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元地下アイドルは異世界で皇帝を目指す!  作者: 烏川トオ
第1部 1章 セカンド・デビュー
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13、初舞台




 イヴリーズは自分の演目である詩の朗読を終え、観客の側に回っていた。


 ちょうど、グリスウェンのルーデの演奏が終わった。拍手と感嘆の声を前に、ルーデを手にしたグリスウェンが小さな壇上で深々と礼を取った。

 

 あちこちから令嬢たちの黄色い悲鳴が上がる。グリスウェンの演奏の技量も悪くはないが、この歓声はおもに皇子の立ち振る舞いに捧げられたものだ。

 



 ルーデは大陸の東方から伝わってきた弦楽器とされている。辺境と呼ばれる帝国東方部や庶民にも好まれる楽器のため、貴族の中には優美な宮廷には相応しくないと眉をひそめる者もいる。


 しかし簡素でありながら機能的な美しさ持つルーデは、きらびやかな皇子というより、精悍(せいかん)な騎士の印象が強いグリスウェンによく合っていた。若い娘たちだけでなく、青年貴族からの称賛の声も多い。皇帝もある意味人気商売だ。見栄えがするに越したことはない。


 そして大帝国の軍事を統べる者には、男子の方がふさわしいとこだわる人々もいる。事故により二人の皇子が脱落した今、皇太子候補に残った唯一の男子であるグリスウェンも、まだ帝位につく可能性は残っている。




「……楽器の弾ける美形イケメンって、どこの世界でもモテるんだ」


 ふと、ざわめきの合間を縫って聞こえてきたつぶやきに辺りを見渡すと、呆けたように壇上を眺めているカレンディアの姿があった。ついつい、いたずら心が込上げてくる。


 イヴリーズはこっそり妹の後ろに回り込み、耳元でささやく。


「それは本人に言ってあげなさい」


 振り返ったカレンディアが、あからさまに表情を強張らせる。小さな頃かくれんぼの時に、身をひそめる妹の後ろにこっそり回り込み、逆に脅かしてやったことがあった。それを思い出しイヴリーズは笑う。




「可愛い妹から言われたら、あの子も泣いて喜ぶわよ」


「あ、あの姉上……」


「そういう風に、気さくにおしゃべりしてくれる方がうれしいわ」


 つくづく四年の別離は長かったと思う。カレンディアは幼い頃の印象とは、ずいぶん変わってしまった。少女が心身共に一番成長する時期だ。無理はない。


 壇上から降りてくるグリスウェンの姿に、イヴリーズは白い手袋に包まれた手を差し向ける。


「さあ、あなたの番よ」

 

 はっとしたように、イヴリーズに軽く礼を取り、カレンディアは人々の前へと進み出た。






 壇上に上がった妹は丁寧にお辞儀した後、ゆっくりと人々を見渡した。


 彼女の瞳には、美しく身を着飾り、穏やかな笑みでささやき合う人々が映っているだろう。でもそれは《ひきこもり姫》の、付け焼刃でこしらえた仮面が剥がれ瞬間を、今か今かと待つ猛獣の笑みだ。


 イヴリーズはつい最近の出会いを除けば、ほんの幼い頃のカレンディアしか知らない。恥ずかしがり屋で繊細な子供だった。おっとりとしていたが、周りが言うほど愚鈍とは思わなかった。むしろ人の感情の機微には敏い子供で、それゆえに傷つきやすかった。


 人との交わり方をいつの間にか身に着けていたとはいえ、本質は変わるまい。カレンディアも、周りの人間の下卑た期待に気がついているはずだ。イヴリーズは自分でも知らず知らずのうちに、両手を握りしめていた。




 しばし経ってもカレンディアは無言のまま、悠然と人々の前でたたずんだままだった。何も始めようとしない、しかし萎縮しているわけでもない皇女を前に、人々の顔に困惑の色が浮かび始める。


