142、皇太子決定
ディオスの言葉に廷臣たちが色めき立つ。
「お待ちください! 我々には何の相談もなしに、あまりに早急すぎます」
「継承法は古王国時代から継がれる、我が国の根幹にございます」
「情に流され、歴史あるものを安易に改めてはなりません」
口々に上がる反対意見にディオスは首を振る。
「それは違う。確かに選帝制度も継承法も古王国時代から継がれている物ではあるが、今とは大分事情が異なっていた。かつて王位を継げぬ王子たちはどうなっていた?」
ディオスの視線を受け、カロン公爵がおずおずと言う。
「例外なく死を賜る決まりでございました」
「その通り。当時は王太子の選定時期も明確に定まっておらず、王位継承者以外は大人から赤子まで容赦なく殺された。女子に至っては命こそ奪われないものの、そもそも継承権がなかった。時代が移り、王子たちの助命が認められるようになった経緯は皆もよく知っておろう」
三百年ほど前、死の恐怖が逃れんとするあまり、宮廷では王子や妃同士の暗殺が横行し、後に『血の降星祭』と呼ばれる陰惨な大粛清が成された。
身内同士の殺し合いに生き残り王となったのは、結果的に先王の庶子であり市井で育ったオルダリス二世だった。彼の子供たちの代から法が変わり、継承者になれずとも辺境での蟄居生活を送ることが認められた。
それはやがて形を変え、修道院で終生を過ごす規則となった。さらにその後、ルスキエが周辺国を併合し帝国を名乗ると、為政者に求められる役割も変わり、女子の継承権が認められるようになった。
「時代や情勢が変われば、法が変わるのも道理。今回妃たちが暗殺され、皇女たちも殺されかけた原因の一つは継承法にあると考えている。選帝制度は確かに子供たちに平等に権利が与えられているように思えるが、実態は母方の実家の力が強い者や年長者が有利だ。もし選帝制度に時間制限が設けられていなければ、そなたらも躍起になって、皇妃となる覚悟が定まらない未熟な娘を嫁がせようとは思わなかったのではないか?」
その言葉にトランドン伯爵とデ・ヴェクスタ公爵が渋い表情を浮かべる。
「仮に長子相続制度であれば、他国のように時間をかけて吟味された正妃を一人持てば済むこと。結果子供が生まれなければ、そこで初めて側室を検討してもよいはずだ。選帝制度の在り方をすべてを否定するつもりはない。だが妃や子供たちの自我がないがしろにされた、原因の一つであることも事実だ。今回ベルディ―タが凶行に走った要因も、そこにあると私は考えている。――合っているか、レブラッド公爵?」
問われたレブラッド公爵は返答せず、かすかに眉を上げ微笑んだ。
「そして皇帝の配偶者に選ばれる者は、帝国で最も高い家格を持つ七家門から選ばれる可能性が高い。そなたらの子孫を身内同士で蹴落とし合う運命から解放するために、法が変わることを前向きに考えられぬか?」
皇帝の言葉に、一同が真摯な表情で考え込む。
「あの……陛下」
「トランドン伯爵、どうした?」
「そういうことでしたら、ミリエル殿下は皇位継承権を放棄しない方がよいのではないでしょうか?」
さすがのタヌキジジイぶりで、すでにレブラッド公爵の告白から立ち直ったトランドン伯爵は、揉み手をしながら尋ねる。
「ランディスとミリエルに関しては、継承権の放棄は個人の権利によるものだ。本人にその気があるならば考慮してもよいが、個人的にはミリエルがそれを望むとは思えんな」
その言葉にトランドン伯爵はぐっと言葉を詰まらせる。
「そしてイヴリーズ、グリスウェン、ユイルヴェルトの三名は、世間を謀り宮廷を混乱させた罪による、懲罰としての継承権剥奪だ。これは継承法を根拠とするものではなく、皇帝としての判断であり、彼らの父としてのけじめでもある。皇太子候補という立場にありながら、責務より私情を優先させた者に帝位を継ぐ資格はなく、これを覆す気はない。――皆、異存はないな?」
デ・ヴェクスタ公爵が肩を落としつつ、「御意に」と応じると、レスカーが肩ををすくめた。
