12、想定外
突然の妹の申し出に、イヴリーズは快くうなずく。
「『金糸雀姫』は私も好きよ。あれなら諳んじられるし、そうしましょうか」
「あ、姉上――」
カレンは声を上げかけたが、とっさに言葉を飲み込む。
「どうしたの、カレン?」
「いえ……私も姉上の詩が楽しみです」
その詩の朗読は自分にやらせてほしいと言えば、優しいイヴリーズはあっさり譲ってくれるだろう。しかしそれでは、他にできることがないと白状するようなものだ。
ここで無能をわざわざ自分で暴露するわけにはいかない。もちろん同じ詩を詠む選択肢もない。優秀な長姉への対抗心と思われかねない。
後ろに控えているロウラントに視線をやれば、これは想定外だったのか、かすかに苦い表情を浮かべている。
「まあ、カレンディアお姉様。何だか顔色がよろしくありませんわよ?」
わざとらしいミリエルの言葉にカレンは確信する。ミリエルはカレンが詩の朗読をすることも、その内容も知っていて、イヴリーズに同じものを勧めたのだ。
カレンは自室以外でも庭やバルコニーでも、詩を詠む練習をしていた。ミリエルの息がかかった使用人が、それを聞き留めていてもおかしくはない。完全に失敗だったが後の祭りだ。
ロウラントたちも間者を使ってまで、そんな子供じみた嫌がらせをしてくとは思っていなかっただろう。
そう、これはただの子供っぽい嫌がらせだ。当のミリエルもまさかこのささやかな嫌がらせが、カレンの致命傷になるとまで思ってはいないだろう。弱気なカレンディアを動揺させてやれば面白い、程度にしか考えてなかったはずだ。
普通なら別の詩を朗読すればいいだけのことだ。だが文字を読めないカレンには、今更別の詩を変更することはできない。
「お前たちは何をするんだ?」
グリスウェンの問いかけに、ミリエルは自信たっぷりな様子で答える。
「私は歌を披露しようかと思います」
「それは楽しみね。音楽の先生があなたのことを褒めていたのよ」
イヴリーズの言葉にミリエルしおらしく首を振る。
「いいえ、イヴお姉様に比べれば私などまだまだです。――それで、カレンディアお姉様は何をされるのですか?」
しらじらしい問いかけに、カレンは再び袖の中でこっそり拳を握る。それでもなけなしのプライドでにっこりと笑った。ミリエルが喧嘩を売るつもりなら、動揺など微塵も見せてやるものかと。
「秘密。楽しみにしていて」
※※※※※※※※※※
「お上手ですわ、カレンディア殿下。そのようにお褒めいただけるとは。この老婆めには、冥途の土産となりましょう」
「まだまだ、お元気そうなのにご冗談を。それにドレーク伯爵夫人、あなたの領地にうかがいたいと思っていたのは本当です」
いたずらめいた表情で皇女は言う。
「――だってわたくし、あなたの領地で採れる黒スグリのパイに目がないの」
「あらまあ! そういうことでしたらカレンディア殿下、いつでも大歓迎ですわ」
険しい岩山を思わせる老婦人の顔が綻ぶ。
気難しいことで有名な伯爵夫人が、カレンディア皇女を相手に少女のように声を立てて笑う。広間のあちこちから興味混じりの視線が集まった。
それまで壁際で、身じろぎもせずに立っていたロウラントはカレンの元に歩み寄る。視線で意図を察したカレンが、伯爵夫人との話を切り上げた。ロウラントに連れられ、目立たない場所の長椅子に腰かける。
「いやあ、参ったねー」
見られても違和感がないよう、扇で口元を隠し、余所行きの笑顔を張り付けたままカレンがつぶやく。
「……申し訳ありません。これは俺の失態です」
ロウラントは苦々しい表情で頭を下げる。
むろん先ほどの兄弟姉妹とのやり取りの話だ。ミリエルは完全にカレンが今日詩の朗読をすることも、その内容も知っていた。
「もう少し身辺に注意を払うべきでした。離邸の使用人が、殿下の情報を他の兄弟姉妹に売る可能性は想定していたのですが……」
「だから私の秘密に関する話は人払いしてたもんね。それ以外のことは私も油断してたなー。ロウのせいじゃないよ」
