168、純白の衣装
その日カレンは、とある貴族の私邸で行われた夜会に参加していた。自分の離邸へと戻ってきたのは、日付が変わる頃だった。
ベッドに入ると、ふと寝室の端にあった物の存在を思い出す。それはトルソーに着せられた真っ白なドレスだった。月明かりの中で青白く浮かび上がるドレスは、昼間とはまた違った幻想的な美しさがあり、カレンはすっかり魅入られていた。
すでに前日となってしまったその日の午前中、カレンは仕立て上がったばかりのドレスを試着していた。
十日後の立太子式のための作られた真新しいドレスをまとい、鏡の前でくるりと振り返ると、傍で見ていたフレイが「……本当にお綺麗です」と、感嘆の声をこぼした。
淡雪のように白いドレスは一見無地に見えるが、近くで見ると生地と同色の光沢のある糸で、花や蔓草が細かく刺繍が施されている。身動きすると複雑に光を反射し、雪原のきらめきのように輝いた。
腕や胸元がレースで覆われたデザインは、少し地味になるのではとカレンは懸念していた。しかし実際に着てみると肌が透けるほど繊細で、けぶる朝もやのように神秘的でありながら、厳かな印象すらあった。ドレスを着る当日は、授けられる冠を際立たせるため髪をすべて結い上げる。首や肩回りの空間を計算した上での物だ。
「まさに絹で名高いレブラッドの真髄を極めた、立太子式にふさわしい一品ですね」
「私もこんな綺麗なドレス『元の世界』でも見たことないかも……」
職業柄色々な衣装を着る機会はあったが、素材についてなど考えたことがなかったが。おそらくほとんどがポリエステルや綿だったのだろう。手触りと光沢がいままで着てきたどんな衣装とも違っていた。
レブラッド領は降水量こそ多いが、一年の半分を雪と氷に閉ざされるため、決して恵まれた土地ではない。絹はそんなレブラッド領を支える数少ない産業だ。冬場は畑仕事にも出稼ぎにも出られない女たちが、ひたすら織物や刺繍に励む。その技量は帝国随一だという。
カレンのドレスは仕立てこそ帝都で行われたが、素材はすべてレブラッド領から持ち込まれたものだ。もちろんそこには、新しく領主となったレブラッド公爵の働きがあった。
「きっとこのドレスは帝国中で話題になります。レブラッド領民の不安もこれで解消されるでしょう」
「……うん、そうなるといいな」
領民にも品行方正な人柄で知られていた、先代レブラッド公爵が反逆罪で処刑された件は、彼の領地にも大きな衝撃を与えた。時代が違えば、公爵の罪は領民ごと仕置きを受けてもおかしくはない大罪だ。その上、新公爵は出自に難のある若造ときている。民の不安は当然だった。
その衝撃からまだ立ち直れぬ最中に、カレンが皇太子として初めてまとうドレスに、レブラッド領と縁が深い物を選んだ意味は大きい。先代公爵の罪はあくまで個人の物。皇太子としてレブラッド領民の傷心に寄り添う意志を示すことに、父ディオスも賛同してくれた。
「ロウラント様も忙しくされた甲斐がありましたね。カレン様のこの姿を見たら、きっとお喜びになります」
「その辺はお互い様なんだけどね」
カレンは最高の舞台のための、最高の衣装を労せず手に入れられた。そしてロウラントは、帝国で皇帝に次ぐ立場となったカレンをタダで広告塔として使えるのだ。
ロウラントの狙いが正しければ立太子式が終わり次第、貴族はもちろん裕福な中流階級の女性たちまで、こぞってレブラッド領で作られた絹のドレスを求めるはずだ。つまりロウラントにとって領主としての早々の成果となる。
(これぞWin-Winってやつだよね)
しかし、ささやかながら問題がないわけでなく、ロウラントが懸念していた通り、さっそく新皇太子とレブラッド公爵の癒着が枢密院から指摘されているらしい。
(結局、伴侶にするしない以前の問題なんだよねえ)
父であるディオスも、やはり従者であった先代レブラッド公爵への贔屓を取り沙汰されたことがあると言っていた。どう避けても通れない問題であるなら、いっそ開き直って結婚してしまっても同じではないだろうか。
(もういっそ私からプロポーズするとか……? 少なくとも、愛人とかいう怪しいポジションに置いとくよりはマシだよね)
ロウラントは現在も帝都と領地を行ったり来たりで忙しい。次に会うのは立太子式当日になるだろう。彼にこのドレスをお披露目するのは当日までお預けになりそうだ。
「ロウが泣いて喜ぶくらい、立派に広告塔を演じてやるんだから!」
「ロウラント様がお喜びになるというのは、そういう意味ではないのですが……」
こぶしを握り不敵に笑うカレンに、フレイは小さく苦笑した。
そんな昼間のやり取りを思い出しながら、カレンはベッドの上で何度目かのため息をこぼす。朝まで見ていても飽きないと思えるほど、真白のドレスは美しかったが、そろそろ寝ないと明日も午前中からみっちりと予定が入っている。大人しくベッドの中に潜ることにした。
あまり眠気は感じていなかったが、取り留めもなくその日の出来事を思い返している内に、やはり疲れていたのか、いつの間にかカレンは深い眠りへと落ちていった。
※※※※※※※※※※
不思議な夢を見た。
夢の中の私はよく見慣れた宮殿の大広間にいて、なぜかいつもより少し天井が高く見えた。その日は何かの宴が催されているようで、いつもよりも大勢の人であふれ返っていた。
私は誰かを探しているようで、大きな人たちの合間を縫って、あちこちさ迷い歩いていた。
そしてその人が視界に入った途端、探していたのは彼だとすぐにわかった。
色とりどりに着飾った大きな人々に囲まれていても、彼は埋もれることはなかった。光を放つ純白の衣装を着ていた彼は、むしろ誰よりも目立っていた。
いや、きっと衣装が違っていたとしても、彼は誰よりも人目を引いたはずだ。カラスの羽根のような、碧とも青ともつかない艶を帯びた黒い髪。切れ長の涼し気な目元を縁どる長いまつ毛、少年とも少女ともつかない中性的で繊細な輪郭。
その美しさに圧倒されていたのは、私だけではなかった。
「本当に綺麗なお顔立ち……男の子だというのがもったいないくらい」
「あの冷ややかな表情すらお美しいわ、一流の職人が造形した陶器人形と言われたら、信じてしまいそう」
そんな貴婦人たちの会話を盗み聞きながら、私はこっそり思う。
(……でも口を開いたら、お人形どころかちっとも可愛くないわ)
彼がひとたび話し出すと、子供とは思えぬくらいその内容は理路整然としていて、大人が怯むくらい弁舌を振るうのだ。
彼を取り囲む人々がひっきりなしに話かけていたが、ようやくその輪が途切れた。私はその瞬間を見計らって、彼の元へ行くため小さな足を踏み出した。