155、本当の私2
カレンはあらかじめ理路整然と説明できるよう、話を自分の中でまとめてきた。この四月から存在するこの世界の記憶と、『元の世界』での記憶を。
何度も練習したはずだが、緊張のあまり所々つっかえながらの説明になってしまった。そこを何度かロウラントが補足してくれた。荒唐無稽な話であるのに誰も口を挟まず、真剣な面持ちでカレンの話を聞いてくれた。
すべてを話し終えると、皆ほぼ同時に渋い表情を浮かべた。その何とも言えぬ空気に、カレンも冷や汗を流す。
(気持ちはわかるけどね……)
兄弟姉妹たちの性格はいい加減熟知している。カレンの告白の審議と言うよりは、『よくもこの盤面で厄介事を持ち出してくれたな』という困惑だろう。ようは『空気を読め』というやつだ。
しかし父ディオスだけは、涼しい顔であっさりと言った。
「話はそれだけか?」
「そ、それだけって……」
「カレン、今から百八十二年前に即位した女帝のことを知っているか?」
唐突な質問にカレンはぽかんと口を開ける。
「記憶がないことは理由にならんぞ。半年以上学ぶ時間はあったはずだ。お前の側近はそんなことも覚えさせていないのか?」
父から厳しい目を向けられたロウラントが、恨みがましくカレンをにらむ。
「……申し訳ありません。殿下には今後一層勉強していただきます」
「百八十二年前というと、ロザリーネ皇帝ですね」
あっさりと答えたミリエルに、こちらも当然のようにイヴリーズがうなずく。
「ロザリーネ皇帝といえば『祝福』持ちで有名よね」
「そう、彼女は『祝福』持ちだ。一つの体に二つの心を持った、歴代でも珍しい能力と言われている」
「二つの心……?」
「彼女は私生活では穏やかで気立ての優しい女性であり、夫君との間に多くの子に恵まれた、良き妻、良き母であったと伝わっている。しかし公務では気丈で理知的、時に無慈悲なまでに厳格な裁きを下す、家族の前とは別人格のようであったと言われている」
「それは単に、公私を分けていたという話ではないのですか?」
「ロザリーネ皇帝が冷徹なもう一つの顔を見せるようになったのは、皇太子になって間もない頃からだ。それまでは兄たちの早世により、十人並みの才覚しかなかった彼女が世継ぎとなることを危ぶむ声も多かったそうだ。……カレン、お前の境遇と似ていると思わんか?」
ディオスの言葉にカレンは首をひねる。確かに外野から見れば、ロザリーネ皇帝と、《ひきこもり姫》のカレンディアの性格が豹変した状況は、似たようなものに見えるかもしれない。
そういえば、とイヴリーズがはっとしたようにつぶやく。
「……私が初めて『祝福』に気づいたのは、ばあやが事故で大怪我を負ったのがきっかけだったわ。『祝福』は必要と迫られた状況で、初めて発現することが多いのよ。ランもドーレキアで大怪我をしたと言ってたわね?」
ロウラントもうなずく。
「そうか……――殿下、半年前のカレンディア皇女は宮廷で才覚を披露できなければ、皇太子の座はおろか、生涯幽閉の身となる瀬戸際の状況でした。その状況を本能が危機と認識し、『祝福』が目覚めた可能性もあるのではないでしょうか?」
「ええー……? そういうものかなあ?」
皆の言いたいことはわかるが、やはり『元の世界』の記憶など、しっくりとこない点がたくさんある。
「そういうも何も、姉上の体に別の世界から来た魂が乗り移ったなどという絵空事よりは、はるかに信憑性があるでしょう」
ミリエルの言い分は当然だった。ここにいる全員にとって『祝福』は幻でも伝説でもない、確かにそこにある現実だ。異世界転移説よりは納得できるだろう。
「それと殿下、俺も常々疑問だったのですが……その様子では自分でお気づきでないと思いますが……」
ロウラントが少し言いづらそうに切り出す。
「ん? うん……」
「あなたが『ハルミヤ・カレン』を名乗った当初から比べると、すでに性格というか、性質と言うべきかもしれませんが……とにかくだいぶ変わられてますよ」
ここに来て、思いがけないロウラントの言い分にカレンは戸惑う。
「それは……私だって、状況に迫られれば成長するわけで……。それに私に色々なことを教えてくれたのはロウでしょう?」
「いいえ、皇族という視点からの考え方や振る舞い方など、俺が教えたこと以上にやってのけていました。元の芽がなければ伸びようもない。そういった絶妙な感覚や勘の良さは、成長という言葉だけでは説明がつきません。……でも基盤があったというなら話は別です」
「宮廷のことは知らないけど、あっちの仕事でも似たような状況はあったわけで……」
言いながらカレンも自信がなくなってくる。確かにどうすれば最適なのか、状況を切り開けるのか、突然冴えたように考えが閃く瞬間があった。
(あれ……? 私って最初からこんなもん――じゃなかった?)