カレンの慰めに、ロウラントは首を振る。
「それなら、せめてもう一つ二つ詩を覚えていただくべきでした。イヴリーズ殿下は歌唱が得意なミリエル殿下に遠慮して、楽器を選ぶものとばかり……」
「どうかなあ……私もあれこれ覚える余裕はなかったし」
イヴリーズが手に怪我をしていたのも、完全にイレギュラーだ。
「姉上にお願いして、『金糸雀姫』を譲ってもらった方がよかったかな?」
「いいえ、あそこの判断は正しかったと思います。兄弟姉妹とはいえ、弱みを見せるのは危険です。特にミリエル殿下があそこまで、敵意をあからさまに見せる以上……」
「そこなんだよねぇ」
間者を使うなど悪ふざけの域を過ぎている。継承争いに優位なはずのミリエルが、なぜ《ひきこもり姫》の妨害にそこまで執着するのか理解できない。しかし事態がこうなってしまった以上、今は考えても仕方なかった。
「それでロウ、何かいい案はある?」
「この際気分が悪くなったことにして、退席するのも一つの手かと。少なくともここまでの対応な完璧でした。すべての手の内を見せる必要はありません。大きな失態を犯さない内に、撤退するのは悪くはないと思います」
「……そっかあ」
答えつつも、カレンの心の中にふつふつと湧いてくるものがあった。
思えばアイドル活動していた頃も、最初から何もかも上手くいっていたわけではない。
オーディションを受かった時は、すでに三人のメンバーが決まっていた、プロとしての実績がある娘たちからは、はっきり言って見下されていた。
足を引っかけられたり、飲みかけのペットボトルをわざと捨てられたりと、嫌がらせもされた。それでもいつか見返してやるという負けん気と、アイドルになるという情熱から絶対に引かなかった。
メンバーの一人と本気で取っ組み合いのケンカをして、二人してマネージャーから拳骨を落されたこともあった。その娘とはその後、スタッフへの文句で意気投合し、憂さ晴らしにカラオケに行って妙に盛り上がった後、なぜか仲良くなったのが今では懐かしい思い出だ。
カレンが剣呑な笑みを浮かべているのに気づいたのか、ロウラントがいぶかしそうな顔をする。
「……何か考えているのですか?」
「ねえロウ、私たちの目標は?」
腕を差し出し問う。
ロウラントは嫌な予感を覚えたのだろう。かすかに眉を寄せつつも、淡々と答える。
「……とりあえず今日を無難に終わることです」
「皇帝になることだよ」
「それは――」
「無難に終わればそこまでだよ。今日はっきりわかったけど、このままじゃミリエルにも姉上たちにも勝てないと思う」
兄弟姉妹同士で話している間も、彼女たちの一挙一動に周りの人間が細心の注意を向けているのがわかった。このきらびやかな宮廷に紛れてしまえば、『そこそこ』の存在など誰も気を留めない。気にかけられなければ、評価すらされないのだ。
「私はアイドルを名乗る以上、舞台の上で評価される覚悟はあるよ。でも舞台にすら立てないのはイヤだな」
「気持ちはわかりますが、急いても仕方ありません。まだ機会は――」
「私はうぬぼれ屋かもしれないけど、好機は何度でもあるって思えるほど傲慢じゃないよ」
真面目な口調で言うと、ロウラントがはっとしたように固まる。
カレンは少し苦笑して言った。
「実力はあるのに病気とか事故とか、努力じゃどうしようもないことで、機会を逃がしちゃう人って結構いるんだよね。――ほら、実際私のアイドル人生もいい所で終わっちゃったしね」
「殿下……」
「あのねロウ、私はきっと『今』だと思う。多分だけど今日を逃したら、きっとこの先もないよ」
根拠のない勘だが、それでもカレンは確信していた。
ロウラントは沈黙した後、長い溜息を吐く。
「……わかりました。殿下を信じます。何か策があるのでしょう?」
「策って言うほど大層なものじゃないけど、やれることはやっとこ」
カレンは扇の影でウィンクを送り、不敵に笑った。
2022年9月24日 2023年8月24日 誤字訂正