158、あれから2
二十年前敵国と通じ皇帝を陥れ、この夏にはイヴリーズらへの襲撃を首謀したレブラッド公爵。本人こそ処刑されたが、家門の存続は許されることとなった。しかし公爵には嫡子どころか、近親者もいなかったため、後継者選びに難航していると聞いていた。
遠縁の者が数名候補には上がっているが、本家からは何代も前に枝分かれしているため、中流階級として仕事を持ち生計を立てているらしい。もちろん貴族を名乗れる立場にはなく、外務大臣を兼任することになる『レブラッド公爵』に、いずれもふさわしい人物とは言えなかった。
「レブラッド公爵といえば、イゼルダ皇妃殿下は大丈夫なのでしょうか……?」
「うん、時々会うけど元気そうだよ。イゼルダ様は自分もあれこれ言われるのは覚悟してるって言ってたけど、ランディス皇子のこともあるし、面と向かって悪く言える人はいないんじゃないかな」
第一皇妃イゼルダは、売国奴として処刑された公爵の実の妹であり、今では唯一の皇帝の伴侶だ。そしてつい最近、息子を亡くしたことになっている悲劇の女性でもある。明るくさばけた性格でディオスからの信頼も厚く、どこか抜け目ない彼女のことだ。きっとうまく乗り切るだろう。
新しく紅茶を淹れるフレイに、カレンは「そういえば……」と尋ねる。
「少し前に、イゼルダ様から珈琲豆をいただいたんだよね」
「はい、お飲みになりますか? 私はあまり上手に淹れられる自信がありませんが……」
「今日はお茶だけにしよう。あれはもう少し……待ってみようか」
カレンにはよくわからないが、珈琲の淹れ方には無駄に苦みを出さないためのコツがあるそうだ。その辺りにやたらこだわりがあるらしい、元従者から聞いたことがある。確かに彼の手にかかると、他の人間が淹れた時よりも雑味が少なく、香りの広がり方まで違っていた。どちらかといえばカレンは珈琲が苦手だったが、彼の淹れてくれた物はお茶のようにすんなりと飲める。
「珈琲豆ってどれくらい持つのかな? あんまり放置しておくと、きっと風味が悪くなるよね」
困るよねえ、と苦笑すると、フレイが眉尻を下げる。
「……その後、何かわかりましたか?」
フレイの言葉は少なかったが、何についてかはわかっていた。
「ううん、なーんにも。薄情だと思わない? 手紙くらい寄越せばいいのにね」
「本当にどこにいらっしゃるのでしょう、ロウラント様は……」
ティーカップからくゆる湯気を眺めながら、カレンはぼんやりと考える。
カレンが皇太子に決まったと告げられたあの日、ロウラントは従者を解任され、さらに父から『ランディス皇子』の存在を消すことを提案された。皇太子にならなかった他の兄弟姉妹が皇籍に残る以上、ランディス皇子の処遇も改めなければならなかった。
選択肢は二つ。皇子としてもう一度宮廷に戻るか、もしくは永遠に存在を消し去るか、だ。
最初は『死ね』と言われて呆然としていたロウラントも、父の説明にその場で即座に結論を出した。衝撃を受けたのは、むしろ兄弟姉妹たちの方だった。本人は『俺が本当に死ぬわけじゃないし、別にいいだろう』と、あっさり言ってのけた。
しかしロウラントは「二人だけで話がある」と言う父と共に、別室に移動したのを最後に、皆の前から姿を消した。元々ベルディ―タ皇妃を手に掛けた事実がある以上、カレンの元には留まれないだろうとは覚悟していた。それにしても長い別れになるなら、行く前に一言くらいはほしかった。
ディオスからは「すぐに元には戻してやれない、しばらく待て」とだけ告げられている。父は言葉こそ少ないが、情が深く誠実な人であることはもう知っているので、心配はしてなかった。おそらく今この瞬間も、カレンやロウラントのために動いてくれているのだろう。
「必ずカレン様の元に戻ってきてくれますよ」
労わるようにかけられたフレイの言葉に、カレンは笑みを作る。
「ロウは私のことが大好きだからね」
「……少なくとも、よその女性に心を奪われてる心配はないでしょうね」
ロウラントの鬱陶しいほどの執着心を、ずっと側で見てきたフレイは、半笑いでため息をつく。
「うん、私もそこは全然心配してない」
あっけらかんとしているカレンを見て、何か思う所があったのか、フレイは彼にしては珍しく憤然として言う。
「……前々から感じていましたが、ロウラント様はカレン様の信頼に甘え過ぎです。せめて、自分がどういう立ち位置で在りたいかを、もっと明確に主張されるべきだと思うんです。以前カレン様もおっしゃっていましたが、残念ながらあれでは……」
「モテないよねえ。無駄にお説教は多いのに、肝心なことを言わないんだもん」
「感情の重さはだいぶ漏れていますけど……」
「ね! あれは普通の娘は引くよねえ。――あ、でも最後に会った時に、宮廷から逃げるなら一生養う、みたいなこと言われたよ」
フレイが心底憐みの眼差しで口元を抑える。
「……失礼ながら、あの方は本当に――」
「天然っていうか、アホだよねえ」
フレイと、ああだこうだとロウラントについて語っていると、少しだけ気が紛れた。陰口を叩けるのも本人がいない間だけと開き直ることにした。