162、星月夜のダンス2
大広間の真ん中に進み出ると、ロウラントはカレンの手を取り、もう片方の手を背中に沿わせる。これから踊るにしては、少し互いの立ち位置が離れ過ぎている気がした。困惑しつつも、左手をロウラントの上腕部に乗せると、不思議なことにバランスが取りやすく、思いのほかしっくりくる。ロウラントとはただ一度、戯れで踊っただけなのに、もう何百回も組んだような安定感があった。
「らしくないですね。何を緊張してるんですか?」
ひさしぶりに聞いた、遠慮のない物言いに視線を上げると、自分をひたと見つめる濃紺の瞳があった。思いがけずやわらかい眼差しに、また胸が痛くなった。
「……だってロウが……いつもより――」
カッコイイし、と普段の気軽な調子で言ってしまえばよかったのに、なぜか喉の奥から言葉がつかえて出てこなかった。
「俺は俺ですよ」
大きな手の平から背中に伝わる高い体温も、彼がまとう爽やかな早朝の森を想わせる香りも、確かにいつもと同じだった。
「殿下にすべてを捧げると誓ったことに何も変わりはありません。そのためになら、身分も名前も変えられる……それだけです」
変わらないと言いながらも、見たこともないくらい、何か大切な物に向けるようなせつない表情で言われ、カレンは思わず視線をそらす。
楽曲が始まり、二人はゆっくりとステップを踏む。自然と吸い寄せられるような、無理のない巧みなリードだ。もう何十人もの相手と踊った今だからわかる。ロウラントはダンスの技量も相当高い。その隙の無さに舌を巻く。
カレンとロウラントでは本来踊りやすい身長差とは言えないが、ぎこちなさなど微塵も感じなかった。むしろ全身を大きく使うことで、伸びやかに踊らせてくれる。きっと傍からは、いつもよりも華やかに見えているはずだ。
踊ることが楽しいと、心から思えた。次はこう魅せたいと目で訴えれば、こちらの意図が阿吽の呼吸で伝わり、カレンの思い描く通りにリードしてくれる。その小気味の良さに思わず笑みを零すと、幼子の悪戯を見守るような苦笑を返された。誰かと心を通わせ、一つになることがこんなに楽しいとは思わなかった。
二人のことを、お伽話に出てくる夜を統べる妖精王と星々の女王に例える声が聞こえてくる。優雅にして堂々たる若き公爵と、星々の煌めきを振りまくような魅力あふれる皇女。降星祭の舞踏会において、これ以上ふさわしい存在はなく、間違いなく今日の主役は彼らだった。あちこちから称賛や感嘆の声が聞こえる。皇太子となった皇女と新公爵のお披露目としては上々だった。
「……あーあ、完全無欠の兄上がついに宮廷に帰ってきちゃった」
観衆の輪から離れた場所で、カレンらの様子をグリスウェンとユイルヴェルトが見守っていた。
「ラン――いや、これからはロウラントと呼ばないとな。……しかし何をやらせても上手いな、あいつ。カレンもうれしそうだし、ひとまず良かった」
「何を呑気なこと言ってるのよ」
二人が後ろを振り向くと、イヴリーズとミリエルが立っていた。イヴリーズは選帝会議の頃よりも少し腹が目立つようになっていたが、顔色は以前よりも良くなっている。ミリエルは最近、年相応の優しい色合いのドレスを選ぶことが多く、今日も淡い空色のドレスを着ている。以前とドレスの嗜好が変わったのは、明らかにカレンの影響だ。
「姉上、座ってなくていいの?」
ユイルヴェルトの問いかけに、イヴリーズはなだらかに膨らんだ腹をさすりながら言う。
「病人ではないのよ、心配しないで。それにしても――」
イヴリーズは観衆の注目を集めながら、カレンと共に悠然と踊るロウラントに手厳しい視線を向けていた。
「相変わらずそつがなさ過ぎて、可愛くない子」
「そう言ってやるな。こんな形で宮廷に戻ったら、これから苦労もするだろうし、初めても顔見世としては上出来だろう」
グリスウェンの台詞に、彼の妻となったイヴリーズは冷ややかに告げる。
「だから、あなたは人が良すぎるのよ。……いつか出し抜かれても知らないから」
「自分の性格の甘さは自覚してるさ。でもそうじゃなかったら、いまだに俺は独身だったろうな。悪いことばかりじゃないだろう?」
腕を腰に当てたイヴリーズが半眼で首を傾ける。
「あらあら、それはどういう意味かしら?」
「そのままの意味だが?」
白々しく笑い合う夫婦の間に、ミリエルが割って入った。
「お二人共、茶番劇も惚気も帰ってからにしてください。――それよりも、ユールお兄様!」
末妹からきっと睨みつけられ、ユイルヴェルトがたじろぐ。
「な、何?」
「どうして、わたくしをダンスに誘いに来ないのですか? まったくカレンお姉様たちといい……たかがダンスと言えど、正式な序列をきちんと守るべきです!」
「あ、ごめん。忘れてた」
「忘れてた!?」
ユイルヴェルトは激高する妹に向かって、へらりと笑う。
「それに今踊ったら、絶対あの人らと比べられるし」
「何ですか、その気概のなさは!? 唯一の皇子が情けない!」
「何だ、ミリエル。踊りたいのなら俺と踊るか?」
厳密に序列を守るのなら、義理の兄とはいえグリスウェンも身内として、ユイルヴェルの次にミリエルと踊るのが筋だ。
しかしミリエルはつと考えて、真顔で首を振る。
「……いえ。スウェンお兄様は背が高すぎて踊りにくいし、隣に立たれるとわたくしが余計に小さく見られるから結構です」
可愛い末妹にすげなく断わられ、本気で愕然としているグリスウェンを呆れたように見やってから、イヴリーズは苦笑する。
「――でも不思議よね。少し前まで誰も今日の光景を想像していなかったでしょう?」
イヴリーズの言葉に、他の三人もはっとしたように感慨深い表情になる。
「六人全員が宮廷に戻って、イヴ姉上とスウェン兄上が結婚して、皇太子はカレンに決定――半年前にそんな予想を聞かされたら、何馬鹿言ってんだって笑い飛ばしてただろうね」
「まったくよ」
自分たちの立場は決して楽観できるものではなかった。歴代の継承争いがそうであったように、誰かが命を落とす、悲惨な結末が産まれていてもおかしくはなかった。失ったものがなかったわけではないが、それぞれが納得できる形で未来へ希望を持って進めるのは、きっと奇跡と言っていい。
四人は自然と大広間の中央へと目を向ける。
この突拍子もない光景の一番の立役者――カレンディアは、今までのどの瞬間よりも最高の笑顔で、軽やかなステップを刻んでいた。