149、愛に生きた皇妃
フレイが少し躊躇する様子を見せてから切り出した。
「あの……陛下。私の口から申し上げていいのかわかりませんが、ルテアは陛下のことを男性として愛していたと思います」
「どういう意味だ?」
「ルテアはカレンディア殿下を身籠られた時、うれしそうに手紙で報告してくれました。父親のことには触れていませんでしたが――その……つまり女性ですし、修道院育ちですから医学的知識は備わっていたはずです。意外に思われるかもしれませんが、修道女はその分野にことにはくわしいのです。父親が誰かは彼女もわかっていたと思います」
「……なるほど、そういうものか」
女子修道院は名家の子女を預かる教育機関でもあり、後ろ暗い事情を抱えた女たちの救いの場でもある。それゆえ修道女たちの仕事も多岐に渡り、教師や時に医師や産婆の役割も求められる。修道院で奉仕活動に携わっていたのなら、ルテアも妊娠や出産にまつわることにくわしくとも不思議はない。
「その気になれば、ルテアならいくらでも誤魔化すことはできたでしょう。それでも陛下の御子を残したいと思ったルテアの気持ちは義務感だけでないはずです。尊敬や恩義が時間と共に形を変えても、おかしくはないと思います」
「それでいいのか? そなたに対するルテアの気持ちは、カレンを身籠る頃には冷めていたということにならないか?」
「……さて、それはどうでしょうか」
穏やかな笑みではあったが、フレイはどこか余裕の表情だった。
「世間では――特に女性は唯一無二の愛こそ美徳とされるものですが、一途に生きていくには、この宮廷という世界はあまりにも歪です。私に対する想いと陛下に対する想いが、同じであったかはわかりません。それでもルテアが手に入れた愛の形に嘘はないはずです」
その言葉に、ふいに死の床にあったルテアを思い出す。彼女は我が子たちとフレイのことをディオスに頼み亡くなった。そして最後の力を振り絞り、もうひとつ何かをディオスに告げようとして力尽きた。その言葉が何だったのかは永遠にわからない。だがもしも――とディオスは考える。それは自分の願望に過ぎないかもしれない。だとしても、信じることくらいは許されるはずだ。
ルテアは存外強かに宮廷で生き、二つの愛を手に入れ、そして二つの愛を返した女だったと。儚く運命に翻弄され亡くなった皇妃として記憶に残るより、その方がルテアも喜ぶはずだ。
「……そうだな。そなたの意見を聞いてよかった。感謝する」
「もったいないお言葉でございます」
「それから子供らには、母たちの死の真相はもう少し伏せておいてほしい」
特にミリエルはまだ事態を受け入れるには幼く、イヴリーズには出産が終わるまで心労を負わせたくなかった。
「いずれ折を見てそれぞれに話す。特にカレンには皇太子として、この宮廷で起こった事件の顛末を、感情に流されることなく事実として踏まえてほしい」
フレイがはっとした後、感嘆混じりのため息をつく。
「本当にカレンディア殿下が皇太子になられるのですね……」
「引き続きあれの教育を頼む。カレンを選んだのはその成長に期待をかけてのことだ。わかっているとは思うが、今の時点ではまだまだ至らぬ点が多い」
「私がこの先も殿下にお仕えしてよろしいのでしょうか?」
「なんだ、修道院に戻るつもりだったのか? それともまさか、故郷へ帰るつもりか?」
「いいえ……ただ私はあまりにも、カレンディア殿下にご迷惑をおかけしてしまいました」
「イヴリーズから脅迫されていた件なら本人から聞いている。父として娘がしたことは、責任をもって詫びさせる」
「そんな! 恐れ多いことにございます。それにすべてはグリスウェン殿下を救うためになさった行動です。イヴリーズ殿下には感謝こそすれ、謝罪していただくようなことはありません」
「ああ、そうだ。スウェンも一度そなたときちんと話がしたいと言っていたぞ」
その一言に、フレイの表情が硬くこわばる。
「あの方に話せることなど何もございません。……どんなに憎まれても仕方のない立場です」
「そう身構えることはない。スウェンも別に悪い感情を持っている様子はなかった。知っての通り、あれは根に持つような性分ではない。ルテアとそなたの血を引くだけある。……どうも皇家の血が入ると、性格に難が出ていかんな」
「いえ……そのようなことは……」
「とにかくその辺りのことは、落ち着いてからゆっくり話し合うがよい。そなたが宮殿を出たいという話でないなら、カレンの元へ戻れ。そうでないと、私がカレンから恨まれる」
「かしこまりました、陛下」
今度ははっきりと、フレイは承諾した。
長年の肩の荷が下り、ディオスは安堵の息をつく。そして思わず笑った。
「しかし妙なものだ。ルテアについて誰よりも忌憚なく言葉を交わせるのが、恋敵だと思っていたそなたとは」
「そう思われながら、私どもに目こぼし下さった陛下の御心の広さにはお見それいたしました」
「そうするより、ルテアを手に入れる方法が他になかったからな。褒められるようなことではない。些事にはこだわらない、ただの性分だ」
ディオスの言葉に、フレイは何か感銘でも受けたように深く息をついた。
「そうか……だからルテアは――」
「どうした?」
「……いえ。ただ悋気というものが、私にもようやくわかった気がいたします」
「ほう、そうか」
今まで聖人君子のように、悟り澄ましていたフレイが悔し気に口元を歪める。ようやく彼から人間らしい表情を引き出せたことで、ディオスはひそかに溜飲を下げた。
対話を終え、フレイが執務室を辞す直前にディオスはあることを思い出す。
「――フレイ」
「はい、陛下」
扉に手を掛けてフレイが振り返る。
「その名はタルタスでは女性名か?」
「『フレイ』は男性でも女性でも使える名ですが、これは元々故郷を逃走する最中に、母が私につけた偽名です。私の本名は……王家の血を引く母の意地だったのでしょう、分不相応でありますが本来はタルタス貴族の子弟に使われる物で、身分を隠すには不向きでした」
「本当の名は何という?」
フレイは不思議そうな顔をしながら本名を明かす。ディオスはその名を口にした後、かすかに笑った。
「気にするな。ただの興味本位だ」