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1、病床のロウラント




「……それは本当にロウラントの話?」


「はい。体調が優れないとのことでした」


 日課となった勉強の時間に、いつも時間に正確なはずのロウラントが現れなかった。不思議に思っていると、やって来たフレイからそう告げられた。


 私とフレイは無言のまま顔を見合わせる。おそらく同じことを思っているのだろう。――彼でも普通の人間らしく病気になることがあるのか、と。




「お熱も高いご様子でした。ディア様にはご迷惑をかけることをお詫び申し上げるよう、言付かっております」


「それは別にいいけど、彼は大丈夫なの?」


「幼い頃からの症状なので、慣れているから心配はいらないそうです」


「それは持病ということ? そんな話、今まで聞いたこともなかったのに」


 私の従者になってからも、幼い頃もだ。壮健にというには、本人のまとう空気があまりに陰湿すぎるが、あれでいて彼はさすがに騎士らしく、鍛えられた体躯をしている。普段も私の従者兼教師役をこなすほか、男手の少ないこの離邸で、本来なら下僕がやるような力仕事にも文句も言わず働いてくれている。病弱とは無縁な類の人間だと思っていた。




「ご本人も大人になってからは、ほとんど症状が出たことがないとおっしゃっていました」


「でも現に今も熱を出して伏せっているのでしょう?」


「子供の頃に病がちでも、大人になると自然に治癒することは珍しくはありません。ただ、ひどく疲れた時や精神的負担が重なった時に、大人でもまれに症状が出ることはあります」


 フレイの言葉に私はぎくりとする。ひどい精神的負担には心当たりがあった。


「ディア様?」


 表情を引きつらせる私をフレイが不思議そうに見つめる。


「……なんでもないわ。こちらのことは気にしなくていいから、ロウラントにはよく休むように伝えて」


「かしこまりました」


 部屋を下がるフレイを見送ってから、私は小さく息をついて独りごちる。


「…やっぱり昨日の『あれ』のせいかしら?」




 昨日の勉強の時間の最中、私のあまりのやる気のなさを嘆くロウラントに、不甲斐なさと苛立ちからつい嫌味を言ってしまった。それはロウラントの他人に触れてほしくない『何か』に引っかかったらしい。


 ロウラントはいつも不機嫌そうではあるが、実は見た目ほど気分を害していないことに私は気づいていた。彼は自分の態度が他人を威圧できることを知っている。直接的な言葉を用いず、相手を操作しようとするのは彼の嫌な癖だ。その計算高いロウラントを、私はあろうことか本気で怒らせてしまったのだ。


『……殿下に俺の何がわかるのですか? 正しい夫婦の愛の元に生まれたあなたに――』


 彼は空洞のように暗い瞳で私を見据えながら、憎々し気にそう言った。


 さすがにそれで熱を出すほどロウラントは繊細ではないはずだが、疲弊している所に、とどめの一撃を与えてしまったのは間違いない。私は今度こそ本当にロウラントに見捨てられるかもしれない。


 彼への複雑な恋心を自覚したばかりだったこともあり、ひどい後悔に頭を抱えるしかなかった。








 一晩経ってもロウラントの体調は良くならず、姿を現さなかった。


 本来なら自習の時間だったが、私は木々が生い茂る離邸の裏庭にいた。ロウラントが夜更け過ぎに、毎日ここで剣を振るっていることを私は知っていた。眠れない夜にこっそり庭を散歩していたら、偶然見てしまったのだ。私に剣術のことはわからないが、剣を振るう彼の動きは舞踏のようで、ずっと見ていても飽きなかった。


 私が時々遠くから覗き見していることなど、彼は思いもしていないはずだ。我ながら少し……いや、かなり気持ち悪いのは承知の上だ。ロウラントに知られてしまえば、二度と私の目のつく所で鍛錬はしないだろう。これは絶対の秘密だった。




 ロウラントが来ないことはわかっていたが、私の足は自然と彼がいつも過ごす場所に来ていた。大きな木の根元に腰かけて、人に見つかった時の言い訳のため、私は形ばかり持ってきた歴史の教本を膝の上に広げた。


 気候が良い時期の昼間であれば、地面に踊る木漏れ日が美しい場所なのだろう。しかしこの時期の夜は、吹きすさぶ風に木々が揺れ少し不気味だ。ロウラントほど強い人間なら怖くないのかもしれないが、そんな場所でよく長時間一人で過ごす気になるなと思う。


 現在、私も彼も限られた人間としか関わらない孤独な環境にある。しかし、他に選択肢がなく引きこもり生活を送る私とは違い、ロウラントは自分の正体を誰も知らない場所に、自らの意志で身を置いている。


 子供の頃のロウラントは、自分と他人との違いに寂しさを感じていたようだが、イヴお姉様やスウェンお兄様とは仲良く過ごしていた。まして名家出身の母を持つ第一皇子のならば、望めば多くの人間が彼の元へ集う環境だったろう。華やかな生活を捨て、こんなひなびた場所にやって来た彼の心情はやはり理解できなかった。


 彼を孤独に駆り立てる原因は一体何なのか。やはり私が触れてしまった心の傷に関係があるのだろうか。




 考えにふける私はふと、もたれ掛かった木に縦長の細いうろがあることに気づいた。幼い頃ミリーとこういう場所を見つけては、お菓子や手紙を入れて宝探しごっこをした。今は遠くなってしまった思い出に、思わず口元が緩む。大人が見つけにくい高さで、子供の手にはちょうどいい大きさのこの穴なら、きっと隠し物をするのに打ってつけだったろう。


(……あれ?)


 洞の中をのぞき込んだ私は、そこに何かが入っていることに気づいた。泥や石などではない。それは紙らしき物に包まれ、紐で梱包された何かだった。


 私は木の中に片腕を差し入れる。たいして太くないはずの私の腕がギリギリ通るくらいの狭さで、抜けなくならないだろうかと心配になる。指を必死に伸ばし、爪先を包みに引っ掛けると慎重に中身を引き寄せた。


 取り出してみると、それは古ぼけたロウ引き紙で梱包された何かだった。外から触れた感触や重さからして厚みのある本のようだ。人目のつかぬ木の中に隠された本という、何かの秘密を予感させる存在に、私は子供のようにワクワクしていた。


 包みを解こうとしたが、紐は固く結ばれた上に湿り気を帯びていたためまったく弛まない。この場で読むことを諦め、私は持ってきた教本の裏に包みを隠すと、胸に抱えて部屋へと戻ることにした。
















 改めて番外編1を始めました。今週末から来週末にかけて7話ほどで完結しそうです。その後番外編2(ボリュームは番外編1の半分くらい)も更新したいと思っています。こちらは子供時代の話と、本編から一か月後くらいの話になります。最後までお付き合いいただけるとうれしいです。


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