164、先代公爵の最後のたくらみ
「今日は皇太子としての初めての顔出しだったんだよ? レブラッド公爵のせいで、印象が霞んじゃったじゃない!」
「そんなことはありませんよ。ダンスの時も皆が殿下に釘付けだったじゃないですか」
「それは半分以上ご婦人たちの……ロウに対する熱い眼差しでしょ。……私ね、四月の初めてのお披露目の時、付け焼刃の割にはすっごくうまくいったと思ってたんだよね」
「その通りでは? 直前までどうなることかと冷や冷やしましたが、あの時は正直お見それしました」
ロウラントは世辞ではなく、心底感心したように言う。
「殿下は確かに、あの時から非凡な片鱗を見せていましたね」
「よく言うよ! 今日のロウの方がよっぽど冷静で完璧だったじゃん。あんなの見せられたら、もう自画自賛できないっ!」
隅々まで神経の行き届いた所作の美しさから、口上の微細な間の取り方に足るまで、一分の隙もないくらい完璧な振る舞いだった。さすが元皇子は伊達ではない。名ばかりの公爵と侮り、粗を探そうと目を凝らしていた宮廷の人々は、度肝を抜かれていた。
「くだらないと思わるかもしれませんが、俺にだって意地があります。……他の人間はともかく、あなたの前では無様な姿は見せられません」
きっぱりと言い切られた言葉に、カレンはきょとんとする。
「……私がいたから?」
「そうですよ」
ロウラントはそれ以上説明するつもりはないようで黙り込む。むっとしたように視線を逸らしているが、おそらく照れているのだろうとわかった。カレンはにやけそうになるのを堪える。
――他でもない、この人の前だけでは無様な姿を見せたくない。そう思っていたのは、カレンだけではなかったようだ。
「そんなことより、殿下。俺がレブラッドの爵位を継いだ経緯は気にならないんですか?」
「え? ……ああうん、そうだね」
カレンは取り繕ったようにうなずいた。興味がないわけではないが、そうなったしまった以上覆ることはないだろう。それに考えてみれば、『ロウラント』としての名前と過去を消すことなくカレンの側に戻るには、上位の身分を手に入れるのが一番確実だ。とにかくカレンとしては、ロウラントが今ここにいることが大事なのであり、その経緯は二の次だった。
「そういえばエスラム卿は、先代公爵が密かに跡継ぎを指名してたって言ってたけど……」
「早い話がそういうことです。実際はあらかじめ家門存続の約束を父上に取り付けた上で、後になって出てきた遺書と一緒に、『ロウラントを正当な嫡子に』という嘆願書があったそうです」
「ぬかりないっていうか……さすが、ロウの後見人」
感心と呆れ混じりにカレンはつぶやく。
「俺にレブラッドを継がせることは、父上も迷われている様子でした。でもレブラッドの血を継ぐ者が遠縁の平民しかいないようでは、家門存続は難しかったそうです。約束をした以上、父上もダリウスの申し出を無碍にはできなかったのでしょう」
カレンは苦笑しながら首をかしげる。
「……もしかして、ここまで全部レブラッド公爵の筋書き通りだったのかな?」
「そうかもしれません。あの人は後見人に相談もなく、継承権を放棄した俺に恨みもあったでしょう。自分と同じ不自由な立場になった俺を見て、あの世でほくそ笑んでいるかもしれません」
ロウラントは少し悔しそうに笑った。
ダリウスが凶行に走った原因は、皇帝ディオスに対する忠義と執着が行き過ぎた結果と聞いている。従者から公爵になるという経緯からして、必ず周囲に罪を犯した『父』と重ねられると、ロウラントもわかっているはずだ。
(これって本当に、先代公爵からのロウに対する仕返しなのかな……?)
ダリウスはいつかこうなる日を見越して、ロウラントのために居場所を残していったのではないだろうか。カレンでも気づくことを、ロウラントが気づかないはずがない。すべて覚悟の上で、ダリウスの残した人生をもらい受けたのでは、という考えが頭を過ったが、あえて問いただしはしなかった。
「何もお伝えできなかった上に、時間をかけ過ぎて申し訳ありませんでした。唐突に庶子が跡継ぎとなったことに、周囲が余計な疑問を持つとやっかいなので、秘密裏に事を進めたかったんです」
「それはいいけど、領地の件とかは大丈夫そうなの?」
「当然ですが、レブラッド領の者たちの反応はよくなかったですよ。ぽっと出の、どこの馬の骨ともわからぬ人間が自分たちの主人になるのですから。その調整に時間がかかっていました。正直に言うと、まだ解決しないといけない問題も山ほど残っています」
そう告げるロウラントの横顔には、確かに隠しきれない疲れが滲んでいた。
「それはやっぱり庶子だから……?」
「……覚悟はしていました。中央より地方の方が、階級や血筋に対してより保守的ですから。実際レブラッドの血を引かない俺は、生涯彼らを騙していくことになります。そのせいで媚びへつらうつもりはありませんが、引け目はやっぱりありますよ。それに……俺が庶子であることは、動かしようのない事実です」
ロウラントの本当の出自は、母親が皇族の女性であることは確実だが、父親の存在は不明だ。この国では片親がどんなに高貴な身分であろうと、婚外子というだけで蔑まれる。
ロウラントははっきりと言わないが、おそらく出自のことで相当攻撃されているのだろう。そしてプライドの高い彼の性格からして、その姿をカレンには知られたくないはずだ。何の音沙汰もなかったのは、そのせいもあったのだろう。
「陛下と話し合い、外務大臣の就任は保留としてもらいました。世襲とはいえこんな実績のない若造が、いきなり大臣に任命されては周囲はよく思いませんから。代わりといってはなんですが、皇太子の相談役に就くことになりました」
「皇太子の相談役? ってことは……」
「はい、引き続き殿下のお側に仕えさせていただくことになります。政務に携わる最初の取っ掛かりとしては無難だろうと、父上にも認めていただきました。他にも公務があるので、今まで通り付きっ切りというわけにはいきませんが、必要な時にはいつでも駆け付けますよ」
「じゃあ、これからもロウは私の参謀役だね」
「そういうことになるんでしょうか」
カレンは一番の心配が解消され、心底ほっとしながら、なんとなしに庭園に目を向ける。
庭園に灯る灯りを見つめながら、子供の頃に毎年のように見ていた灯篭流しを思い出す。季節も場所も違うが、ぼんやりと揺らぐ灯りを見ていると心が落ち着くのは同じだ。わずらわしい喧騒を離れ、静かに死者に思いを馳せるために、むしろ生者に必要なことだったのだと今ではわかる。
「……ダリウスの遺言のせいで、俺は生涯に渡り重荷を背負わされ、そのおかげで殿下の元に戻れました。あの人が何を考えていたのか、悩んだところで俺の想像に過ぎません。だから以前殿下が言っていたように、俺にいくつかの幸運をもたらしてくれたことにだけ感謝します」
「うん、それでいいと思う」
心に絡む愛憎の混ざった感情が解けることはなくとも、ロウラントが前を向いて歩み始めているとを知り、カレンはほっとする。
そして今更ながら気づく。
ロウラントを心配するカレンの気持ちに嘘はない。けれどそれ以上に、彼が自分以外の人間のために心をわずらわせている事実に嫉妬していたのだ。ロウラントのことをからかえないくらい、自分も大概だなとカレンは苦笑する。