137、この愛おしい光景
「ロウは確かに嘘をついてみんなを騙してたけど、二人を助けられないかずっと悩んでたんだよ。――ロウも、もう気は済んだでしょ?」
「俺は別に……」
気まずそうにロウラントは口ごもるが、完全に覇気は削がれていた。
イヴリーズとグリスウェンが顔を見合わ、肩をすくませた。
「妹にここまで言われてしまったら、仕方ないわね」
「そうだな。この辺で手打ちとしておくか?」
ロウラントはうつむいたまま押し黙っていたが、反論するつもりもなさそうだ。
グリスウェンは今度こそ晴れやかな笑顔で、ロウラントに右手を差し出す。
「――ラン。いろいろあったが、戻ってきてくれてうれしいよ」
ロウラントが小さく舌打ちして、渋々といった様子でその手を握り返した。そして視線を逸らしたまま、ぶっきらぼうにつぶやく。
「……おめでとう」
「え?」
不思議そうに自分を見つめ返すグリスウェンに、ロウラントは至極当然のように言う。
「お前、来年には父親になるんだろう?」
その言葉にグリスウェンの表情が固まる。そして無言のまま壁の方を向くと、片手で目頭を押さえたまま、何かを堪えるように深く嘆息した。
背中を向ける兄に、カレンはロウラントを指さして叫ぶ。
「わかる! ロウのこういうとこ、あざとくてホント嫌になるよね!?」
「馬鹿か、大げさなんだよ!」
ロウラントもまた照れ隠しのように毒づいた。
「イヴお姉様、本当に赤ちゃんがいるんですね……」
ミリエルがイヴリーズの腹の辺りを見た後、なぜかもじもじと胸の前で指を組む。
イヴリーズが笑いながら手招きした。
「ミリー、いらっしゃい。お腹を触ってみる? まだそれほどわからないと思うけど」
「よろしいのですか!?」
ぱあっと、笑みを浮かべるミリエルの傍らでカレンが叫ぶ。
「ああっ! ミリーだけズルい!」
「はいはい、カレンもどうぞ」
いそいそと姉のお腹を触る妹たちを見て、ユイルヴェルトがつぶやく。
「……いいよなあ、姉妹の方は平和的に解決してて」
それに比べて、と言わんばかりに二人の兄を見て、わざとらしく肩をすくめる弟をロウラントが睨む。
「二度と生意気な口が利けないように、もう少し殴っておくべきだったか?」
「ユール。正直俺だって、お前のことは一発くらい殴りたかった。ランがやり過ぎたせいで、機会を逃しただけだからな」
グリスウェンにまで睨まれて、ユイルヴェルトがげんなりと肩を落とす。
「何でこう、僕の兄上たちはすぐ暴力に訴えるのかな……」
「仕方ないだろう。馬鹿な弟たちを持った俺の身にもなれ」
「……今、馬鹿の勘定に俺も入れたか?」
また口喧嘩を始めている兄弟たちを横目で見ながら、カレンは「赤ちゃん、男の子か女の子かどっちかなあ」とわくわくと考える。イヴリーズとグリスウェンの子だ。きっとどちらでも、丈夫で元気な子だろう。
「……近い内に父上から話があると思うけど、私は継承権を失うけど皇籍には残れるそうよ」
イヴリーズの言葉にミリエルが考え込む。
「皇籍があるということは、その他の権利も自由ということですよね?」
住む場所を選ぶことも、財産の所持も、そして婚姻も。今まで剥奪されると聞いていた権利が、すべて許されるということだ。皇族ならではの制約はもちろんあるだろうが、それでも今までの処遇とは比べものにならぬくらい自由だ。
「ええ、そういうことよ。スウェンだけは皇籍を外れるそうだけど、ミリーも継承権を放棄したなら、私と同じ立場になると思うわ」
イヴリーズが楽しそうにくすくすと笑う。
「あなたたちも年頃だものね。これから、お婿さん探しが楽しみね」
「私たちの前に姉上でしょ! じゃあ兄上と正式に結婚もできるんだよね!?」
「一応ね。宮廷ではあれこれ言われるでしょうけど。きっとあなたたちにも迷惑をかけることになるわね。……ミリー、ごめんなさい。こんなことになって、あなたからしたら兄姉が結婚するなんて複雑よね」
難しい顔で考え込んでいる末妹が怒っていると思ったのか、イヴリーズは少し寂しげに笑う。
「――いえ、それはいいのですが」
ミリエルが真顔になって問う。
「スウェンお兄様が皇籍を外れるということは、厳密にはわたくしたちの兄君ではなくなるということですよね?」
「残念ながら、そういうことになるわね」
「でも、わたくしにとってスウェンお兄様はイヴお姉様の夫君なのだから、義兄ということにはなりますよね。……つまり今後も、お兄様と呼べばいいのでしょうか?」
「……悩むとこそこ?」
苦笑するカレンに、むっとしたようにミリエルが言う。
「だって、カレンお姉様はお二人とも血が繋がってるからいいですけど、わたくしはどうすればいいかわからないじゃないですか!?」
「ミリーに他人行儀に呼ばれたら、さすがに落ち込むな」
姉妹の話を聞きつけたグリスウェンに眉尻を下げられ、ミリエルははっとしたように息を飲む。そして咳ばらいをすると、つんと顔を背けた。
「……そこまでおっしゃるなら仕方ありませんね。今後もお兄様と呼んで差し上げます」
「ああ、ぜひそうしてくれ」
満更でもなくうれしそうなグリスウェンの隣で、ロウラントが顔をしかめる。
「……よくわからない。別にいいだろう、呼び方なんてどうでも」
姉ですら敬称で呼んだことがないロウラントに、ミリエルが澄ました顔で言う。
「あら? 他人事みたいな顔をしていらっしゃいますけど、一番立ち位置が変わるのはランお兄様ですよ?」
「何で?」
「だってランお兄様にとって、スウェンお兄様はもう弟ではなく義兄ですもの」
末妹の一言に兄弟姉妹の間に沈黙が落ちる。
一瞬の間の後、ロウラント以外の全員が笑い出した。
にやりと笑ったグリスウェンがロウラントの肩に手を置く。
「よし! 今後は兄上と呼んでいいぞ」
「誰が呼ぶか!」
勢いよく手を振り払い叫ぶロウラントに、皆がますます笑った。
笑いながらカレンは目尻に浮かんだ涙をぬぐう。
この光景が愛おしくてたまらなかった。血の繋がりも、隔てられていた時間も関係なく、確執を乗り越え六人全員がそろって笑い合えることが。――彼らがまるで本当に自分の兄弟姉妹のようで。
最初は違和感を持たれないように振舞おうと必死で演技した。そして彼らの立場や想いに触れ、心からの親愛を抱いた。ずっと自分が欲していた物が惜しみなく注がれるこの立場が心地よかった。理性ではわかっていても、いつのまにか本当の居場所と錯覚していしまうほどに。
だから密かに覚悟を決めた。皆を愛しているからこそ、この微睡みのような偽りを終わらせると。どんな結末になろうと、真実の自分で彼らと向かい合うのだ。
(みんなに伝えなきゃ――)
『本当のカレンディア』ではないことを。