144、かつての皇子と従者2
ディオスは核心的な質問をダリウスに投げる。
「……イヴを襲わせたのは、ベルディ―タではなくお前だな?」
我が子たちの命を狙ったこと。これだけは見過ごすわけにはいかなかった。
「まさか。あの方は私にとっても大切な方。――狙ったのは、グリスウェン皇子ですよ。イヴリーズ殿下を人質にできれば、さすがの彼も武器を置くと思っていたのですが、そう上手くはいかないものですね」
ダリウスは肩をすくめる。
「あの日、貧民街に二人が行くことを知っていたのはなぜだ?」
「ランディスがユイルヴェルト殿下に宛てた手紙です。ユイルヴェルト殿下の手の者に、貧民街に行くイヴリーズ殿下らの護衛を依頼したのですよ。……ランディスはどうも、身内のこととなると盲目になっていけない。そこまで重要なことなら、直接ユイルヴェルト殿下に伝えるか、せめてディラーン商会を通じるべきだったのに、急くあまり偶然行き会った私に手紙を託したのです。これは何かあると思い、ユイルヴェルト殿下が手紙を開封された後、こっそりと拝見させていただきました」
ディオスは苦々しい表情を浮かべる。
ランディスが早計だったのはもちろん、その手の文書をすぐに破棄しなかったユイルヴェルトもうかつだ。
「あの阿呆共が……」
「他者に冷徹な反面、身内に気を許し過ぎるのは完全にあなたの悪影響ですよ、陛下」
その点についてディオスは反論できなかったので、ダリウスを睨むにとどめた。
「お前はランディスを除けば、子供たちの中で特にイヴに目をかけていたな?」
「個人的な贔屓ですよ。あの方は若い頃の陛下に似ています。ベルディ―タ様も同じ理由でユイルヴェルト皇子を贔屓にしていましたが、内面に関してはイヴリーズ殿下の方が陛下によく似ていらっしゃいます。別に皇太子になるのは、ミリエル殿下でも構いませんでしたがね」
「だからスウェンを亡き者にしようとしたのか?」
「あの時は、まだ彼が有力候補に立つなどと思っていませんでした。グリスウェン殿下を害そうとした理由はいたって個人的なこと――私は彼が心底嫌いだからです。無邪気な笑顔で人をたぶらかす母親そっくりだ」
穏やかな口調に滲む本物の嫌悪と狂気に、ディオスは呆れた眼差しを向ける。
「ずいぶんと皇妃たちを嫌っているな。ベルディ―タがそう考えるのはまだ理解できるが」
「……見過ごせませんよ。陛下をさんざん蔑ろにしてきた女たちです」
「人を他国に売り渡しておいてよく言う」
「陛下にとって私のしたことは理不尽であっても、私には理に適ったことです」
「身勝手なことだ。亡くなった皇妃たちは、いずれも親兄弟に売られるように宮廷に送り込まれた気の毒な者たちだ。大目に見てやれなかったか?」
「鎖に繋がれていたわけでも、牢獄に閉じ込められていたわけでもありません。その気になれば実家から金目の物を奪って逃走することも、他の男と駆け落ちすることもできたはずです。運命を打破する気概もないくせに、悲劇を背負った顔をして、皇妃としての待遇は厚かましく享受する、醜悪で愚鈍な女たちだ。……私がすべてを犠牲にし尽くした唯一無二の存在を、彼女たちは石ころ同然に扱ったのです。いくら陛下が女好きとはいえ、彼女たちに情けを掛けることが理解できません」
「そなたの目には、皇妃たちがそのように映っていたのか……」
ディオスは愕然としつつ額を抑える。
ダリウスとは子供の頃から苦楽を共にし、同じ物を見てきたと思っていた。しかし自分と彼の瞳に映る光景はまるで違っていたのだ。
ダリウスはたとえディオスを恨もうと、その存在を神聖化し、蔑ろにする存在はすべて否定しなければならない理由があった。――自分が人生で切り捨ててきたものは、最も尊い存在のために致し方ない犠牲だった――そう思い込み自分を正当化しなければ、心が耐えらなかったのだろう。
若い頃から、愚直なほど忠義に厚い男だとは思っていた。そしていつの間にか、その真っすぐ過ぎる心は宮廷の毒に当てられた結果、常に共にあったディオスすら知らぬところで、恐ろしくいびつに捻じ曲がっていたのだ。
「陛下が寵愛していたルテア皇妃のことは一等嫌いでした。よその男の種から生まれた子を、あなたに押し付けるなど恥知らずにもほどがある」
「私がそれでいいと望んだことだ」
「だから今回のイヴリーズ皇女の件は、はらわたが煮えくり返りましたよ。あの人誑しな母と息子に、あなた方親子が二代そろって篭絡されたと思うと虫唾が走る」
「……つくづく、お前と私が見ている光景は違っていたようだ」
決定的な価値観の違いに、ディオスは静かに絶望する。
家族のために奔走してきた自分が間違っていたとは思わない。だがその傍らで歪んでいくダリウスに、もっと早く気づけなかったのは、間違いなくディオスの失態だ。後悔したところで、互いの溝はもはや埋めようがなかった。
「しかし、お前がそれを知っていたということは、イクス教団……やはり大司教も共犯か?」
「お教えしません。せいぜい悩まれるといい。私は自分が丹精込めて築き上げてきた物を無下に扱われるのが大嫌いなのです。これはその最たる方――自らを粗雑にし続けた陛下への嫌がらせです」
「執念深いことだ」
「二十年間も裏切り者の報復を胸にしまい、ここぞという時に実行した陛下に言われたくはありません」
返ってきた皮肉をディオスは鼻で笑う。背負っているもののため、無理やりにでも自分を正当化しなければならない点は、ディオスも同じだ
ダリウスの空いたグラスにワインを注ごうとすると、手で制された。
「もう結構です」
「ではブランデーか? それともラムか? まさか歳のせいで酒に弱くなったわけではあるまい」
「陛下こそ孫ができる御年なのですから少しは自重してください。それよりも頂戴した物がございます」
「何だ? 牢獄に行く前だ、希望くらいは聞いてやる」
「では、この場で陛下の血を賜りたく存じます」
その一言にディオスは言葉を失う。
皇帝の血を賜る――それはすなわち毒杯による処刑を意味する。
「供述することなどもうありませんよ。さすがにこの年で石壁の牢獄に入ると思うと気が滅入ります。それとも貴族として、最後の体面を保つこともお許しいただけませんか? 仕出かしたことを考えれば、民衆の前で斬首に処されても致し方ありませんが……」
「せめてイゼルダと最後に言葉を交わさなくてもよいのか?」
「元々特別仲がよい兄妹ではありませんよ。それに酒が回って舌が滑りやすい今なら、陛下がアトスで『丁寧な接待』を受けた件まで話してしまいそうです」
「なるほど。それは困るな」
「ええ、だからこれでよいのです」
ダリウスは穏やかな笑みをたたえて言った。
ディオスはダリウスをまじまじと見つめる。一点の曇りもない、やるべきことをやり遂げたという達成感に満ちた表情は、苛立つと同時に少し羨ましくもある。ここでディオスが拒んだところで、彼は自ら舌を噛み切ってでも本懐を遂げるだろう。覚悟を決めるしかないと悟った。
「――よかろう」
ディオスは文机に置いてあったナイフを取るために立ち上がる。