146、かみあわない問答
ロウラントは少し考えて答える。
「ベルディ―タ皇妃の件は、父上から罪には問わないとは言われていますが、具体的な『ロウラント』の処遇については、まだ伺っていないので何とも……」
「そうなんだ……」
「殿下、俺は何があっても必ずあなたの元へ戻ります。……そう誓約しました」
「うん。知ってる」
ロウラントの言葉を微塵も疑う素振りはなく、当然のごとく言われる。それが少し悔しくもあり、うれしかった。
「きっとこれから忙しくなるね」
「まず年末か年明けの立太子式ですね。その準備と並行して、皇太子宮への転居といったところでしょうか。国内外からたくさんの人が集まりますから、殿下の腕の見せ所ですよ」
「正直ちょっと不安かな。ロウが側にいてくれないと」
「フレイ先生や他の兄弟姉妹がいるじゃないですか」
その言葉になぜかカレンの表情が曇る。
「うん……皆がいるもんね。でも実はフレイ先生、正宮殿に呼び出されてるんだよね。その後もずっと連絡がつかなくて……」
ロウラントはそこで初めて、フレイが皇帝直々の呼び出しを受けていたことを知る。十中八九ルテア皇妃とグリスウェンの件だろうが、父の様子からして、今更フレイに恨み言をぶつけるつもりはないだろうと思った。
「そうでしたか……でも父上なら悪いようにはしませんよ。きっと先生を殿下の元へ返してくれるはずです」
「うん。……そうだよね」
答えながらも、表情が暗いカレンを見てロウラントは何か明るい話題はと考える。彼女くらいの年齢の貴族令嬢といえば、話題の大半は恋愛や結婚に関するものだ。よく飽きもせず同じような話ばかりできるなと思うが、以前カレンにも恋人の有無について聞かれたことがあった。その手の話は嫌いではないのだろう。
「――殿下も来年には十八歳ですから、皇太子決定の旨が公表されれば、たくさん縁談が来るでしょうね」
「そういうものなの?」
「跡継ぎがいるということは、次代も安定して皇位が保たれる証明になります。周囲が最初に皇太子に期待するのは、政治的な実績よりもそこです。ちなみに殿下の年齢で定まった婚約者もいないとなると、普通の令嬢ならかなり焦るものですよ」
「でも姉上は? ロウたちの一つ上だよね?」
「皇族だから仕方なかったとはいえ、普通あの年齢だと行き遅れ扱いされます」
「え、ええー……」
ルスキエの貴族令嬢らは大抵十代の内に嫁いで行く。心構えだけでどうにかなるものではないので、うるさく言うつもりはないが、本来カレンも悠長にしている余裕はあまりない。
大陸唯一無二の帝国であるルスキエは、その力関係から無理に他国におもねる必要性はない。フロテア大河を隔てた西方諸国の王家のように、他国の王族と婚姻関係による同盟を結ぶ必要がなく、国内から婚姻相手を自由に選べる。そういう意味では、相性や年齢関係なしに政略目的のみで嫁がされる、西方諸国の姫君たちよりカレンはまだましだ。
とはいえ、誰でもいいというわけでもなく、皇族の相手となれば最低でも貴族階級である必要がある。ただしルスキエの男性貴族も、十代後半から遅くとも二十代半ばくらいには結婚するものだ。釣り合いの取れる青年たちは未婚であっても、恐らく大半は決まった婚約者がいる。
例えば筆頭貴族である七家門の子弟ともなれば、ほぼ確実に売れてしまっているはずだ。カレンが皇太子になったことで、婚約を破棄してでも皇配候補に名乗り出る者もいるかもしれない。それもまた波乱を起こす要因になりそうで、頭の痛いところだ。
話題選びに失敗したことは明らかだった。
「皇太子になれると思ったら、いきなり結婚に出産かあ……」
カレンのげんなりした表情を見て、彼女にとって『出産』が鬼門だったことを思い出す。
「こっちの娘って十七、八くらいで結婚するんだもんね。下手したら私の歳で、子供がいてもおかしくないのかあ」
「まあ……あり得なくはないですね」
そう言いつつも、カレンが赤子を抱いている姿などロウラントも想像できない。
「『元の世界』なら学校行ったり、友達と遊んだりしてるような年齢なんだよ? 向こうなら、三十過ぎで結婚も出産も当たり前なのに」
「それはさすがに遅すぎませんか? 心身共に成熟してから結婚すべき、という点については理解できますが、三十過ぎではそうたくさん子供は望めないでしょう」
「うん、だから兄弟姉妹いても二、三人くらいの人がほとんどだね」
「それで人口が維持できるのなら、『元の世界』というのはよほど、医療技術が高いのでしょうね」
「んー、それはあるかも。少子化とか問題がないわけじゃないけどね」
ときどき聞くカレンの『元の世界』の話は、突拍子もない事情も多いが、やはり妄想や作り話とは思えない合理性がある。結局彼女の言う『元の世界』とは何なのか、ロウラントにはいまだにわからない。
「ロウが前に言ってた、種馬扱いってこういうことね……」
カレンの苦笑に自分の発言を後悔する。……あの時は感情が高ぶっていたとはいえ、いろいろと失言してしまった。
「あれは俺だったら、如才なく皇家を取り仕切るのは無理だという話です。殿下なら誰が相手だろうと、きっとそつなく結婚生活を送れますよ」
その言葉にカレンが目を見張った。
すっと表情を消す彼女に、ロウラントはしまったと思う。何かを決定的に間違えたことはわかったが、それが何なのかわからない。
「うん……そうだね。私はその辺の人間関係は上手くやれる自信があるし」
浮かない顔で言われて、ロウラントは言葉を失う。
「殿下……あの」
「ロウは?」
「え? 」
「皇太子の結婚も大事だけど、ロウの方が私より年上じゃん。自分こそ結婚は考えてないの?」
カレンに言われ、今更ながら気づく。確かに自分も一般的には結婚を勧められる年齢だ。実際、同い年のグリスウェンには来年子供が生まれるのだ。彼の場合そこに至るまでの展開が壮絶だっただけで、妻子を持つのに早過ぎる歳でもない。
しかし今のロウラントの立場では、引き継ぐべき家門も財産もない。むしろ皇族の血を引く子供など、後々で厄介事の種になるかもしれない。そう考え、瞬時に結論が出た。
「結婚はしません」
「何で!?」
「だって、俺が一般的な結婚生活に向く人間だと思いますか?」
「ううん。まったく」
想像以上に、はっきりと否定され複雑な思いになるが、同時に仕方ないとも思う。幼い頃『あなた様には人の心がない』と、乳母に泣かれた実績がある自分だ。それでも自分との婚姻によって、一人の女性を確実に不幸にするとなれば、さすがに気が咎める。
「だからいいんです。……独り身の方が身動きもしやすく、面倒な柵を抱えなくて済みますから」
「柵か……そうだよね」
「はい」
カレンの表情は曇ったままだ。気まずい空気は変わらず、一体何を間違えたのか自問するが、答えは出なかった。