 皇女の奇行に人々が顔を見合わせ始めた瞬間、カレンディアは大きく息を吸った。かすかにうつむき、憂うような表情で声を音に乗せ紡ぎ出す。


 声量はさほどないが、澄んだ伸びやかな声だった。自分たちが(たしな)みとして習得する歌唱法とは違う。きちんと講師から習ったものではあるまい。町娘が口ずさむような素朴な歌だ。だが不思議なことに、その声音は耳に優しく、乾いた土が水を吸うように身に染み入った。




 甘く切ない声が紡ぐのは、貧しい娘の身分違いの恋だった。


 明るい未来が約束された青年とは違い、ゴミ溜めのような街で今日一日を生きるのに必死な娘。絶望的な世界の中で、青年が何気なく語りかけた言葉や仕草に、かすかな希望を見出すだけの無為な日々。


 その恋心をカレンディアの澄んだ声が切々と歌い上げる。




 洗練された歌唱ではないことに気づいた人々が、嘲笑を浮かべたのはほんの一瞬だけだった。視界に入る観衆は、なぜか食い入るようにカレンディアを見ている。すでに涙ぐみ、ハンカチを握る婦人もいた。

 

 この手の娯楽を知り尽くしていずの人々が、カレンディアが創る独自の世界観にあっという間に引きずり込まれている。


 その光景にイヴリーズの背筋が凍りつく。自分を含め、今までこんなことができる人間などいただろうか。ほんの一瞬で人々の心を掌握する、こんな圧倒的な存在など知らなかった。




 もがくような情念が声に乗り、歌は最高潮に差し掛かる。歌詞の多い高音域を見事に歌い切り、最初の静かな旋律へと戻る。儚く消えゆく娘の未来を想わせるように、かすかな余韻を残し歌い終えた。


 カレンディアはかすかにうつむきながら、息を整える。しんと水を打ったような静けさの中で、ゆっくりと顔を上げた。




 次の瞬間わっと歓声と拍手が沸き起こる。時間にして五分もなかったはずだが、まるで長い歌劇の終幕を見届けたような反応だ。


 本人も予想外だったのだろうか、カレンディアは呆けたように目を見開いたまま立ち尽くしている。こうして見れば愛らしい顔立ち以外、取り立てて特徴のない少女だ。だが歌っている瞬間は、別人の魂が乗り移ったようだった。


 イヴリーズは思わず嘆息し、しばらくしてから自嘲する。周りの人々とは違う意味にしろ、カレンディアに同調し、その世界観に囚われていたのは自分も同じだった。わずかな悔しさに唇を噛み締め、イヴリーズは妹を見つめる。


 ふと周囲を探すとミリエルの姿があった。侍女らしき女が作り笑いで何か話しかけているようだが、まるで耳に入る様子はなく、茫然と青白い顔で立ち尽くしている。やがてミリエルが唇をわななかせ、鋭い視線で壇上をにらんだ。




 カレンディアは周囲にゆっくりと視線を巡らせた後、優雅にスカートを持ち上げ礼を取る。


「――皆様方」


 凛と視線を上げ、軽く声を張った瞬間、皇女の言葉を聞き逃すまいとざわめきが収まる。


「お耳汚しを失礼いたしました。教養深い皆様へお聞かせするには、拙いものと存じておりましたが、どうぞ若輩者の無作法とお許しくださいませ」


 さらにもう一度軽く膝を屈めると、再び拍手と賛辞の声で周囲が沸く。




「ですが幸いにもこの後は、我らが宮廷の宝珠ミリエル皇女が控えております。きっと姉の無作法を挽回してくれることでしょう」


 和やかな笑い声が起こる中、カレンディアは観衆の中にいるミリエルの方へすっと片手を差し伸べる。ぎょっと目を剥くミリエルに、素知らぬ振りでカレンディアは微笑む。


「どうぞ皆様方、私の最愛の妹を暖かくお迎えくださいませ」


 言って、カレンディアは壇上を後にした。




 姉姫への賞賛と、妹姫への期待の拍手の中、カレンディアが軽やかに歩き去りながら、ミリエルを横目で見やるのがわかった。その口元がかすかに弧を描く。


(……そういうことね)


 イヴリーズは軽く目を見張ると、密かな妹たちの攻防に苦笑を浮かべた。







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