10、春宮カレンという人
そもそも、自分たち《garden quartZ》は最初から特別だった。
所属するスワンレイク・プロダクションは、数年前まで大手事務所を経営していた社長が引退後、自分の理想のアイドルグループを作るために立ち上げた会社だ。そして年寄りの道楽半分とはいえ、その手腕は本物だった。
社長はグループメンバーに本社から引き抜いてきた、ティーンズ紙の双子のモデルと、子役時代からの下積みがある声優を加えた。そして新鮮な風を取り入れるため、メンバーの内二人はオーディションで選ばれた。
物語性を出すため、スタートはあえて地下アイドルという形を取った。その辺の定義など曖昧なので、そこは言った者勝ちだ。どのみち最初から、メジャーデビューを視野に入れて結成されたグループだ。
大手事務所の元社長の手腕と人脈、経験豊富なスタッフ、そしてすでに実績のあるメンバー。成功しない方がおかしいくらい、お膳立てされたアイドルグループ。
そんな磨き抜かれた要素の中で、彼女はある意味異分子だった。異様、と言ってもいい。
鈴原由真は、葬儀場のエントランスホールに設けられたベンチに座る。
正面の窓から、通り沿いに止められた車から水たまりに足を取られながら、建物に駆けてくる人が見えた。ここに到着したときは霧雨程度だったが、今はひどい土砂降りだ。
バッグの中でライトが点滅していることに気づく。服装は学校の制服でいいと言われたが、黒いバッグがないことに気づき、昨日慌てて買ってきてもらったブラックフォーマル用のバッグだ。
由真は着信通知から電話を掛け直す。ワンコール終わらぬ内に、相手が出た。
『――由真!? ごめん、今撮影終わってそっち向かってるとこ。リリも一緒』
『わたしはもう会場。……カレンに会えたよ』
『……そう』
『ミオちゃんからもすぐ着くって連絡来てたから、入口の近くで待ってるね』
『私たちもすぐ行くから。――ねえ由真、大丈夫?』
『平気だよ。気をつけて来てね』
じゃあまたね、と言って由真は電話を切った。
ふぅと、息をついて、高い天井を仰ぐ。
ザアザアと雨の音がやたら響く。空が泣いてるみたい、などと陳腐なことは考えたくなかった。季節外れの雷がどこか遠くで響いている。人の気配がない葬儀場のエントランスホールは、嵐から切り取られたようで、どこか現実離れしていた。
もう何が現実なのかわからない。
一昨日の夜、カレンが車にはねられて死んだと連絡が来た。何かの冗談だと思いたかったが、マネージャーのすすり泣く声に、本当なのだと理解した。
人が死ぬのってこんな呆気ないものなんだと、ぼんやり思う。だってカレンは一昨日の夕方には、今度一緒に行こうとカフェの話をしていた。SNSで話題のパフェの写真を見ながら、マンゴーヨーグルトと抹茶クリームチーズどっちも捨てがたいよねーとか。
自分のお通夜が明後日にやってるなんて、あの時は微塵も思っていなかったはずだ。
……死んじゃうってこんなもんなんだ。そんなことを考えている自分も、カレンのように突然の不幸が訪れれば、明日は棺桶の中などということもありえるのだ。そう思うと唐突に空しくなる。
葬儀場のエントランスホールには、『春宮家 葬儀式場』と書かれた案内板が置かれていた。カレンの地元は都内から飛行機の距離にある。家族の意向もあり、都内で葬儀を行うことになったらしい。事務所からは、葬儀は身内とほんの一部の仕事関係者だけで行うと言われていた。
中年の、眼鏡をかけた背の高い男の人が、忙しそうに電話で話をしながら、由真の前を通り過ぎる。
「だから違うよ。そっちの交差点じゃなくて、手前のコンビニを――」
