思いますか?」


『自分を幸せにできるのは自分だけ』――いかにも個人主義なロウラントらしい言葉だと感じたが、思っていたのとは少し違っていた。


「人から捧げられる愛は、常に美しく穏やかな物とは限りません。……受けたものを自分の幸せとできるかは、結局己の覚悟次第だと思います」




 ロウラントが何かを思い出したように、かすかに微笑む。


「カレン・セダ・イクス……最初にあなたの名を聞いた時、私はとてもいい名前だと思いました」


 それは信徒が祈りの場で女神を呼ぶときの聖句だ。『カレン』はイクス女神の枕詞に当たり『愛』という意味を持つ。そこに、やはり女神の別称である『滅びぬ者』を意味する『ディーナ・レウダ』という古語から得た言葉を足して、現代ルスキエ語風にしたのが私の名前だ。


「――不滅の愛(カレン・ディア)。あなたが多くの人の愛の元に生まれ、育まれたことを忘れないでください。それはこれからの人生でも、誇りと自信になるはずです」


 静かに語られる言葉を私は強く噛み締める。ロウラントとの台詞はまるで餞別のようだった。選帝会議までに残された時間はあと八ヶ月ほど。その残された期間で私を成長させるのは、彼の手腕をもってしても無理だと悟り始めているのかもしれない。


 それでも私の心は不思議と晴々としていた。


「……ありがとう。名前は数少ない自慢よ。お父様が考えてくださったの。お母様の愛がいつも私を守ってくれるようにって。そして私は決してついえることのない、人々の愛の証でありなさいっておっしゃっていたわ」


 ロウラントが穏やかな表情でうなずく。こんな私でも、彼の心の片隅くらいには置いてもらえていたことがわかったのだ。私にはそれが何よりもうれしかった。




「……そろそろ行くわね。長居してごめんなさい」


 私が暇を告げると、ロウラントは一転していつもの仏頂面に戻った。


「はい、先生たちが戻ってくる前にそうなさってください。こんな所を見られたら、私が先生に叱られます」


「お大事に。早く治してね」


「ああ、殿下。自習はちゃんと進めておいてください。後でその成果を確認させていただきますので」


 去り際にロウラントはきっちりと告げる。こんな時くらい忘れておけばいいのにと思ったが、すっかり私たちのやり取りはいつも通りに戻ったことにほっとしていた。










 部屋に戻った私は、枕の下に入れておいたセルマの日記を抱える。


 最初は書かれていることに半信半疑ではあったが、ロウラントの今の状況からしておそらく真実なのだろう。


 歴史の闇に葬られた真実を書き残し、私に教えてくれたセルマ。そして命と引き換えに、ロウラントをこの世に送り出してくれたリーゼラーナ。二人への感謝と敬意を込めて、私は抱擁するように腕の中にある日記に力を込めた。


 そのまま部屋の隅に赴くと、まだ火の残る暖炉の前へと立つ。そしてためらいなく日記を投げ入れた。











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