145、夜の侵入者
ロウラントはひさしぶりにくつろいだ気分で、夕食と入浴を終えると、宮殿に用意された居室の寝所で読書をしつつ酒杯を傾けていた。
昼間に兄弟姉妹が集められたのは、本来父から全員に話をするためだったと侍従に聞いた。その前に当人同士で話を付けておくようにとの配慮もあったのだろうが、肝心な要件は父に急な用事ができたということで取りやめになった。
それでも夕刻までゆっくりとお互いの積もる話ができたのは、ロウラントにとっても思いがけず楽しい出来事だった。
今晩はカレンたちも含め、全員が正宮殿に留め置かれている。父からの話はまた明日ということで、再び全員が呼び出されると聞いた。おそらくその場で、カレンには皇太子決定の内示が下されるだろう。
まだ細々と解決していない問題はあるが、兄弟姉妹の立場が守られ、カレンが無事に皇太子になれる目途がついたのだ。後のことなどロウラントに取っては些事に過ぎなかった。
ふと、続きの間になっている応接室の方から、廊下と繋がるドアを叩く音が聞こえてきた。部屋から漏れる灯りに気を利かせた従僕が、新たに酒を差し入れにでも来たのかと思い、何気なく返事する。ドアが閉まり人が入室する気配はあったものの、しばらくしても居間から動く様子がない。
ロウラントは本を読みながら声をかける。
「寝室に入っても構わない。こっちのテーブルに――」
ひょっこりと続きの間から顔を出した人物に、ロウラントは言葉を失う。
「本当にいいの?」
「……絶対駄目です」
夜半に男の寝室へ堂々やって来たカレンに、ロウラントは呆れとも怒りともつかない感情を覚えつつ、手にしていた本を閉じる。
「そっちで待っていてください。……寝室には絶対に入らないでください」
もはや手遅れのような気はするが、そこは最後の一線だ。
就寝前だったのでナイトガウン姿だったが、悠長に着替えていてはカレンに寝室に突入されかねない。諦めて応接室に向かうと、呑気にソファーに腰かけるカレンがいた。
「……本当に勘弁してくださいよ」
こちらも寝間着姿に大判のショールを羽織っただけの主を見て、やるせない気持ちになる。これで彼女に含む所は一切ないのだろうから、いっそのこと性質が悪い。皇太子叙任直前の皇女が、従者と寝室にいる現場を他の者に見つかれば最悪だ。確実に父からの『お叱り』だけでは済まない。
「大丈夫だよ。ここに来るまで、誰にも見られなかったから」
表向きは従者である自分とは違い、兄弟姉妹たちは正宮殿でもさらに奥まった場所に居室が用意されているはずだ。この部屋からは少し距離が離れている。
「誰かに見られたらまずいという認識はあったんですね?」
「それはまあ……ね」
説教の前兆を悟ったのか、カレンの笑みが強張る。
「でもほら!」
カレンは両手を広げて言う。
「私が今不祥事を起こせば、ここで働く人たちの不手際になるじゃない? むしろ必死で隠してくれるよ!」
「殿下……」
ロウラントは思わず額を抑える。
これまでの継承争いで身に着けた考え方なのか、元々ふてぶてしいカレンの性格がさらに冗長している。特にこの小賢しい開き直り方は、認めたくはないが自分やイヴリーズの影響だ。
「……それで、そこまでしてこの部屋に来た理由はなんですか?」
「え? ああ、それね……」
腕を組んで仁王立ちで尋ねるロウラントを前に、カレンがらしくもなく視線を落として口ごもる。少しだけ半年前までの、怯える子ウサギのようなディアを思い出し、ロウラントは怒りを削がれる。
カレンと対面のソファーに腰かけると視線が近くなり、ほっとするようにカレンが息をつくのが分かった。
「ロウに舞踏会でのこと早く謝りたくて……」
「謝る……? 殿下がですか?」
意表を突く言葉にロウラントはぽかんとする。
「どう考えても、あの晩のことを謝るのは俺の方でしょう」
口論になった挙句に泣かせ、一瞬目を離した隙にカレンに大怪我を負わせてしまった。さらに蟄居を命じられたせいで、選帝会議直前という大事な時期に側にいられなかった。従者としては最悪の失態だ。
「だって殴っちゃったし……」
「殴る……ああ、あれですか」
口論の時そういえば頬を叩かれた気がする。彼女にとっては渾身の力であっても、自分とカレンとではそもそも体格も体重も違う。はっきり言って猫に引っかかれた程度にしか思えない。実際、今の今まで忘れていた。
「昼間のスウェンとの……あれ見ていましたよね? 殴るっていうのは、ああいうのを言うんです」
「あれは乱闘でしょう?」
真顔で言われ、ロウラントは咳払いをする。
「……とにかく、俺はまったく気にしていないので、殿下も忘れてください」
「うん、ありがとう」
カレンは重荷が降りたように、ほっと笑顔と共に息をつく。
その顔を見て、本当にその一言を伝えるために危険を冒したのかと半ば呆れつつも、ロウラントも自然と笑みがこぼれていた。
「……殿下。少し早いですが、皇太子叙任おめでとうございます」
「さすがにそれは気が早すぎない? 私は全然実感が沸かないし」
「他に選択肢がないんです。こればかりは覆りませんよ。……まさかこんな形で決着するとは思いませんでしたが」
たかが半年にも関わらず、今までのロウラントの人生の中でも最も密度の濃い時間だった。カレンとはもうずっと共に歩んできた気がする。最初に彼女が『ハルミヤ・カレン』を名乗った頃、その頭の軽そうな言動を前に絶望したことが今は遠い記憶だ。
「そうだね。……運が良かったって言ったら、姉上たちに悪いけど」
「運も実力ですよ」
傍目からは偶然による幸運に見えたとしても、その状況を引き寄せたのがカレンの力量であることは、ロウラントが誰よりもよく知っている。
ふとカレンがまじまじと自分を見ているのに気づいた。促すように見つめ返すと、おずおずとカレンは切り出す。
「……ねえ、ロウはこれからどうするの?」
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。今年も本作をよろしくお願いいたします。年初からおじさま方の湿っぽい話や夜這い(?)から入りましたが、この辺りからエピローグ的な内容になっていくと思います。おそらく今月か来月中には完結すると思います。もうしばらくお付き合いいただけると幸いです。