身内へ葬儀場の場所を説明しているのか、そのまま自動ドアを通り抜け、雨の中へと早歩きで去って行く。つい先ほど少しだけ挨拶した。カレンの父親だ。銀行員らしく、いかにも神経質そうなきっちりとした人で、能天気な娘とは少なくとも性格は似ていない。
カレンは小学生の頃に実の母親を亡くしている。その数年後父親が再婚し、新しい継母と義理の弟か妹ができたらしい。カレンはそれを機に上京し、事務所が用意した寮暮らし選んだ。
本人は家族とは疎遠なんだよねー、とあっけらかんと話していたが、本音はどう思っていたのか。
娘とはここ数年ろくに会話もしていない人が、葬儀では喪主として、したり顔で娘の思い出を語るのかと思うと、かすかに憤りを覚える。
ベンチの後ろ、観葉植物の反対側から男女の声が聞こえてきた。
「――白鳥社長、すごい落ち込みようでしたね」
「実際ヤバいだろ、だってあのカレンが死んだんだぞ」
座っている由真の姿は木の陰になり、気づいていないらしい。四十前後の男と、二十代半ばくらいの若い女だ。喪服姿なのですぐに気づかなかったが、二人は事務所のスタッフだ。
「だいたい《garden quartZ》を結成するために、立ち上げたような会社なんだし、そのエースがこれじゃあなー」
由真はカレンと同じオーディションで選ばれたが、あの頃から彼女は特別だった。天賦の才、とはこういうことなんだと、まざまざと思い知らされた。
彼女の周りだけキラキラと光の粒子が舞い踊るような、どこにいても、何をしていても、つい視線が吸い寄せられてしまう。
物怖じしない人懐っこい性格のせいもあり、いつの間にか他人の懐に潜り込んでしまう、天性の魅力。そのくせ複雑な家庭環境のせいだろうか、時折顔をのぞかせる色気にも似た陰りに、同性でもドキリとしてしまう
一瞬で人々の心を浚い尽くす、暴力的なまでの魅力。彼女が紡ぎ出す世界。きっと誰も見たことのない高みへ連れて行ってくれるという確信。
誰かに夢を託している時点で、アイドルとしては失格なのかもしれない。でも絶対的な存在を前に、そんななけなしのプライドも吹き飛んだ、むしろ彼女と共にメンバーに選出され、横に並び立つ自分が誇らしくもあった。
《garden quartZ》はデビューした途端、メディアやSNSで瞬く間に取り上げられた。それは関係者にとって最初から計算済みのことだったが、想定以上にカレン個人も大きく取り上げられた。
人気は素人目線だけに留まらず、昨年辺りから業界人からもちょくちょく声をかけられていた。
由真はこの世界に入ってすぐ、アイドルとして大成するのに重要なのは、後ろ盾の事務所や人脈だと気付いた。散々その『恩恵を受けた側の立場』だからこそわかる。それに比べれば、アイドル本人の容姿だの才能だのは些細なことだ。
ただ、カレンだけはどうだろうと思う。あの子ならどんな弱小事務所からでも、それこそ本当に何の後ろ盾もない地下アイドルからだとしても、いつかはこの世界の中心へと這い上がっていたのではと思う。
絶対的エース。カレンという存在が《garden quartZ》を最高の高みに押し上げ、その存在のせいでグループを存続の危機に陥れるとは、誰も想像していなかっただろう。
「あーあ。俺、本社に戻してもらえねーかな」
スタッフの男がうんざりしたようにぼやく。
「ええー、本気ですかぁ?」
「うちは社長の道楽で始めた社長あっての会社だしな。……あの人もいい歳だろ。年寄りはショックなことがあると急にボケ始めるんだよ。お前も身の振り方考えた方がいいぞ」
由真は思わず鼻で笑う。
勝手に他人に夢見て、勝手に尻馬に乗って、幸先が悪くなったら勝手に降りる。ホント身勝手だ。
でも次を考えられるだけ、彼らはまだましかもしれない。どっぷりと《garden quartZ》に、カレンという夢に、浸かり溺れてしまった自分や社長は、そのまどろみから抜け出せる日が来るかわからない。
