154、本当の私1
「昨日はずいぶん派手に暴れたらしいな。それともまだ足らんか?」
「父上……」
ディオスはいつにもまして、冷ややかな眼差しを向けながら部屋に入ってくる。それまで言い争いをしていたロウラントとイヴリーズから、気まずそうな表情が浮かぶと共に覇気が削がれていく。さすがのこの二人も、父の前では大きく出られないらしい。
「まあいい。全員座れ、話がある」
その一言に、誰よりも先にそそくさと年長の二人が着席する。そのあからさまな姿に呆れながらも、カレンはミリエルらと共にソファに座る。
大人しくなった子供たちを前に、ディオスも手近な椅子に腰かける。ディオスは一同を見渡すと、まずイヴリーズに視線を向ける。
「イヴ、お前が書いた二つの書簡は役に立ったぞ。木簡の方はついに大司教も偽物だと気づかなかったようだ」
カレンには意味がわからなかった。ただグリスウェンが呆れるような、かすかに恐怖するような目つきで未来の妻を見つめ、そのイヴリーズは満足そうに微笑んでいる。
「あの男なら、踏まえるべき点は知っていると思いました。焦がした木簡の臭いを抑えるのに苦労しましたが、工夫を凝らした甲斐はあったようですね」
(また何か悪いことを仕組んだのかなあ……)
したり顔で笑う姉の顔を見ながら、カレンは思う。
「これはその報酬だ」
ディオスがテーブルの上に何かの書面を出す。
「これは婚姻許可書ですか? ルテア様と……誰かしら?」
母であるルテアの名前にカレンも身を乗り出す。
そこにはルテア皇妃の名が記された二通の婚姻証明書があった。一つの日付は二十年以上前の物で、もうひとつはカレンが産まれる前年の物だ。誰もが意味をわかりかねている中、最初に察したのはイヴリーズだった。
はっと顔を上げて、父に問う。
「つまりこれで、スウェンはルテア皇妃の婚外子ではなく――」
「前の夫との子供ということになる。皇子と偽ったことは私の不徳であり、それに関しては後日、公にも説明する。――スウェン、この件に関してはお前が引け目に思うことではない。謝罪も礼も聞かんぞ」
先に制するようにディオスは言う。グリスウェンは何か言いたげだったが、結局恐れ入ったように頭を下げるに留めた。
「まったく手間が掛かる……人があれこれ苦心している間に、お前たちが状況を引っかき回すからだ」
父の苦々しい視線を受け、年長の四人がそれぞれあさっての方向に目を逸らした。
「でも舞踏会であれだけ騒ぎを起こしておいて、皆が納得するでしょうか?」
腕を組んだまま、首をかしげるのはユイルヴェルトだった。
「誰が起こした騒ぎだ?」
疑問を呈したユイルヴェルトはぴしゃりと父に言われ、口ごもる。ディオスはイヴリーズとグリスウェンに視線を向けて言う。
「早まった件についてはお前たちの落ち度だ。その点を人々に論われるのは覚悟しておけ。失った名誉と信頼は、今後の働きで挽回する以外にない」
「……おっしゃる通りです」
これにはイヴリーズとグリスウェンも殊勝な態度だった。
「皆にも改めて話しておくが、イヴについては継承権剥奪とするが皇女の地位には残す。イヴの子には皇籍の子供として継承権が与えられる。そしてスウェン、お前は一度皇籍から除籍とする。イヴとの婚姻後は、第一皇女の配偶者として何らかの爵位が叙勲される」
「それでは、けじめがつきません」
グリスウェンの表情が曇る。
彼の望みはイヴリーズと共にあることのみ。他に私欲はなく、それを証明するためにも、無位無官の身からやり直す覚悟は決めていたはずだ。
「これはそういう話ではない」
ディオスが厳しい声で言う。
「他国でも王女の配偶者には、ふさわしい身分を与えるのが通例だ。これは我が皇家の婚戚に必要な体面を整えるためもので、お前の意向を組む気はない。爵位が重荷であるならば、相応の働きでもって、ふさわしくあるよう努力すればよい」
グリスウェンは複雑そうな表情だったが、やがて覚悟を決めたように「はい」としっかりと返答した。
ディオスは視線をユイルヴェルトに巡らせる。
「――ユール、お前の処遇もイヴ同様だ。皇子としての地位は残すが、世間を謀った罪で継承権は剥奪する。今後はこれまで隠遁していた分、宮廷で表向きの責務に努めてもらう」
「え、ええ……いや、でも僕そういうの向いてませんし……」
ユイルヴェルトが心底嫌そうにその秀麗な顔を歪める。それを見たディオスも眉間に皺を寄せる。歳も中身も違うがこの親子、外見は本当にそっくりだ。
「甘ったれるな。お前には皇家に泥を塗ったツケは払ってもらう。働きで返せないというのなら、いずれしかるべき家門に、皇家からの婿として高く売りつける」
「そんな……それじゃ人身売買じゃないですか」
「嫌なら死ぬ気で働くんだな」
すげなく言うと、ディオスは末子へと視線を移した。
上の兄姉たちと違い、ただひたすら真面目に選帝会議に向けて努力を続けていたミリエルに対し、父の視線はかすかに和らぐ。
「ミリー、先日自らの継承権の放棄を宣言したな。そのことで先ほどトランドン伯爵から、猶予を設けてもらえないかと改めて申し出を受けた」
「お爺様が? ですがお父様、もうわたくしは……」
「お前の気持ちはわかっている。私も状況を考慮した。だがこのままでは、継承権を持つ者は皇太子を除けばイヴの胎の子だけになる。万が一を考えれば、好ましいことではない……わかるか?」
ミリエルはしばらく唇を噛み締め、沈黙した後やがておずおずとうなずく。
「では皇太子の元に跡継ぎができるまで……もしくはイヴお姉様の子供が、ある年齢に達するのを条件に、わたくしの継承権は自動的に破棄されるという形ではどうでしょう?」
娘の提案に、少しディオスは考え込む。
「……よかろう。いずれお前たちの子世代での継承方法に関しても、取り決めなければならないが、それまでは暫定的にミリーを皇位継承権第二位とする。よいな?」
「はい、お父様。皇族の娘として、今後もふさわしくあるよう努めます」
ミリエルの完璧な返答に、ディオスも満足そうに頷く。
そしてディオスはカレンへと視線を向ける。
初めて会った時もそれからも、その威厳に気圧されそうになったが、今はそれほど怖くなかった。これまでも話を聞いて、父がどれほど子供たちのために心を砕いてきたかわかったからだ。ディオスはカレンを真正面から見据えて問う?
「カレン、選帝会議の結果はわかっているな?」
「はい……ですがそのお話の前に、どうしても家族がそろったこの場で伝えたいことがあります」
カレンは胸の前で拳をぐっと握り、はっきりと告げる。
「殿下、待ってください!」
カレンの鬼気迫る表情に、ロウラントは何か感づいたらしい。止められる前に、カレンは一息で言う。
「――私は本当のカレンディア皇女ではありません。私には十七歳の誕生日より前の、この世界の記憶がありません。私の本当の名前は『春宮カレン』と言います。ここではない、ある世界のある国に生まれた人間です」
しんと部屋の中に沈黙が落ちた。
皆カレンが何を言っているのか、測りかねているのだろう。しかしただ一人、予想外の反応を示した人物がいた。
ディオスが少し考え込むように顎に手をあて、「……そういうことか」とつぶやく。きょとんとするカレンにディオスは言う。
「カレン、その話をくわしく申してみよ」