156、別れの時
「……とにかく兄上たちの言い分まとめると、カレンは周囲が思うほど昔と性格は変わってない……というか、今ここにいるカレンには小さな頃の『ディア』と、カレンの言うところの『ハルミヤ・カレン』、どちらとも関連性があるって話だろ?」
「ではディアお姉様の人格を取って代わったのではなく、ロザリーネ皇帝のように『祝福』によって発生したもう一つの人格と元の人格が、何かの事情により融合したのではないですか?」
「融合ねえ……」
ミリエルの仮説を聞いてもどうも煮え切らないが、反論できるほどの要素もなかった。
「でも結果的に誰かが欠けたわけじゃないのなら、カレンも安心できるでしょう?」
「正直、今更ディアの人格に出て来られても困るしな」
「おい、昔のカレンを侮辱するな」
「侮辱というか、実際そんなことになったら継承問題はどうなる?」
「ディアとかカレンとか、ややこしいなぁ」
「待って! じゃあ私の『元の世界』の記憶って結局何なの?」
「だから妄想ではないのですか?」
ああでもない、こうでもないと騒がしく話を続ける子供たちをディオスはしばし見やった後、ぼそりと言う。
「お前たちが騒ぎ立てたところで、結論が出るわけではなかろう」
父のつぶやきに、各々ははっとしたように押し黙る。
「カレン、この件で皇太子になるのに支障があるわけではないな?」
「はあ……そこはまあ、そうですね」
ロウラントが苦々しく息をつく。
「まったく……だったら、何でこの局面で面倒な話題を持ち出そうと思ったんですか? 殿下が余計なことを言うから、ややこしい話になったじゃないですか」
「そうよ。私なんて結婚する前から、夫婦の危機になるところだったじゃない!」
性格の悪さに定評のある二人から責められて唖然とする。
(私だって本気で悩んでたのに……!!)
「心配せずとも、お前は間違いなく我が娘カレンディアだ」
心の内を読んだようなディオスの言葉に、カレンは息を飲む。
「お前にはわからずとも父にはわかる。お前は皇太子になるために努力を重ね、それと同じくらいの想いで、兄弟姉妹のための最善を探し続けてきたはずだ。記憶がなくとも、お前は自分のすべきこと最初から定めていた。それが何よりの証拠だ」
理屈ではなく、不思議と絡んでいた物がするりと解けるように、心が軽くなる。何か言葉を返さなければと思ったが、胸がつかえて何も言えなかった。
今までディオスのことは家族の中で、唯一その心がよくわからないと思っていた。不器用だがその情の深さは、確かにこの兄弟姉妹たちの父だった。
うつむいたまま零れる涙を止められないでいると、横から白いハンカチを押し付けられた。そのミリエルまでなぜか目元を赤くしていた。
「そんなことをずっと引け目に思っていたのですか? ふてぶてしいくせに、妙なところで気を遣わないでください」
ふいに大きな手が伸び、犬の子でも扱うような手つきでぐしぐしと頭を撫でられた。
「……俺もそうだった。だからお前の気持ちはわかる」
同じ母から分かち合った茜色の瞳がカレンを見つめていた。
「もう皆の側にいる資格がないと思った時、命を失うことよりも怖かった。でもお前は兄弟姉妹を愛しているからこそ、正直にすべてを言うことを決めたんだろう? ……俺はお前の行いを誇りに思うよ、カレン」
グリスウェンもまた、自分が皇家の血を継いでいないことを、突発的に知ってしまい思い悩んだはずだ。労わるような眼差しを向けられ、カレンはますますボロボロ泣いた。
「……そんなこと、別に殿下の責任じゃないでしょう」
「そうよ……気に病むことなかったのよ」
カレンの様子は茫然と見ていたロウラントとイヴリーズが、そこまで思い至らなかった、自分の察しの悪さに肩を落とす。
「そうやって、独りよがりで他人の心の機微がわからないから、小さい子に避けられるんだよ」
知ったような口を利くユイルヴェルトの頭を、兄姉が左右から同時に引っ叩いた。そのやり取りを見て、カレンはぐずぐず鼻を鳴らしながら笑った。
やがてディオスはカレンを真っ直ぐに見つめ、改めてその覚悟を問う。
