163、流星の下で
2023/04/06 誤字訂正
大広間の大時計は深夜一時を指していた。一年で最も長い夜会も最初は格式ばっていたが、この時間になるとほとんど無礼講になっている。相変わらず大広間でダンスや音楽を楽しむ者もいれば、親しい者と酒を飲み交わし語らう者と、皆思い思いの場所で過ごしていた。
夜明けまではまだまだ時間があり、フレイに少し中座して休憩するかと聞かれ、カレンは庭に出たいと言った。降星祭にふさわしく、庭園はカラントラ鉱石の明かりで、特別な装飾がほどこされていた。
真冬でありながら、さながら蛍の光のように木々や小道が淡い光に彩られている。もちろん『元の世界』のイルミネーションほどの光彩はないが、触れれば消えてしまいそうな儚い光は、これはこれで趣がある。ときどき恋人同士だろうか、語り合う男女が数組いたくらいで、庭にはさほど人の気配はなかった。
庭園の外れには小高い丘陵があり、その上には東部領風の美しい彫刻が施された白亜の東屋が建っていた。たどり着くと周囲を一望することができた。カレンは手すりから身を乗り出し、ぼんやりと庭園を眺める。吐く息が白くなるくらい、外の空気は冷えていたが、ワインで火照った体には心地よかった。
「あ、また落ちたよ! 先生、今の見えた?」
カレンはフレイに向かって南の空を指さす。もっとも流星が見やすい時期というだけあって、少し眺めている間にも、いくつもの星がかちりと瞬いては落ちていく。
「先生は何かお願い事しないの?」
「そうですね……カレン様が無事に皇太子になられた以上、これ以上何かを望むのは欲張りな気がして……」
「そんなことないよ! それなら、イヴ姉上とスウェン兄上の赤ちゃんが元気に生まれてくるようにお願いしようよ。私もそうするから」
「はい」
カレンはフレイと並んで両の手を胸の前で組んで祈る。
目を開けると、フレイが穏やかな笑みをたたえてカレンを見つめていた。
「よかったですね、カレン様。ロウラント様が戻られて」
「ちょっと想像とは違ったけどね」
「例え従者という肩書がなくても、カレン様が困った時は何を差し置いてでも、あの方は助けに来てくださいますよ」
「まあねえ」
さらりと受け流すカレンに、フレイはつと真面目な表情で言う。
「カレン様、あなたはこれから民の幸せに尽力されると思います。でもご自分の幸せについても、きちんと向き合わなければいけませんよ」
「うーん、でも私生活がある程度犠牲になるのは覚悟の上だしなあ……」
それは今この場での話ではなく、『元の世界』でアイドルになると決めた時から心に定めていたことだ。
「ご自身を過小評価されてはいけませんよ。カレン様はすべての欲望を叶えるだけの才覚をお持ちのはずです。だからこれと決めた物は、待っている暇があるのならご自分で獲りに行くべきです。時には形振り構わないことも肝要かと思いますよ」
カレンは思わず苦笑する。フレイが言わんとしていることが何となくわかった。
「……さすが。皇帝陛下からお妃様をかっさらった人は言うことが違うなあ」
からかい混じりの言葉にも、フレイは涼しい表情のままだった。
「残念ながら、あの人の心のすべてを手にすることはできませんでした。私に欲望があったように、ルテアもそうだったんです。そうやって世界はそれぞれの欲望で均衡を保ってるのでしょう。……皇帝であろうと、人間一人の身勝手で壊れるほど、きっと世界はやわではありません。だからこれと決めたら、絶対に諦めては駄目ですよ」
「うん、覚えておく。……でもいいのかなあ? 行儀作法の先生がそんなこと言って」
「私は最初から皇女だの皇太子ではなく、カレン様個人の味方です。あなたが自分に恥じないと判断したことであれば、反対はいたしません。幸い私は男女共の事情に通じていますから、いざとなれば隠ぺい工作だろうと、既成事実作りだろうとお手伝いしますよ」
「うわあ、心強っ!」
けらけらと笑うカレンに、フレイは「さて……」と辺りを伺い見る。
「私はそろそろ失礼いたしましょうか」
「え、何で? どこ行くの?」
「そろそろあの方が探しに来るでしょう。大広間を出るカレン様に目ざとく気づかれているご様子でしたから。私が側にいては野暮というものでしょう?」
「うーん……新公爵として、いろんな人に囲まれて忙しそうだったから、どうだろう?」
「では賭けますか?」
行儀作法の指南役にあるまじき提案だったが、もちろんカレンは乗った。
「私はあと十分でいらっしゃると思います」
「じゃあ、私は二十分で」
お互い彼が来ないという選択肢がないことに、思わず顔を見合わせて笑った。
結局のところ賭けの勝敗はつかなかった。なぜなら五分もしない内にロウラントが現れたからである。
「皇太子に決まった以上、その手のことはお目こぼしされるでしょう。見張りはいたしません」とこっそり告げ、フレイは姿を消してしまった。
カレンがそこにいたことを知っていたような足取りで、ロウラントは東屋にやって来た。当然のように庭を眺めるカレンの隣に並び立つ。
「……今なら聞きたいことに、お答えできますよ」
前置きのない唐突な言葉は、いかにもロウラントらしかった。ダンスの最中は会話らしい会話はほとんどできなかったが、さすがのロウラントもこの成り行きに、説明責任があることは自覚していたようだ。
「その前に、どうしてくれるの? ロウのせいで私の印象が霞んじゃったじゃん」
「はい?」
怪訝そうな顔をするロウラントに、カレンは頬を膨らます。