由真がその場から立ち上がると、はっとした顔の二人と目が合う。
「ゆ、由真ちゃん……そんな所にいたの?」
「ミオリたちは? まだ着かないのか?」
「それがぁ、ず―っとスマホ見てたんですけど、何も連絡来てないんですよ。ちょっと外に行って見てきますね」
何も知りません、気づいていません。そんな素振りでにっこり笑って見せる。
今の会話を聞かれていたことなど彼らも承知だろうに、由真のとぼけた態度に、あからさまにほっとした顔を浮かべる。
何を見て、何を見ないかを選択することも、この業界に入って学んだ処世術だ。
二人に小さく頭を下げて、由真はその場を後にする。
(きっと私、これからもこうして生きてくんだろうな……)
《garden quartZ》には、きっと由真も想像がつかないような、お金と労力がかかっている。エースを失ったからといって、今更止まれない。
さっきのスタッフたちの言う通り、人気が陰るかもしれない。意気消沈した社長がその座を降りるかもしれない。それでも誰かが代わってその席に着くはずだ。もしかすると遠くない内に、カレンがいた席も誰かが埋めるかもしれない。
――エースを失った悲劇のグループ。物語としては上出来だ。
自分はともかく後の三人にもファンは多い。それなりに売れるだろう。そして、それなりの実績を積み上げた後、それなりの形で終わるのだ。アイドルを売りにするならどんなに引っ張っても、二十代前半が限界なのは最初からわかっている。
器用な娘なら旬を過ぎた後は、バラエティタレントなどとして自分を売り込むのだろうが、由真はそこまで上手に立ち回れる自信はない。
でも多くの先輩たちがそうしてきたように、芸能界で得たツテで、新たな商売を立ち上げるのも悪くない。今どき、現実にもネットにもいくらでも活路はある。
それまでは由真もメンバーの一員として、いつも通り笑って生きていく。カレンが居たなら得られていただろう、輝かしい未来を心の奥底に沈めたまま、それを微塵も表に出さず、「いつも希望に溢れています!」という顔でアイドルを続けるのだ。
(意外とあたし図太かったのかも……)
カレンごめん、と思いつつも、案外悲しんでいない自分に気づく。
彼女のいない現実と向き合う覚悟は少しずつできてきている……と思う。でもカレンが死んでしまったという実感がどうしてもなかった。きっとあの子は今もどこかで、自分の知らない人々の笑顔の中心にいる。そんな錯覚すらする。
エントランスから外へと出ると、雨が少し弱まり、遠くで晴れ間が見えていた。ちょうどタクシーが止まり、見知った少女が降りてくる。メンバーの一人、美緒里だ。
そのすぐ後にさらにもう一台タクシーが止まり、双子の瑠々と璃々も押し合うように降りてくる。キャアキャア、と騒がしい様子がここまで聞こえてくるようだ。
由真の姿に気づいた美緒里が高く手を上げる。葬儀場で不謹慎かなと思いつつ、由真も大きく手を振り返した。オフの日に遊びに行くような待ち合わせ。意外とみんないつものと同じ調子なのでほっとする。
だからきっと、カレンもそう。どんな形であれ、これからもあの子がたくさんの人々の世界を変える存在であることは変わらない。
それを疑うことなく、由真は信じていた。
※※※※※※※※※※
――彼女には何かがある。
それは昨日までは、かすかな予感に過ぎなかった。しかし今は、この大広間にいるすべての人々同様、彼女が非凡な存在であることをロウラントははっきりと確信していた。
その姿はまさに、色とりどりの花々が咲き乱れる花園であっても霞むことがない、花の女王たる大輪の薔薇だった。
階段の一番上で、カレンは階下の人々に向け、薔薇色のドレスを持ち上げ、優雅に膝を折る。