「仕方ありませんね。……しかし彼らを皇籍に残す意味はあるのですか? 温情を与えたいのならば、適当な爵位でも与えて臣籍に下らせればよいこと。時代にそぐわない物を変えることに反対はいたしませんが、変化は極力少ない方がよろしいのでは?」
「いや、皇族であることは必要なのだ。そこにも継承法の穴があると考えている。継承法では、もし皇太子に子が恵まれなかった場合は、特例として兄弟姉妹の婚姻を認めてきた。しかし皇太子に子ができるかを見計らってからでは、加齢とともに他の兄弟姉妹にも子ができる可能性は低くなっていく。他の王家が必死で子を増やし血脈を継ぐ中、むしろ制限をしてきた我が皇家が続いているのは、ただの幸運だと思っている」
「どこぞの代で遺伝の病でも発生すれば、直系でしか血を継げないルスキエ皇家はそこで終焉でしょうね」
遠慮のない表現だったが、ディオスはうなずく。
「そういうことだ。皇族の子として生まれた者には、継承権を与えたいと考えている。その親が継承権を持つか否かは関係なくだ」
「それはイヴリーズ殿下の御子のことでしょうか? さすがに早急すぎでは……」
トランドン伯爵の言葉にディオスは首を振る。
「むしろこの危うい状況を放置している方が異常なのだ。今、私と皇太子に何かあれば、宮廷が混乱するのは明白であろう。まして次の皇太子は女だ。産むのが一人である以上、そう多くの子は持てまい」
皆がその言葉に考え込む中、数名がはっと気づいたように皇帝を見やる。
その中の一人であったレスカーがにやりと笑う。
「……なるほど。そこについての陛下のご意思は、決定されているのですね?」
「本題から話は逸れたが、これが私の出した結論だ。貴殿らからの意見があれば聞こう」
「六人の御子に恵まれながら、結果はこうですからね。確かに保険を掛けておくのは肝要ですな」
皮肉めいた台詞に、ディオスはかすかに眉をしかめる。
「皇太子選定に関しては異論ございません。本日までに集められた貴族表明を確認するに、軍務関係者の支持をもあの方がごっそりさらったようですね」
軍務大臣にして、グリスウェンとも交友があるノア伯爵は、はしゃぐように言うレスカーを忌々し気に一瞥した。
舞踏会での騒ぎを受け、イヴリーズとグリスウェンの支持者たちはもはや選帝会議どころではなくなった。それでも二人の元々の人望ゆえか、減刑の嘆願は多く上がっている。新皇太子は兄弟姉妹の処遇について意見できる権利を持っており、両名の支持者たちがその一縷の望みを預けられるのは、ただ一人しかなかった。
カロン公爵が困惑しつつ言葉を発する。
「……確かにあの皇女殿下は心映えも優れ、皆に愛されておいでです。ですがやはり年長の姉君方に比べると、皇帝としての資質は未知数でいかがなものかと……」
「例え六名全員が候補として健在であっても、私はあれを皇太子に据えることを真剣に検討したはずだ。確かにまだ至らぬ点は多いが、あの者には他にはない稀有な才能がある。例えばそこの大司教殿やドーレキアの王子の懐に入り込むことなど、この場にいる誰にもできまい。……やりたいかどうかは聞いていない。可能か否かの話だ」
何ともいえない複雑な表情を浮かべる臣下たちに、ディオスは言う。
「あれにはイヴリーズの知性やグリスウェンの武勇のように、本人にわかりやすい才覚はないが、そういった才覚ある者を自らの手の内に引き込む才がある。この混乱下でも心乱すことなく、安定を失わなかった点も評価できる。少なくとも他の兄弟姉妹たちは進んで臣下に下るだろう。結果的にあれを皇太子に据えれば、他の者の才覚を有効に使えるということだ」
そして最後に最も大きな理由である本音を付け加える。
「……どのみち他に選択肢はないのだ。貴殿らも腹をくくれ」
その言葉に、ほくそ笑む者、天井を仰ぐ者、頭を抱える者――様々な反応があったが、しばらくしてもついに反対意見は出なかった。
「――では、次期皇太子は第二皇女カレンディアとする」
実質の審議時間を考えれば、歴代でも異例な速さで選帝会議の結論が下された。