138、選帝会議は始まらず
兄弟姉妹全員が数年ぶりに再会したのと同じ時間、その父であるディオスは円卓についたまま、静かに目を閉じていた。
その周囲に座る枢密院の人員は押し黙ったまま、重苦しい空気に耐えている。枢密院で主に意見交換をするのは、七家門の当主たる大臣たちの役割で、その他の者は意見を求められれば、参考程度に発言するのが慣わしだ。
しかし今日は大臣たちですらほとんど口を開いてない。途中で皇女二名の乱入と言う珍事があったものの、選帝会議が始まってからずっとこの調子だ。
数時間前、御代に一度限りの選帝会議が始まるや否や、皇帝ディオスは言った。「選帝会議に入る前に、先に解決しておきたい議題がある」と。
想定外の言葉に臣下たちがざわめく中、ディオスは淡々と告げる。
「二十年前のラドニア紛争の話だ。我が国の行軍経路を敵方に伝えた者がいる。由々しきことではあるが、これまでの功績をもって家門の存続は許す。この場で自ら名乗り出れば、当人の命は保証しよう」
ディオスは懐中時計を取り出すと、卓上に置いた。
「――三時間まで待つ」
それきり押し黙った皇帝に、皆いぶかしげに目配せをし合う。
ラドニア地方の領有権を主張する隣国アトス共和国、及びその裏から手を引くヴィスラ東方諸国連合と帝国との間に紛争が勃発したのは、およそ二十年前のことだ。現在の帝国にとって、他国との戦争としては最も記憶に新しい出来事だ。
先帝の急な崩御により、即位したばかりの若き皇帝ディオスは自ら陣頭指揮を執った。結果、いくつかの不幸な偶然が重なったことにより、数十名の近衛騎士と共に味方から孤立した所を敵に囲まれ、皇帝自らが人質にされるという、失態を犯したことはあまりに有名な話だ。
その結果帝国は莫大な身代金と、貴重な熱源や光源として重宝される、カラントラ鉱石の一大産地であるラドニア領を失う羽目になった。
当時、貴族と聖職者の一部特権を撤廃しようとしていたディオスは、多方面から恨みを買っていた。功に焦っていたとはいえ、前線で皇帝が孤立するなど、そうあり得ることではない。何者かの裏切りではと、当初から言われていたことだが、何も証拠はなかった。最終的に当時の近衛騎士団総長が責任を取り、辞職する形で片が付いたはずだった。
帝国史上に残る大事件とはいえ、まさか二十年前の話を選帝会議の場で蒸し返されるとは誰も想定しておらず、室内は困惑の空気が流れていた。
わざとらしい咳払いの後、発言をした人物がいた。
「……陛下、ここは次代皇帝となる皇太子を選出するために設けられた場です。陛下の心情はお察ししますが、二十年前の犯人捜しより、未来へ向けた建設的話を優先すべきではないでしょうか?」
「その意見については、私も大司教猊下に賛同いたします。敗戦の責任問題は大事ではありますが、だからこそ時間をかけて精査すべきです。まず選帝を無事に終えてからでも遅くはありますまい」
大司教レスカーの台詞に、財務大臣トランドン伯爵が追従した。その二人に向けて、周囲から白々しい視線が集まる。
当時は、皇帝を誰が裏切ってもおかしくはない状況ではあったが、人々の大方の予想は、財務大臣トランドン伯爵か大司教レスカーの企てであろうと思われていた。
ラドニアに並ぶカラントラ鉱石の産地を所領に持ち、その国内生産をほぼ独占することで、莫大な富を得ているのは財務大臣トランドン伯爵だ。
またイクス教団もディオスに手により、教団法典に乗っ取った裁定権と執行権、さらに所領からの徴税権を奪われている。強硬派で知られる大司教レスカーがその報復として、他国に皇帝を売り渡す様は容易く想像ができた。
最も疑わしい人物たちからの意見に、円卓に着いた人々が皇帝の反応を見やる。皇帝は冷ややかな眼差しで、レスカーらに向ける。
「貴殿らは何か勘違いしていないか? 私は犯人を洗い出せとは言っていない。その人物は間違いなくここにいる。その上で、自らの罪を認めよ言っているのだ」
有無を言わさぬ響きに、皆が息を呑む。ディオスがここまではっきりと犯人の存在を言及するなら、確固たる証拠を握っているということだ。
なぜ二十年前に散々調べ尽くしても出なかった証拠が、今になり出たのかという疑問もあった。しかしそれ以上に人々を混乱させたのは、すぐさま犯人を捕縛せず、わざわざ時間を設け自首させることの意味だ。
しばししてから声が上がる。
「陛下が大罪人に自首の機会を与えられたということは、立場が重んじられるべき方なのでしょうか……?」
軍務大臣であるノア伯爵の言葉に、内務大臣のグリーデン侯爵が応じる。
「なるほど……。つまり戦犯はこの部屋の中でも特に身分が高いか、重役に担っているか、もしくは古くからお仕えしている者、といったところですか」
再びレスカーとトランドンに疑いの眼差しが向けられる。唯一皇帝と対等ともいえる、イクス教団の首座である大司教レスカー。そして七家門当主の中では古参であり、皇女の祖父でもあるトランドン伯爵。皇帝と言えど無下にはできない、帝国でも重要な立ち位置にいる二人だ。
しかしレスカーはこの状況を、茶番だとでも言いたげに薄笑いを浮かべ、トランドン伯爵はタヌキジジイと評されるだけあり、真剣に考え込むような素振りを貫いている。双方とも動揺の色が一切見えない。これでは無駄であろうと、この場に集められた人々は空しく時間が過ぎるのを待った。
やがて皇女二人が乱入し、ミリエル皇女が皇位継承権の放棄を宣言したことで、トランドン伯爵が魂が抜けたように呆けるなどの一幕はあったものの、結局犯人は名乗り出なかった。