挨拶は作法の基本中の基本であり、貴婦人としての洗練さが試される。片足を引いたまま姿勢を保つのは、慣れぬ者には存外難しい。まして重たいドレスをまとった状態だ。さらにその状態から膝を折って身を屈め、再び立ち上がらなければならない。
姿勢を保つのに耐えられず、すぐに身を起こせば、せせこましい印象になる。その点、彼女の上半身はまったくぶれない。膝を屈め、身を起こすまでの絶妙な溜めも完璧だ。
顔を上げ、その口元を扇で隠すと、エスコート役の男爵に手を取られ階段を下りてくる。
こだわっただけあり、薔薇色のドレスは確かに効果的だった。彼女の白い肌を輝くように引き立たせ、赤銅色の髪を深く色濃く見せている。濃緑色の男爵の礼服と相まり、大輪の薔薇がそこに咲いたようだった。
フレイの不眠不休の作業が実を結んだ。誰もあれが、数日前まで離邸のカーテンだったとは思うまい。
踊り場でさりげなく扇が動き、その微笑が零れる。あちこちから感嘆のため息が漏れるのがわかった。
帝国の皇女として申し分のない、優雅で堂々たる姿。それでいて、夜明け色の瞳は、隠しきれない好奇心に輝いているのが遠くからでもわかった。
ロウラントは呆れつつも、肌が泡立つのを感じる。想像以上、どころの話ではなかった。
あの短期間で、皇女にふさわしい立ち振る舞いを習得したのは、たいした努力だと思う。だがそれ以上に驚愕したのは、あの怯むことのない態度だ。
人々の視線を集めることは、慣れぬ者にとって恐ろしく精神を削る。普段何気なくできていることすらままならなくなる、呪いのような効力がある。
ましてこの場に集うのは、カレンディア皇女にとって好意的な視線ばかりではない。《ひきこもり姫》に対する蔑みも、少なからず混ざっているはずだ。
年長であり、こういった場には慣れているはずのイヴリーズやグリスウェンたちですら、正式なお披露目にかすかに緊張した面持ちだった。それなのに、カレンはこの場を楽しんでいる素振りすらある。
物怖じしない娘だとは思っていたが、まさかこれほどの豪胆さを見せつけるとは思わなかった。本来なら自分よりはるかに洗練された人々の前で、皇女の姿を演じてみせる度胸には舌を巻く。
控えの間では、憐れなほどうろたえていたのは嘘でなかったはずだ。それがこの場に立った瞬間、水を得た魚のように生き生きと輝き始めた。
ずっと彼女の語る『アイドル』というものがどうしても理解できなかったが、今少しだけわかったような気がした。確実に観衆の空気が変わった。間違いなく今この瞬間は、カレンの『舞台』だ。
カレンは男爵と共に、玉座のある壇上へと続く深紅の絨毯の上を歩む。途中から一人で玉座の前へと進み出てお辞儀する。片膝を床につかないギリギリまで屈める、女性としての最敬礼だ。
身動ぎすることなく泰然とそれを迎えるのは、ルスキエ帝国皇帝ディオス四世――カレンディア皇女らの父親だ。歳は四十代半ば。その体躯は引き締まり、座っていても長身とわかる。
若かりし頃は美貌の皇子として宮廷でもてはやされていたが、眉間や目元に深く刻まれた皺が、どこか剣呑さを感じさせる。家族や側近にも感情を露わにしない、感情に乏しい人物と言われていた。
「我らが帝国の太陽にして偉大なる守護者、皇帝陛下におかれましてはご機嫌麗しく存じ奉ります」
なめらかで伸びのある声が、格式ばった口上を何かの詩のように紡ぐ。
「――カレンディア皇女。そなたの顔をしばらく見ていなかったが、思いのほか息災のようで安堵した」
「お心遣い痛み入ります」
「立ちなさい」
カレンは声に従いゆっくりとその場に立ち上がる。顔を伏せたままだ。
「この良き日に女神の加護があらんことを」
「ご慈悲に感謝申し上げます、皇帝陛下」
形式通りの挨拶を済ませると、カレンはゆっくりと後ずさり玉座を後にした。