考えながら、足場を失うような恐怖が込み上げる。ロウラントに以前、『春宮カレンは、カレンディア皇女の妄想説』を指摘された時と似ているが、少し違う。今ここで、こうして思考する自分すらも作られた人格かもしれないのだ。グルグルと目が回るような感覚にカレンは混乱する。
(私って……私って、何者!?)
それまで兄弟姉妹たちのやり取りを、静観していたグリスウェンが怪訝そうな顔で首をひねると、傍らにいたイヴリーズがそれに気づいた。
「どうしたの、スウェン?」
「……そもそもカレンは、皆が言うほど昔と変わったか?」
その少しずれた指摘に、皆が呆れたような視線を向ける。
ミリエルがコホンと咳払いをして言った。
「スウェンお兄様が同母の妹を贔屓しているのは知っていますが、さすがに昔の《ひきこもり姫》だった頃と、今とでは別人のように違うでしょう?」
「スウェンだって、カレンと春の舞踏会で再会した時は驚いてたじゃない?」
姉妹たちの言い分に、グリスウェンは首を振る。
「……いや。確かに処世術みたいなものは以前と比べれば上手くなったが、カレンは昔から人の感情を読み取ることや、本性を見抜く術には長けていたぞ。だから小さい頃のカレンは、イヴやランにはあまり懐いてなかったじゃないか」
その言葉にイヴリーズとロウラントが呆気にとられた後、カレンに驚愕の視線を向ける。
「え!? 知らないよ!?」
「仕方ないな、二人は昔から本当に性格が悪いからなあ」
うんうんと、うなずきながら近々夫となる男に言われ、イヴリーズが青ざめる。
「……スウェン、私のこと本気でそう思ってたの?」
「うん? まあな」
「だったら、何で結婚しようなんて思ったのよ……」
上目づかいで睨むイヴリーズに、「あーあ……」とユイルヴェルトが乾いた笑いを浮かべ、ミリエルが気まずそうに視線をはずす。さっそく夫婦の危機が訪れていることに気づいてないのか、グリスウェンはあっさりという。
「それとこれとは話が別だ。イヴは俺にとっての最愛の人というだけで、世間一般の価値観からすれば二人は本当に性格が悪いと思う」
「な、なによそれ……」
なかなか手厳しいことを言われているような気がするが、イヴリーズは満更でもないように赤くなって口ごもる。
「子供の頃は今よりもっと酷かったぞ。だからカレンはお前たちに怯えて、あんまり近寄らなかったんだ」
「ちょ、ちょっと兄上! 本当に私は知らないからね!」
グリスウェンを遮るように、カレンは叫ぶ。
「私、ランとスウェンには……それは、ちょっとは意地悪もしたかもしれないけど、下の子たちはちゃんと可愛がってたわよ」
「俺だってあまり接点はなかったけど、ディアにはそれなりに気を遣って……」
「昔の話でしょ!? 二人とも小さい子に避けられてたくらいで、本気で落ち込まないでよ」
沈痛な表情を浮かべる姿に、カレンも居たたまれなくなる。
「うん、だからそういう表面上の顔に騙されず、ちゃんと腹黒い本性を見抜いていたんだから、カレンは小さい頃から愚鈍どころか、鋭い子だったと言いたかったんだ」
「兄上も空気読もうよぉ……」
この二人のなけなしの良心に訴えられる、数少ない人間である自覚があるのかないのか、グリスウェンもなかなか容赦がない。
それを見ていたユイルヴェルトが兄姉たちの様子に、大きなため息をついた。