165、カレンとロウラント1
自分と庭園を眺めていたロウラントが、ふと向き直る。
「殿下、そろそろ大広間に戻らなくて大丈夫ですか? 中座してから、だいぶ時間が経っているようですが……」
「いいんじゃない。どうせみんな酔ってるし、案外私がいなくても気づかないかもよ」
「どうでしょうか。この夜会を機に、あなたと縁を持ちたい貴族子弟は大勢いると思います。殿下だって、将来のために目ぼしい若者には目を掛けておくべきです。時間はあるようでないですよ」
ロウラントの言葉にまたつきんと胸が痛んだ。どんよりと気持ちが沈みそうになるのを堪えながら、先ほどのフレイの言葉を思い出す。
―待っている暇があるのなら、自分で獲りに行くべき。
ロウラント言う通り、カレンは来年の春には皇太子として十八歳を迎える。結婚についてすぐにでも圧力をかけられるだろう。確かに時間はない。
カレンは思い切ってその質問を口にする。
「……あのね、ロウ。この際はっきり聞くけど、ロウは私が誰かと結婚することをどう思ってるの?」
唐突なカレンの言葉に、ロウラントは何度か目を瞬かせた後に答える。
「男の皇帝と違い、過去に女帝が夫君を複数持った例はないので、殿下にとっても婚姻は一度しか切れない重要なカードと考えておいた方がいいかと。ならばそれに見合う有意義な相手を――」
「待って待って。そうじゃなくて!」
カレンの片手を突き出して制すると、その剣幕にロウラントが少し驚く。
「臣下とか参謀としてじゃなくて、ロウ個人の感想を聞いてるの! 私が他の男の人を伴侶にしても、ロウはなんとも思わないのかなーって……」
夜風で冷えていたはずの頬が熱くなってくる。口ごもりそうになるのを堪えて何とか言い切ったが、ロウラントはいつもの頭脳明晰な彼らしからぬ態度できょとんとしていた。ささやな絶望感に、カレンは天を仰ぎたくなった。
「だからね……結婚すると、本音はともかく……こう、いろいろ義務があるじゃない? 具体的には……私が自分の寝室に他の男の人を――」
「いや、言わなくていいです。……さすがにわかりますよ」
ロウラントが口元を片手で押さえうつむいていた。妙な空気を作ってしまったのは自分だが、いたたまれなさに逃げ出したくなる。
しばらくするとロウラントが観念したように、顔を上げて息をついた。
「……そういう状況で、俺が殿下の伴侶に嫉妬心を抱かないのかということですよね? ――ないですね」
「ないの!?」
「殿下に世継ぎを持たせることは、健康な男であれば誰にでも務まるでしょう。でもあなたにとって今生で背を預け、地獄の果てにまで連れて行きたいと思えるのは俺だけのはずです。『夫』などしょせん肩書だけの替えの利く存在です。嫉妬心を抱くことはないと思います」
誇るというよりは、それがさも当たり前の道理であるかのように淡々と説かれ、今度はカレンが呆気にとられる番だった。
「私も他人のことは言えないけど、すごいっていうか、何ていうか……どっから来るの、その自己肯定感……」
ロウラントが自信家であることは知っていたが、当の本人を前にここまで言えるのだから、空恐ろしさを超えていっそ感心しそうになる。
「とはいえ、これは俺と殿下の間の話で、夫君となる誰かにとっては面白い状況ではないでしょうね」
「あー……それはそっか」
恋愛感情うんぬんはともかく、死が二人を分かつまでどころか、その先まで共にしたいと思える相手が妻にいることは、夫となる人間にとっておもしろいことではないだろう。たとえ政略結婚で、名ばかりの夫だとしてもだ。
「むしろ殿下の夫君が嫉妬のあまり、あなたに不利益をもたらさないかが心配です。かといって、俺も自分の立ち位置を退くつもりもありませんが」
「そこまで言うならさあ……」
カレンはもう半ば投げやりな気持ちになる。
「なんでロウが私の夫になることは考えないわけ?」
勢いで突いて出た言葉に、しばらくしてからカレンは少し恥ずかしくなる。しかし返ってきた反応はそっけない物だった。
「俺がですか?」
盛大に顔をしかめられ、カレンは静かに落胆する。彼の捧げてくれる愛情に疑いはないが、そこに恋愛感情が乗っているかどうかは、また別の話だとは頭では理解していた。――していたが、もう少し可愛げのある反応をしてほしかった。
以前ロウラントはカレンへの感情をはっきりと友誼だと言っていた。今はもう少し深い絆はあると思うが、彼からすれば家族愛のようなものかもしれない。冷静に考えれば、元々カレンディアとランディスは血の繋がりがない上、当人たちの接点も自覚も希薄だったが、名目上兄妹だったのだ。そう考える方がむしろ自然だ。
(もしかして私、一人で空回りしてた……!?)
深い失意に陥るカレンに気づくこともなく、ロウラントは真面目な顔で言う。
「今の俺はレブラッド公爵です。七家門の子弟ならまだしも当主本人が皇太子の伴侶となると、何かあるたびに『便宜を図った』などと攻撃材料にされる可能性は高いですよ。その懸念を差し置いて、押し通すほどの利点があるかというと……――聞いてますか、殿下?」
「……ああ、はい。そうだねー……」
抜け殻のように立ち尽くしていたカレンは、やる気のない返事をする。
「そして今回の騒動で殿下も身に染みてわかったでしょうが、皇帝の伴侶は最大の敵にもなり得ます。だからその席を俺で埋めてしまうのは、一つの安全策であるとは思います。ただ今後何があるかわからない状況で――」
「ちょっと待って!」
あくまでロウラントがカレンの側近として意見を上げ続けていることに気づき、カレンは声を張り上げる。また話が堂々巡りになるところだった。
「つまりロウは、自分が私と結婚することも考えてるってこと!?」
「それはもちろん。俺からすれば殿下をお預けするのに、自分以上に信頼できる男はいませんから」
しれっと真顔で言われ、カレンは絶句する。……こういう男だとは再三わかっていたが。
と、同時に新たな疑問が生まれる。ロウラントは戦略的観点からカレンと結婚する筋も考えているようだが、その場合に発生する義務について本当にわかっているのだろうか。……この冷ややか過ぎる男に、その手の欲求があるのかすら怪しいところだ。
「あのさ、私も皇太子になる以上はある程度割り切るつもりだけど、その……何て言うか、その場合はロウが私の寝室に来ることになるわけだけど、そこは大丈夫そうなの? いくら私でも、まったくその気のない人を連れ込むのは、さすがに荷が重いって言うか……」
言葉を口にした途端、すぅっと、ロウラントを取り巻く空気が冷えるのが分かった。ああ、軽蔑されたか、と一瞬思ったが、それだけでは説明のつかない、ある種の憎悪が込められた視線にカレンは凍りつく。