134、兄弟喧嘩2
ロウラントがグリスウェンを床に引きずり倒し、関節技を決めに入ると、グリスウェンが力ずくで拘束を解き、ロウラントの後頭部をつかんで額を床に叩きつける。どんどん手段を選ばない泥臭い争いになっているが、まだ勝敗は着きそうにない。
「ランが側についていながら、どうしてカレンを守れなかった!?」
「中途半端にカレンを突き放した、お前が言うのか!?」
口論に自分の名前が出てきたが、その本人がいることに気づいていないくらい、二人とも頭に血が上っている。
(私のために争わないで―って、感じでもないんだよねえ……)
もはやカレンのことは、相手を責める材料にしかされていないのは心外だ。
完全に自分そっちのけで盛り上がっている二人に、憤然としていると、イヴリーズが何やら神妙な顔で戻って来た。すとんと、力が抜けたようにイヴリーズは椅子に座った。
「どうしたの変な顔して? ミリーは大丈夫?」
「ええ。怪我は治したし、もう少し待つように言い含めてきてけど、すごく怪しんでいたから長くは持たないわよ。……私は少し自分の至らなさを痛感しているだけ」
「姉上でもそういうこと思うんだね」
「人を何だと思ってるのよ。――私ね、ミリーを陥れたことを正直に話そうと思ったの」
「……うん」
イヴリーズが偽造した手紙のせいで、ミリエルは姉殺しと密通の汚名を着せられる結果となった。ミリエルを祖父たちの傀儡となる人生から守るため、強引な手を使うしかなかったことはわかっている。それでもイヴリーズのしたことは、完全に一線を越えていた。
「あの子はとっくに気づいていたみたい」
「そっか……そうだよね」
カレンの口からはあえて何も伝えてない。聡いミリエルなら真実に気づくのは、時間の問題だろうとは思っていた。
「謝ろうとしたら、『そんな些事にいつまでもこだわるほど、器の小さい人間じゃありません』って叱られたわ」
「うわっ、厳しいね」
「そうね、私には謝る資格すらないって言われたようなものだもの。泣きわめかれて、罵られる方がずっとましだったわ」
「それわかるかも。ロウも私が怒った時より、突き放した時の方が堪えてたみたいだし」
イヴリーズが短く嘆息する。
「あんなのと一緒にしないで、と言いたいところだけど、確かにあの子と私は同類よ。……あなたやスウェンみたいな人間に惹かれる辺りもね」
「あ! その辺の惚気話聞きたい、大好物。そもそもどうやって、あの堅物の兄上を落したの?」
「え? えぇ……」
イヴリーズは照れたように顔を赤らめながらも考える。
「そうね……スウェンが精神的に参っている所を、付け込んだ形になるのかしら」
恥じらっている割には、内容が全然可愛くなかった。
「……姉上は本当に自然体で悪いこと考えるよね」
「スウェンがそもそも甘っちょろいのよ。だからああいう羽目になるんじゃない」
イヴリーズはまだ喧嘩を続けている二人を指し示す。
いよいよ殴り合う体力が尽きてきたのか、グリスウェンとロウラントが互いの胸倉をつかみながら罵り合っていた。
「いい加減にしろよ、子供の頃から変わってないじゃないか! お前の方が兄貴のくせに、悪だくみの割を喰うのは俺ばかり! どうしてそう性格が悪いんだ!?」
「お前の女の趣味の悪さよりましだ、アホ! だいたい昔から兄として敬ったことなんかないくせに、都合のいい時だけ盾に取るな!」
「敬われないのは、自分の素行のせいだろう!?」
「こっちだって自分よりデカくなった弟なんぞ、可愛くも何ともないわっ」
「嫉妬か? 昔はそっちの方が背は高かったのに残念だったな、兄上。デカくなったのは態度だけとは憐れなもんだ!」
「お前こそ何でその栄養を頭に回さなかったんだよ、脳筋野郎が!」
「……もうアレ、ただの子供の喧嘩じゃん」
あれだけ息を切らしながら、どうでもいい内容の罵倒合戦はまだまだ終わりそうにない。
イヴリーズは落ち着き払って言う。
「仕方ないわよ。あれは十年分のやり直しなんだから。本当は子供の頃にやりたかったことなのよ。喧嘩したり、くだらない冗談を言い合ったり。……いいわよねえ、男兄弟って。それでわかり合えるのよ。私は苦労してあれこれ悩んで、必死で寄り添おうと努力して、ようやく側にいられるのに。ズルいと思わない?」
イヴリーズが何を言わんとしているか気づき、カレンは呆れ混じりに笑う。
「……もしかして、だから止めないの?」
「馬鹿よね、二人とも。男の意地があるから、自分からは引けないのよ」
そういえば先ほどから、二人とも胸倉をつかみ合いながらも、チラチラとイヴリーズの方見ている。ついでにようやくカレンの存在に気づいたようで、二人そろって気まずそうな表情を浮かべた。
「私に丸く収めて欲しいんでしょうけど、そうは行くもんですか。面白いから、もう少し見てましょうよ」
姉に止められて仕方なく、という建前を二人が欲しているのを知っていて、イヴリーズはあえて無視しているのだ。人の悪い笑みを浮かべる姿に、さすがあの二人の姉だけはあるなと思う。
イヴリーズの予想通り、ロウラントとグリスウェンは相変わらず睨み合ってはいるが、「頭を下げるなら、水に流してやらなくはない」とか、「いや、そっちこそ筋を通すなら大目に見なくも……」とか、先ほどの威勢が嘘のようにどんどん語気が弱くなっている。やはり双方引くに引けないらしい。
互いに体力も語彙も限界のはずだ。あれだけ威勢よく胸倉をつかみ合いながら、内心は「頼むからそっちが降りてくれ」と祈るような気持ちになっていると思うと――なるほど、笑いが止まらない。
カレンがテーブルに突っ伏して肩を震わせていると、イヴリーズも耐え切れなくなったようで、明後日の方を見上げて笑いを堪えている。その様子に気づき、唖然と目を丸くする兄弟の姿に、ついに姉妹そろって吹き出した。
笑い声が軽快に響く中、鍵束を持ったミリエルが「何笑ってるんですか!?」とドアを開けた所で、馬鹿騒ぎはようやくお開きとなった。