167、カレンとロウラント3
カレンは腰に手をあてて苦笑した。
「ロウがいろいろ気を遣ってくれてるのはわかったけど、外野はそうは考えないよ。十八になる前に、私が他の人と結婚を決めちゃってたらどうしてたの?」
「最初に言った言葉にも嘘はありません。あなたが他の方と結婚しても、政治的利益を考えれば当然のこと。見苦しい嫉妬など抱かないのでご安心ください。それに殿下には確実に世継ぎが必要となります。さすがに正式な夫君を何人も持つわけにはいかないでしょうが、他に侍る人間がいても目こぼしされるでしょう」
よどみのない弁舌にうっかり聞き流すところだったが、何かとんでもないことを言われた気がした。
「ん? ちょっと待って、ロウ。それって――」
「もちろん公の場での序列は夫君には劣りますが、殿下の真意は理解しているので、そこは問題ありません」
カレンの焦りに気づく様子もなく、ロウラントは片手を差し伸べ、爽やかな笑顔を向ける。
「俺は殿下の『愛人』として、誠心誠意お仕えしてみせます」
「倫理がおかしい!!」
間髪入れずカレンに怒鳴られ、ロウラントが目を丸くした。
「馬鹿なの!? どの口で未成年相手にとか言ってたの!? 十七歳に結婚を申し込むより、愛人の話を持ち掛ける方がおかしいでしょう!?」
「……そうですか?」
ロウラントは心底理解できないように首をひねる。
「そうだよ! じゃあ今の話を父上とか姉上たちの前で――」
言いかけたところで、自分たちの家族もかなり倫理観が吹っ飛んでいたことを思い出し、カレンは頭を抱える。
「家族とはいえ、あの人たちの前で話を持ち出すと、正式にことが進んでしまうと思いますが……」
若干ずれたことを言うロウラントに、カレンは肩を落とす。
「ごめんロウ。この話はちょっと保留で。せめてあと少し……私が十八歳になるまで、時間をちょうだい」
「……わかりました。殿下がそうおっしゃるなら」
急に意気込みが失せたカレンに、ロウラントは不思議そうな表情を浮かべたが、すんなりと引き下がってくれた。
ロウラントが何を考えているか、色々想定していたつもりだった。カレンの結婚に関して、友人や臣下としても冷めているなとは思っていたが――。
(まさか恋人とか夫とか飛び越えて、愛人の座を狙ってたとか気づくわけないじゃん……!!)
そして相手は自己肯定感の固まりの上、生まれた時から倫理観が壊れた世界にどっぷり浸かった、生粋の化け物だ。今のカレンでは太刀打ちできそうになかった。
「そろそろ戻ろうか……」
カレンはぐったりと、よろめきそうになるのを堪えながら言う。早くフレイに泣きつきたいと思ったが、彼の倫理も大概だったなと、また密かに絶望する。
(もしして、私の周りロクな大人がいないんじゃ……)
「――殿下、少し失礼します」
ロウラントの指がカレンの喉元に伸びる。見れば、マントの合わせのリボンが解けかかっていた。
手袋越しとはいえ、指先が鎖骨の上をかすめ、うなじの辺りががぞわりとする。今までなら何とも思わなかった行為が、あの会話の後では意識するなという方が難しい。
「いいよ……自分でやるから……」
「殿下がやると縦結びになるじゃないですか。別に取って喰いはしませんから、そんなにうろたえないでください。……うっかり俺がその気になってもいいのなら、話は別ですが」
(こ、こいつ……!)
涼しい顔で言われてもまるで説得力がない上に、この方面では確実に優位を取れることに気づいたのか、ロウラントは顔には出さないが完全に調子に乗っている。カレンは気恥ずかしさと悔しさで、ぐぬぬと声を失う。
(これは……アレ! 小さい子がボタンを留めてもらうような感じっ!)
ぎゅっと目を閉じて、カレンは必死に自分へ言い聞かせた。
そう間を置かず、ロウラントの手が離れる。
「はい、できましたよ」
「あ、可愛い……」
どうやったのか、リボンで花びらのように幾重にもループが作ってある。何度やっても縦結びになるカレンにはどう足掻いても結べそうにない。つくづく何をやらせてもそつがない男だ。
ロウラントはさらに、まじまじとカレンの全身を見据えた後、マントの中心を少し片側に寄せる。
「この方が全体の兼ね合いがいいかと……」
「凝り性だなあ。部屋に戻ったらすぐに脱ぐのに」
「それから最後に――」
まだ何か直すべき点があるのかと、カレンは自分の体を見回すが、特におかしな点は見当たらない。ロウラント見ると、なぜか彼はひたとカレンを見据え、穏やかな笑みをたたえていた。
「愛しています、カレン」
唐突な言葉に、カレンの思考が止まる。
「もちろん一人の女性として、です」
「あ、はい……」
呆けたように返事したカレンを、ロウラントが顎に手を当てしげしげと観察するように見る。
「好意を伝えるだけならと、さっき話したじゃないですか。殿下に艶のある反応は期待していませんでしたが、もう少し何かないのですか?」
「だってロウって、そういうこと言わない人だと思ってたから……。結婚にしろ何にしろ、政略的な理由とか消去法でやむを得ず、みたいな感じで、なし崩しに持ってかれるんだろうなあって……」
ロウラントは少しむっとしたように眉をしかめる。
「確かに俺は世間と価値観がずれていますが、その手の言葉を惜しむほど、男として無粋じゃないつもりです。回りくどい質問などしないで、最初から素直に本音を聞けばよかったんですよ」
「……ソウデスネ」
混乱のあまり、目の前がぐるぐると回り出す。もう嫌というほど、気心が知れているつもりだったのに、ロウラントの異性としての見知らぬ面を見せつけられ、カレンの動揺は収まりそうになかった。
この冷静そうな男が自分にはっきりと恋愛感情を抱いていて、ともすれば情欲を向けることもあり得るなど、受け止め切れそうにない。
とはいえ、ロウラントも思い伝えることにそれなりの覚悟が必要だったはずだ。それに報いるため、カレンは必死で勇気と言葉を振り絞る。
「ありがとうロウ……すごく、すごくうれしい。それとね、私も――」
「ああ、殿下のお気持ちは言わなくても結構です」
手で発言を遮られ、愕然とする。
「なんで!?」
「だってこの流れだと、無理やり言わせているみたいじゃないですか。感情表明はしょせん俺の自己満足なんで、殿下がそれに合わせる必要はありませんよ。……それにわざわざ言葉にしていただかなくても、殿下のことは俺が誰よりもよく知っています」
悠然と微笑まれ、カレンはまた赤くなった。造作だけは見惚れるほど美しいのが、心底腹立たしい。これ以上、正視することに耐え切れそうになかった。
恥ずかしまぎれに「私はもう行くからね!」と顔を逸らして叫ぶと、ロウラントは急に吹き出し、珍しいことに声を立てて笑い始めた。いつもの理知的な表情とは違う、少年のような屈託のない笑顔に思わず目が奪われる。
(本当、タチが悪いんだから……)
ロウラントの違う一面をまたしても知ってしまい、心臓の高鳴りはしばらく止まりそうになかった。
その後宮殿の中へと戻ったカレンは、待機していたフレイと合流する。
カレンには絶対できない、複雑な形に結び直されたマントのリボンを見て、「……隠ぺい工作は必要ですか?」と真顔で聞くフレイに、カレンは赤面しながら、「脱がされてないから!」と叫ぶ羽目になった。