153、悔恨から先へ
「俺がもっと深慮するべきだったんです。うかつな真似をしたせいで、逆にイヴの身を危険にさらし、スウェンだって自分の秘密を知る羽目になった……」
手すりをぐっと握るロウラントの手が白くなる。
「あの二人を守るつもりが、追い詰めた原因は他でもない俺だったんです……」
「姉上たちは気にしてないって言ってたよ。もうそこはいいじゃん、結果的に丸く収まったんだし。それにロウがその『余計なこと』をしなければ、今頃は姉上が皇太子になってて、二人はそれぞれ別な人と結婚してたかもしれないよ?」
「……それは殿下や、あの二人の苦労の末の結果です。俺の落ち度が帳消しになるわけじゃありません」
カレンは腰に手を当てると、口の端を歪めてはっと短く息を吐いた。
「あのさ、前々から思ってたけど、ロウってそういうとこ結構おこがましいっていうか、自意識過剰だよね」
「……え?」
ロウラントが驚いたように目を見開いてこちらを見ていた。その表情に、カレンはくすりと笑う。
「だって良くも悪くも、人間一人の行動で世界の運命が決まるわけじゃないでしょ? ……レブラッド公爵のことは残念だったけど、いざとなれば潔く死ぬ覚悟が決まってるような人だもん。今回のことがなくても、どこかで同じようなことを仕出かしてたと思うよ」
ロウラントは無言のまま、厚く雲が覆う空を見上げた。彼が落ち込んでいるのは、自分の不甲斐なさのせいだけではないことはわかっている。レブラッド公爵がロウラントを利用し、何も告げずに逝ってしまったことに、傷ついているのは明らかだった。
「……ねえ、ロウ。私はレブラッド公爵がどういう人があまり知らないけど、ロウは公爵を信頼してたんでしょ? ロウの見てきたことは、全部が嘘じゃなかったと思うよ。公爵はロウのことを家族みたいに心配してたし、大切に思ってたはずだよ」
「その結果がこれですか?」
ロウラントの口元に皮肉な笑みが乗る。
「上手く言えないけどさ、人間って良い人悪い人って簡単に割り切れるもんじゃないでしょ? よく不幸とか困難な中で見せる顔がその人の本性だ、みたいなこと言うけど、普段の顔だって別に嘘にはならないと思うんだよね」
例えば、『元の世界』の自分の父がそうだったように。あの事故で母と妹を失わなければ、父は愛妻家で娘に少し甘い、どこにでもいる普通の、良い夫、良い父として人生を終えたはずだ。秘めた一面を眠らせたまま、何事もなかったように平凡な一生を過ごす人は、きっとたくさんいるのだろう。
「私はレブラッド公爵が姉上たちにしたことは許せないけど、ロウをずっと見守り続けてくれたことには感謝してるよ。……公爵がいなかったら、『ランディス皇子』は『ロウラント』になれなかったし、私たちも出会わなかったかもしれないんだから」
ロウラントが不思議そうにカレンを見つめている。
「恨みたいならそうすればいいけど、許すかどうか迷ってるなら、無理に結論を出す必要はないってこと! してもらって良かったことだけ、遠慮なく受け取っておけばいいんじゃない?」
「……できるかはわかりません。でも努力はしてみます」
ロウラントは小さく嘆息した後、そう言った。
そして外の景色をぼんやりと眺めたまま、ぼそりと言う。
「……もしもまた俺が裏切ったら、殿下はそうやって割り切りますか?」
「うーん、それはどうかなあ。私もロウのこと言えないくらい、根っこの部分は深くてドロ~っとしてるしね……制裁はするかも」
にやりと笑って言うと、ロウラントが気まずそうに身を引いた。
「それは冗談として、この先ロウが私の意志とは違う行動を取ったとしても、状況はともかく、原因は私への深過ぎる愛を拗らせたとかでしょ、どうせ。だから私の方も『ま、それならいっか』って思っちゃうから、裏切り自体が成立しないんじゃないかなあ」
「どういう理屈ですか……」
ロウラントは驚愕と呆れが入り混じった表情で、顔を赤らめるという器用な真似をする。
「でも私の気持ちを無視したら、そこはすっごく怒るからね」
「人の忠告は散々無下にしてきたくせに」
いつも調子のその軽口にカレンはほっとする。
ロウラントが手すりに掛けた手に、カレンは自分の手を重ねる。寒空の中にいたせいか、その手は少しかさつき、氷のようだった。カレンではとても包み込めそうにない大きな手だが、その指先だけでも冷えた風から守るように握り込む。
「……途中で投げ出したくなっても、もう無理だからね」
「望むところです。地獄の底までお付き合いします」
逆に指を絡めるように手を握り返された。甲と違い、その手の中は熱いほどだった。
立場がある以上、自分たちの関係になんらかの名前を付けなければならない日は必ず来る。ただロウラントほど同じ熱さで与えたい、与えられたいと思う存在はこの先きっと現れない。なぜかそういう予感がした。
しばらく手を繋いだまま、二人立ち並んでぼんやりと薄暗い空を眺めていると、後ろから声がかかった。
「――二人とも、そろそろ部屋に戻れ。もうすぐ父上が見えるそうだ」
バルコニーと部屋を繋ぐ扉からグリスウェンが顔を出す。どちらともなくするりと手をほどき、顔を見合わせて苦笑した。
「はーい! ――行こう、ロウ」
グリスウェンが身を翻すと、その後ろにイヴリーズが仁王立ちで待ち構えているのが見えた。
「姉上?」
部屋に戻って来たカレンがイヴリーズに声をかけたが、彼女なぜか無言のまま、冷ややかな眼差しを一点に向けている。その視線の先にいたロウラントがばつが悪そうに問う。
「……何だよ?」
「別に。ただあなたが、しつこい猫みたいに一つの物に執着する性質だったのを思い出しただけ」
「それがどうした?」
「え? 何の話?」
カレンを無視して、ロウラントとイヴリーズが睨み合う。
「……節度は守りなさいよ。しばらくは黙っててあげるから。スウェンにまた殴られたくはないでしょう?」
「お前がどの立場で意見するつもりだ?」
ロウラントが皮肉交じりの嘲笑を返す。
「私は姉だもの。いくらでも素敵な相手を選べる妹に、変な虫がつかないよう守るのは当然でしょう?」
「ああ、確かに誰かと違って、殿下はまだ十二分に相手を選べる立場だ。――よかったな、イヴ。手近に物好きがいたおかげで、行き遅れなくて済んだじゃないか」
「本当に可愛くないわねっ!」
「うるさい、大きなお世話だ。昨日はうやむやにされたが、お前にも文句はあるんだからな」
「まだ根に持ってるの? 本っ当に陰険ね」
「こっちがどれだけ迷惑したと思ってるんだ? そもそもお前がスウェンを――」
「……まだやっとるのか、この馬鹿どもは?」
低いが良く通る声に、ロウラントとイヴリーズの動きが止まる。
いつの間にか開け放たれた扉の向こうに、兄弟姉妹の父である皇帝ディオスが立っていた。