「カレンディア、協議の結果お前が次期皇太子に決定した。異存はないな?」
「はい、父上」
今度こそ、しっかりと父の目を見据えて答えると、ディオスは満足そうにうなずいた。そしてこれまで五人の処遇を伝えた父は、最後の一人へと視線を向けた。
「ランディス、今後に関する重要な話がある」
「はい、父上」
本当の名を呼ばれ、ロウラントがディオスへと向き直る。
「まずロウラント・バスティスは正式にカレンディアの従者から解任とする」
「……かしこまりました」
ロウラントはいつもと変らぬ平静な表情で、静かに返答した。
覚悟はしていたし、やはりこうなったかという納得もあった。だがそれでも、心に落胆が広がるのをカレンは堪えられなかった。そして何の反論もせず、ロウラントが父の言葉を受け入れたことに、ちくりと胸に痛みが走る。
「その上でだ――お前にはこれから死んでもらう」
その言葉の意味を、誰もが測りかねたように沈黙が落ちる。
ロウラントは何度か目を瞬かせた後、ようやく「……はい?」と間の抜けた声を発した。
※※※※※※※※※※
選帝会議から二日後、第二皇女カレンディアの立太子と継承法の一部改定の旨が宮廷より公布された。同時にグリスウェンは皇籍から除籍され、第一皇女イヴリーズと婚姻したことも告げられた。
グリスウェンを今まで皇子と偽った顛末を、皇帝自らが陳謝するという出来事に宮廷は騒然となったが、それも数週間後には別の話題に取って代わられた。
帝都レギアに初雪が降った十一月末のある日、カレンは他の兄弟姉妹四人と共に、宮殿の一画にある、『鎮魂の森』と呼ばれる小さな森の墓石の前にいた。今朝早く、ここには一基の棺が納められ、皇族と主要な貴族らが見守る中で葬儀が執り行われたばかりだ。
今はすでに兄弟姉妹以外の人の姿はない。しんしんと雪が降り続ける中、墓石の前にそっと花を手向けたカレンは、彫られたばかりの名を指でなぞる。氷の様に冷たい大理石は鋭利な凹凸を伝え、そこには『第一皇子ランディス・カルシオン・ヴェクスタニア』と記されていた。
ランディス皇子が亡くなったと公表されたのは三日前だった。火傷が原因でずっと病がちだった皇子は風邪をこじらせ肺病み、病の床に就いてから、わずか数日の内に亡くなったと発表された。
選帝会議よりも前に継承権を放棄し、すでに世間から忘れ去られた皇子の死は、宮廷の人々にとってそれほど重大な出来事ではなかった。しかし彼が残した遺書はそれなりに話題になった。
いよいよ死の縁が迫っていると悟った皇子は、朦朧とする意識の中、四年前の事件について真実の告白と謝罪を書き残していた。
四年前、ユイルヴェルトの乱心とされていた火事は、実は自分が引き起こしたものであること。そして、二目と見られぬ姿となった兄を憐れんだ弟が、事件を自分の罪とし、己の死を偽装して出奔したのが真相だと記されていた。ランディスは遺書の最後で、舞踏会での乱心により宮殿内に幽閉されていたユイルヴェルトへの温情を嘆願していた。
その最後の願いを聞き届ける形で、ユイルヴェルトは釈放されることとなった。皇家の名を傷つけた代償に継承権こそ失ったが、彼の皇子としての地位は守られることになった。
――これが世間の人々が信じる、ランディス皇子にまつわる顛末だ。
「カレンお姉様、また雪が強くなってきました。そろそろ……」
「うん、わかってる」
ミリエルの言葉にカレンは空を見上げる。厚く覆われた曇天からは、白い羽根のように雪が舞い落ちる。カレンは最後に墓石を一瞥した。
「……じゃあ、またね」
青ざめた唇に薄い笑みを浮かべそう告げると、姉妹たちに促されその場を後にした。
数時間後、地面に積もる雪を踏みしめながら、黒いマントを羽織った青年が皇家の墓地へと現れた。ある墓石の前に立ち止まり、供えられた花に積った雪を指でそっとどかす。死者に手向けるにはいささか派手過ぎる、深紅の薔薇に苦笑を浮かべる。
「……まさか、自分の墓を見るとは思わなかったな」
小さなつぶやきは誰に聞かれることなく、雪の中に吸い込まれていった。